一章 3

 *


「ただいま。おばあちゃん。お醤油、買ってきたよ」


 カラリと引き戸をあけて、玄関に入ったとき、愛莉は人の話し声を聞いた。家の奥のほうで、ぼそぼそと複数の人が会話している。


 女の声は祖母のようだ。

 でも、男の声は誰だろうか?

 客でも来ているのか?


 客だとしたら、ジャマしたらいけないと思った。まあ、近所の人が世間話でもしに来ているのだろうが。


 台所に行って、醤油をテーブルの上に置いた。声が少し近くなった。男の声だと、ハッキリわかる。


 そのとき、ふと思った。

 どこかで聞いたことのある声だと。

 なんとなく、知っている人のような気がした。なぜかわからないが、とても気になる。


 誰だろう? この声?


 愛莉は声のするほうに歩いていった。離れの物置に通じている奥の座敷だ。


 変だなと思った。

 祖母が近所の人を招くためには、いつも玄関横の六畳間を使っていたのに。祖母の習慣が変わったのか?


「おばあちゃん……? 誰かお客さん、来てるの?」


 たずねると、ピタリと話し声がやんだ。妙な間があって、祖母が座敷から出てくる。


「おかえり。お醤油、買ってきてくれたの?」

「うん。キッチンに置いてある。誰か、そこにいるの?」

「誰もいないよ」

「でも、今……」

「聞きまちがいじゃないかねぇ。おばあちゃん、ひとりごとが多いから」


 祖母はそう言って、台所のほうへ歩いていった。

 愛莉は座敷をのぞいてみたが、そこには誰もいない。祖母の言うとおり、ひとりごとを会話のように聞きちがえただけだろうか。


 そのあと、祖母が台所で料理しているのをいいことに、家じゅうを調べてみた。祖父の霊が、どこかにいるんじゃないかと期待したが、見ることができなかった。


 どの部屋にも異常はなかった。

 ただ、離れだけはカギがかかっていた。


(ダメか。おじいちゃん、わたしになら見えるんじゃないかと思ってたんだけど)


 死んだ人がすべて幽霊になるわけじゃない。ほとんどの人は死んだら、そのまま消えていなくなる。残るのは、ごく一部だ。どういう人が残り、どういう人が消えるのか、その法則はわからない。ただ、やはり、この世に未練がある人は霊になりやすいような気はする。


 とつぜん殺されて死んだ祖父は、未練がなかったのだろうか?


 疑問に思ったが、いないものはしかたない。

 二階の子ども部屋に帰り、ごろりとベッドによこになる。ベッドの横の窓の格子の外が赤い。オレンジ色の光があふれている。


 なにげなく見ると、思っていた以上に、山並みが近く見えた。茜色の空の下、黒くシルエットになって、妙にさみしく見える。


 なんだろうか?

 誰かが呼んでいるような気がする。



 ——たすけて……たすけ…………。



(誰? わたしを呼ぶのは、誰?)


 そのとき、

「愛ちゃん。ご飯できたよ。いつでも食べれるからね」

 祖母の呼び声が聞こえる。


 愛莉は我に返った。今、意識がとびかけていた。


「はぁい。今、行くよ」

 答えて、階下へおりていった。




 *


 翌朝。

 愛莉は一人で図書館へむかった。場所はグーグルで調べれば、すぐにわかった。田舎町にしては、なかなか大きい。白く近代的な建物が公園のなかにあった。


 正面入口まで来た愛莉は、そこで立ちどまってしまった。


 ドア横に男が一人、立っている。男と言うか、男と少年のあいだくらい。

 雅人だ。


 雅人は愛莉を見つけると、かるく手をあげて笑った。

「急にいなくなるからさ。ここに来れば、会えるかなって」


 どうしよう。今すぐ、抱きしめたい。

 自分の気持ちを抑えるのに、愛莉は少なからぬ努力を要した。

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