プロローグ 2

 *



 外出するのが怖くて、しかたがない。

 こんなことなら早く自宅に帰りたいが、お盆休みになると、両親もこっちに来ることになっている。そのあと数日、泊まってから帰る予定だ。

 今すぐ帰るためには、その理由を話さなければならなくなる。


 あさってには、もうお盆だし、パパとママが来てくれたら安心だから……そう考えて、雅人はガマンした。


 それから数日後。

 お盆の最終日に、神社でお祭りがあった。

 あの林の奥の神社だ。


「おーい。雅人。お祭りに行こうか」


 父にさそわれて、雅人は迷った。

 ほんとは行ってみたい。

 小さな神社のお祭りだけど、屋台がたくさん出て、わりとにぎやかだ。


 でも、外に出ると、圭介に見つからないだろうか?

 圭介は雅人の家の住所を知らないから、家に帰ってさえしまえば安心だけど……。


 圭介だって、僕が大人といっしょにいれば、なんにもできないよね?

 そう考えて、雅人は両親と夏祭りに行くことにした。

 神社はすっかり飾りつけられていた。いつもの暗いふんいきはなく、明るく楽しそうだ。


「ねえ、お父さん。あれ、なんて読むの?」


 鳥居の上に神社の名前が書かれていた。くすんで、ほとんど漢字の形さえわからないのに、父はたいして見もせずに答えた。


空蝉うつせみ神社って言うんだよ。昔、ここで亡くなった平家のお姫さまを祀っているんだそうだ」

「空蝉って?」

「蝉のぬけがらのことさ」

「ふうん」


 蝉のぬけがらなんて、変わった名前の神社だと思った。

 蝉の神社に蝉じいさんが埋められてるなんて、なんだか、とても不思議なぐうぜんに思えた。


 神社には、たくさんの人が来ていた。

 ちょうど父の幼なじみだという人が何人も家族づれで帰省していた。その人たちの子どもも大勢、来ていた。雅人と同い年の女の子がいて、仲よくなった。

 かき氷や綿菓子を食べた。

 金魚をすくって遊んだり、射的がちっとも当たらなくて、ふくれたり。


 あまりに楽しくて、雅人はすっかり圭介のことなんて忘れてしまっていた。


 大人はお酒を飲みだして、長話を始めた。

 子どもだけで花火をすることになった。一番年上の中学生が、バケツに水をくんできた。打ち上げじゃない花火をこんなにキレイだと思ったのは初めてだ。


「ああ、バケツがいっぱいになった。誰か新しいバケツに水くんできてよ。社の奥のお地蔵さんのところにあるからさ」


 中学生に言われて、雅人は一人で走っていった。

 お地蔵さんのよこに水道があることは知っていた。虫とりのときに何度か、祖父といっしょに利用したことがあるからだ。


 花火はまだ二袋もある。楽しいな。楽しいな。

 早く帰らなくちゃ。


 息も心も弾ませながら、雅人は地蔵堂まで走った。

 だが、その途中だ。

 とつぜん、うしろから、ぐっと肩をつかまれた。

 ふりかえると圭介が立っていた。


「やあ。雅人くん。楽しそうだね」


 雅人は、いっきに血の気がひいた。頭のてっぺんから滝下りの激流のように、つまさきまで血液が流れ落ちたような気分だ。


「いい子だねぇ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかなぁ?」


 雅人はまわりをキョロキョロするが、自分たち以外、人影は見あたらない。

 圭介の手をふりきって逃げようとしたが、圭介は雅人をにらみながら、ガッチリ、二の腕をつかんでくる。


「なんで怖がるのかなぁ? おかしいなぁ。もしかして、怖がる理由があるのかな? ねえ、雅人くん。おまえさぁ、前にこの神社の神木のところでさ。なんか見たんじゃないの?」

「な……なんにも……」


 なんとか答えようとするものの、歯の根があわない。ありえないくらいカチカチと歯が鳴った。

 それを見た圭介の表情がけわしくなる。


「やっぱり、見てたんだな」


 そう言うと、雅人の手をひっぱり、どこかへつれていく。


「は……離してよぉ。な、なんにも見てないよぉ」


 ガマンできなくなって、雅人は泣きだした。わあわあ泣きわめくが誰も助けにやってこない。祭りばやしの音で泣き声がかきけされているのだろうか。いや、そもそも、声が聞こえるほど近くに人がいないのか。


 お社が、どんどん遠くなり、まわりに木が増えていく。

 雅人はゾッとした。

 圭介が自分をどこにつれていこうとしているのか、気づいたからだ。

 あのご神木だ。

 蝉じいさんの死体を埋めた場所へむかっているのだ。


(僕を殺す気だ!)


 雅人は泣きながら、なんとか抵抗しようとした。

 でも、子どもの力では、圭介の手をふりきることも、ひっぱられていく足をふみとどまることさえできなかった。


「ごめんなさい。ごめんなさい。誰にも言いません。だから、殺さないで」と、懇願こんがんすることしかできない。


 だが、圭介はもともと子どもをなぐるような大人だ。

 泣きわめく雅人をひきずっていくのがめんどくさくなったのか、なんのちゅうちょもなく、両手を雅人の首にまわしてきた。

 のどがつまって、雅人は声をだすことすらできなくなった。すぐに息が苦しくなる。目がかすみ、意識がぼんやりしてくる。


 このまま、殺されるんだ……。


 そう思ったときだった。

 青白い小さい光が、こっちへむかって飛んでくるのが見えた。


 蛍だろうか?

 それとも、人魂?


 いや、蝉だ。

 体が透きとおるように青く、うっすらと光っている。

 でも、形は蝉だった。


 なん……で、蝉が……?


 蝉はまっすぐ、こっちに飛んでくる。

 そして、ピタリと圭介のひたいにとまった。


「わッ」と叫んで、圭介はそれをふりはらおうとした。

 しかし、その瞬間、蝉の青白い体が、まるで溶けるように圭介のひたいのなかに消えていった。


 しばらくのあいだ、圭介のおでこが青く光っていた。

 そのあいだ、圭介は苦しみもがいた。


 そして、とつぜん、平常にもどった。

 無表情なおもては、どこか、うつろだ。

 雅人には、なんの興味も持たなくなったように、圭介は去っていった。


 そのあと、しばらく雅人は気を失っていた。

 気がつくと、一人で林のなかに倒れていた。

 みんなのところに帰ると、花火は終わっていた。



 *



 翌日。

 予定どおり、雅人は両親とともに自宅に帰ることになった。朝早く、父の車に乗りこもうとしていると、誰かが近づいてきた。


「おはようございます」と、さわやかに笑って、あいさつしてくる。

 二十代の若い男だ。今風の塩顔イケメン。ちょっと古風な顔つきだが、とてもカッコイイ。


 誰だろう?

 近所の人だろうか?


 雅人の両親もごくふつうに「おはよう」と返している。


 青年はほほえみながら、雅人の頭に手をのせた。

「やあ、雅人くん。ありがとうね。君のおかげで助かったよ」


 雅人はまったく知らない人から親しげに話しかけられて戸惑った。


 いったい、この人は誰だろうか?

 ありがとうって、なんのことだろう?


「あ、あの……誰?」


 思いきってたずねると、青年は笑った。


「やだなぁ。滝川圭介だよ。前に蝉のサナギをあげただろ?」


 違う。蝉のサナギをくれたのは、蝉じいさんだ。

 それに……。

 この人は滝川圭介じゃない。

 なぜ、みんな、そのことに気づかないのだろうか?

 顔がぜんぜん別人なのに。

 でも、よく見ると、誰かに似ている気がする。見ためというより、その優しい笑いかたが。


 雅人は目の前で笑っている青年と、両親や、見送りに外まで出てきている祖父母を見くらべた。誰も不審に思っているようすはない。


 祖父なんて、「やぁ、圭介くん。こんなに朝早く、どこか行くのかね?」なんて、あたりまえのようすで話している。


 雅人は困りきって、みんなにあわせて笑った。

 きっと、とてもひきつった表情になっているだろうと考えながら。


「じゃあね。雅人くん。夏になったら、また遊びにおいで」

 青年はそう言って、手をふった。


 車が発進する瞬間、雅人は気がついた。

 その笑顔が誰のものなのか。


(あっ! 蝉じいさん!)


 そうか。昨日の晩、飛んできた蝉は、蝉じいさんだったんだ。


 雅人の脳裏に、なぜだかわからないけど、蝉の羽化の瞬間が思い浮かんだ。脱皮して違う生き物のようになった蝉の姿が……。


 雅人は車の窓をあけて、大きく手をふりかえした。

「バイバイ! また来年!」


 来年の夏が楽しみだ。

 きっと、今年より、おもしろい。

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