一章

一章 1



 この町に来るのは何年ぶりだろうか。中学三年の夏が最後だから、四年ぶりだ。


 愛莉あいりはなつかしい思いで、町なみを見渡した。

 山脈につながっていく低い山なみ。畑や田んぼや雑木林の目立つ自然色ゆたかな土地がら。


 父の実家がこの町にあり、子どものころは、よく遊びに来た。

 とくに神社の夏祭りは忘れられない。帰省してきた親につれられてきた子どもがたくさんいて、花火をして遊んだことを、鮮明におぼえている。


 だが、愛莉が帰ってきたのは、町の風景をなつかしむためではない。


 去年の夏、父は会社の盆休を利用して、一人で祖父母の家をたずねた。そのとき、悲劇は起こった。祖父が死に、父は行方不明になった。


 祖父は自然死ではない。誰かに殺されたのだ。

 父が行方不明になっていることから、警察は父が祖父を殺して逃亡したのだと考えた。


 でも、愛莉は父がそんなことをする人ではないと信じている。真犯人は別にいるはずだと。

 だから、大学の夏休みを利用して、この町へ来たのだ。建前は、一人暮らしになった祖母が心配だからということにして。


 わたしなら、もしかして、ほんとのことがわかるかも——


 愛莉は、そう考えていた。愛莉には、特技がある。


「愛莉。ひさしぶりだねぇ。いらっしゃい。おばあちゃん、嬉しいよ。さ、お入り」


 去年まで祖父と祖母の二人で住んでいた古くさい昭和風の二階建て。玄関まで、迎えに出た祖母は、思っていたより表情も明るく元気そうだった。


「おばあちゃんに会いたくて、来ちゃった。夏休みのあいだ、よろしくね。そのかわり、力仕事とか、わたしにできることはするから、なんでも言ってね」


「ああ、そうかい? ありがとね。お昼ごはんは?」

「お昼は新幹線のなかでお弁当、食べたよ」

「そう? じゃあ、夕ご飯は、なんにしようかねぇ?」

「わたし、おばあちゃんの作ってくれるカボチャの煮物が好き」

「カボチャだね。じゃあ、そうしようね」


 祖母は愛莉が来たことをとても喜んでいるようだった。


「二階の部屋、キレイにしといたからね。ここを使っていいよ」


 父が子どものころに使っていたという二階の部屋をあてがわれた。子ども用の勉強机があり、本棚には昔、父が使っていた参考書などがならんでいる。


 机の上のデジタル時計は、まだ動いていた。祖母が定期的に電池を入れかえているのかもしれない。

 三つの数字が、今現在、三時を七分すぎたことを告げている。


 キャリーケースを部屋のすみに置いて、愛莉は階下へおりていった。


 まだ日暮れには時間がある。夏なら七時すぎまでは明るい。けれど、父の死の謎を調べると言っても、どこから手をつけていいんだか、さっぱり見当もつかない。


「ねえ、おばあちゃん」


 台所に立つ祖母に聞いてみる。


「はいはい。なぁに?」

「おじいちゃんが亡くなったのって、どこ?」


 祖母は口をつぐんだ。

 それから、ゆっくり、愛莉のほうをふりかえる。


「……どこって、おまえ、なんだって、そんなことを?」

「え? ちょっと気になっただけだよ。家のなかだったのかなぁとか」


 祖母はため息をついたあと、あからさまに話をそらした。

「愛ちゃん。コンビニでお醤油、買ってきてくれない? 切らしちゃったよ」


 つまり、祖母にとって、その話はタブーということだ。

 長年つれそった祖父が最期は不審死をとげたのだから、好んでしたい話ではないだろう。まだ祖父のことを思いだして、悲しくなるのかもしれない。


「……うん。わかった」


 愛莉は祖母から千円札を一枚渡され、外へ出ていった。


 それにしても、コンビニができていることにはおどろいた。愛莉が子どものころには、このあたりには小さな雑貨屋が一つあるだけだった。


 祖母に聞いてきた方向にむかって、愛莉は歩きだした。


 祖父母の家は、町内でも比較的にぎやかな場所にある。神社付近の山手では、もっと人家が少なく、人通りもめったにないが、JRの駅にも近いこのあたりは、住宅街になっていて、大通りには大勢が行き来している。


 大通りを一本それると、畑や田んぼだが、少なくともコンビニへむかう道すじには、人家がとだえることはない。


 どうやって祖父の死因を祖母から聞きだそうかと考えながら歩いていた愛莉は、歩道で前から来た人とぶつかってしまった。はでにころんで、愛莉はしりもちをついた。


「あっ、ごめんなさい!」


 とっさに謝ると、相手はおどろいたような顔をして、愛莉を見つめた。


 はたち前後の青年だ。

 小柄だが、ととのったキレイな顔立ちをしている。


 それにしても、なんで、こんなに愛莉の顔を凝視してくるのだろう?


 そう思って見直すと、どこかで見たことのある人のように思えてきた。


「あの……もしかして、どこかで会いましたか?」


 愛莉はたずねてみた。

 青年の顔がほころぶ。


「まちがってたら、ごめん。愛ちゃん? 名字は、たしか……平野」

「うん。わたし、平野愛莉だけど」

「おぼえてないかなぁ? 子どものとき、神社の夏祭りでいっしょに遊んだ、黒川雅人だよ」


 名前を聞いて、愛莉はすぐに思いだした。

 小学四年くらいのときだっただろうか? 神社でいっしょになって、とても仲よくなった男の子がいた。


「まさくん? ほんとに?」

「やっぱり、そうだ。愛ちゃんだ」


 愛莉の心は弾んだ。

 楽しかった夏祭りの思い出がよみがえる。


「わあ、スゴイぐうぜん! まさくんも、こっちに来てたの? 夏休み?」

「じつは、二年前から、この近くに住んでるんだ。ちょっと体を悪くして」

「そうなんだ」


 なんの病気か聞くのは悪い気がした。もしも重い病気なら、そこまで立ち入ったことを聞ける間柄ではない。


 だけど、このまま別れるのも惜しい気がした。

 雅人は、たしか祖父母の家が、神社に近い山手にあると言っていた。だから、子どものころの愛莉の足では、なかなか遊びに行ける距離ではなかった。

 祭りの日に出会ったのが最初で最後だったが、そのとき、愛莉は感じていた。この人は自分にとって特別な人なんじゃないかと。子ども心の淡い想いではあったが、初恋だったと思う。


 そんな人と、ぐうぜん再会したのだ。


 それに、なんだか、雅人の表情が暗いのが気になる。もしかしたら、病気がかなり重いのかもしれない。

 ほっとけないような気がした。


「雅人くん。今、何してたの? 散歩?」

「うん。そんなもん」

「わたしは、お使い。お醤油、買って帰らなくちゃ。わたし、八月いっぱい、こっちにいる予定なんだよ。町のなか、いろいろ行ってみたいな」


 すると、ニッコリ笑って、雅人が言った。

「おれが案内してあげようか?」


 やったね! 成功。

 内心、愛莉はガッツポーズをとった。


「わぁ、ほんと? 嬉しい! ぜひ、お願い」

「どんなところ、行きたいの?」


 どうせなら、祖父の死や父の失踪に関係する場所へ行ってみたい。でも、今のところ、それが、どこなのかわからない。図書館へ行けば、当時の新聞記事が見つかるかもしれない。


「図書館に行ってみたいな」

「いいよ。でも、図書館なら歩いていくには少し遠いな」


 たしか、玄関前に自転車があった。祖母が使っているのかもしれない。


「じゃあ、お醤油、買ったら、一回、帰って、また来るね」


 それまで待っててくれる?——と言いかけたときだ。

 愛莉は立ちすくんだ。


 まただ。いつもの、アレだ。

 また、アレがいる。


 愛莉は無意識に雅人の腕をつかんだ。

 コンビニのよこの電柱のところに、男が立っている。だが、生きた人間ではない。きっと、死因は交通事故だろう。全身が血だらけで、手足も変な方向にまがっている。

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