空蝉

涼森巳王(東堂薫)

プロローグ

プロローグ 1



 毎年、夏休みになると、雅人まさとは祖父母の家に泊まりに行く。

 雅人が両親と暮らす家と同じ市内にあるのだが、祖父母の家は山のふもとにあるぶん、自然が豊かなのだ。毎日、虫かごと虫とり網を持って、林のなかを歩きまわった。


 林のなかに神社があった。

 古びた小さな社だが、とてもご利益があるのだそうだ。

 どんな神さまがまつられているのか、子どもの雅人にはわからなかった。

 神社の近くは昼でも薄暗くて、なんとなく気味が悪いので、なるべく近よらないようにしていた。


 木洩れ日が金色にさす昼間。

 小川に蛍の光が妖しく舞う夕刻。


 でも、雅人がもっとも夢中になったのは早朝だ。

 真っ赤な朝焼けが東の空の端を染めるころ、神社の林のなかへ入っていくと、たくさんの昆虫がとれた。

 クワガタやカブトムシ。

 セミやカミキリムシ。

 大きな目玉のもようのある蛾なども。


 あれは何度めかの早朝のことだ。

 ある朝、雅人は神社の近くで変な音を聞いた。ザッ、ザッ、ザッと土をほるような音だ。


 早朝のまだ暗いうちだから、もちろん一人ではない。祖父にたのんでいっしょに来てもらっていた。しかし、元気に走りまわる雅人は、いつのまにか、祖父からかなり離れてしまっていた。


 怖くなって祖父を呼ぼうとしたが、そのとき、すうっと人魂を見た。いや、よく見れば、懐中電灯の光だ。誰か人がいるのだ。


 いったい、何をしているんだろう?


 気になった雅人は、ドキドキしながら、音のするほうへ近づいていった。木のかげにかくれながら歩いていくと、誰かが大きな杉の木の下に穴をほっている。

 それはご神木と呼ばれる杉だ。


 ザッザッザッ。ザッザッザッ……。


 そのうち、男の姿は穴のなかに沈んで見えなくなった。そうとう深い穴をほっている。


 男の頭がかくれたときに、雅人は思いきって、もっと近くまで行ってみた。真横の木のところまで移動する。


 ちょうど、そのとき、男が穴からあがってきた。

 雅人は木のかげに小さくなった。男に見つかるんじゃないかと心臓が激しく脈打った。


 しかし、男は雅人には気づかなかったようだ。

 穴から、はいあがってくると、杉の大木の裏側から、何かをひきずってきた。


 ゴミを不当投棄する気だ——と、雅人は思った。

 だが、男のひきずるものが目の前を通ったとき、自分の思い違いを知った。


 それは、ゴミなんかじゃない。人だ。

 人間の死体だった。

 しかも、知らない人間じゃない。


(蝉じいさんだ!)


 それは地元で、蝉じいさんと呼ばれている老人だ。カブトムシやクワガタの幼虫を育てて、お祭りや町のスーパーで売っている。蝶や珍しい虫を捕まえることもあるが、蝉はお金にならないので、近所の子どもに、ただでくれる。


 それで、あだ名が、蝉じいさん。

 虫を売ったお金をけっこう、ためこんでいるというウワサがあった。


 雅人も以前、蝉のサナギをもらったことがある。

 町なかで蝉は、壁にとまってジイジイ鳴くだけのやかましい存在だが、サナギが脱皮する瞬間を見たときには感動した。

 そのときの蝉のぬけがらは、今でも宝物としてとってある。


 だから、死体が蝉じいさんだと知って、とてもショックだった。


 月光のあたりかたのせいか、死体の顔は見えたが、それをひきずっていく男の顔は見えなかった。


 男はハアハア息をつきながら、穴のなかへ蝉じいさんをなげいれた。そして、雅人に背をむけたまま、ザクッ、ザクッと、今度は穴を埋め始める。


 ザクッ、ザザザ……。

 ザクッ、ザザザ……。


 あっというまに、蝉じいさんの顔は見えなくなった。

 ちょうど、そのときだ。

 遠くのほうで声がした。


「——おーい。雅人。どこにいるんだ? 雅人ォー!」


 祖父の声だ。懐中電灯をグルグルまわして、雅人を呼んでいる。

 懐中電灯の光がだんだん近づいてきた。

 男はあわてふためき、シャベルを片手に走り去っていった。


「おーい。雅人か?」


 数分して、祖父がやってきた。

 雅人はだまって祖父にしがみついた。




 *



 林のなかで見たことを、雅人は誰にも言わなかった。

 なんとなく怖かったからだ。変なことを言ったら、あの男に仕返しされるかもしれないと考えた。


 だけど、蝉じいさんがかわいそうだったので、昼になってから、こっそり、あの場所へ行ってみた。ご神木のもとへ。


 昼でも薄暗い林のなかは、蝉しぐれで、とてもにぎやかだ。人影はない。


 朝方に見たことが夢ならいいと、雅人は心のどこかで願っていた。

 しかし、ご神木の根元が大きく掘りかえされたように、土の色が変わっている。周囲にはたくさん草が生えているのに、根元のまわりだけ生えていない。


 やっぱり、そこに人が埋められているのだ。


 雅人は土の色が新しくなっているところを、ちょっとだけ手で掘った。以前、蝉じいさんにもらった蝉のぬけがらを、その穴にうずめた。一人ではさみしいかなと思ったのだ。


 雅人が手をあわせていると、うしろから足早に男が近づいてきた。


「坊主、そこで何してるんだ?」


 ふりかえると、滝川圭介たきがわけいすけが立っていた。祖父母の家の近所の大学生だ。


 雅人は圭介が嫌いだった。大人にあいさつするときはニコニコしているくせに、子どもに対しては、すごくぶっきらぼうで乱暴だからだ。なぐられそうになったこともある。

 雅人はイヤなところでイヤなやつに会って、あわてた。


「……蝉が死んだから、お墓だよ」と言いわけして、近くにころがっていた小さな石を二つばかりかさねた。


 雅人は急いで立ちあがり、走り去った。

 圭介がずっと、こっちを見ていた。

 変に思われただろうか?

 あそこを掘りかえして、死体を見つけてしまわないだろうか?


 それに、だいたい、なんで、あんなところに圭介がいたのだろう?

 林のなかは、子どもの雅人が遊びまわるには楽しいところだ。でも、大人が遊びに行くには、おかしな場所だ。遊べるような施設も、買い物できる店も何もない。

 タケノコ掘りや山菜とりや、キノコ狩りにしては、時期があわない。そもそも、圭介はそういうことをしそうなタイプじゃない。


(もしかして、僕を見張ってたのかな? なんのために?)


 雅人はドキリとした。

 昨夜、死体が埋められていたとき、あの場所に雅人がいたことに、圭介は気づいたのかもしれない。


(そうだ。きっと、そうだ。あのとき、おじいちゃんが僕の名前を呼んでたから、僕がそばにいることがわかったんだ。それで見られてたって考えたんだ)


 だとしたら、蝉じいさんを埋めていた男は圭介だ。

 圭介が蝉じいさんを殺したのだ。


 それからというもの、雅人は祖父母の家に閉じこもった。圭介と顔をあわせないように。


 圭介の家は祖父母の家の、はすむかいだ。二階の窓から外をのぞくと、圭介の部屋が見える。顔をあわせたくはないが、気になるので、それとなく観察していた。


 圭介は急に金まわりがよくなったようだ。まだ大学生なのに新車を買った。毎日、その車で町へ遊びに行く。化粧の濃い女の人といっしょに歩いているところも、よく見かけた。


 やっぱり、あいつが蝉じいさんを殺したんだ。蝉じいさんのお金をとったんだ。


 そう思ったけど、そのことを誰にも打ち明けることができなかった。


「どうしたんだ。雅人。このごろ、虫とりにも行かないし、元気がないなぁ」


 祖父に言われたので、


「ねえ、このごろ、蝉じいさん、見ないね」と言ってみた。せめて、蝉じいさんがいなくなっていることを大人に知ってもらおうと思ったのだ。


 だが、祖父の答えはこうだ。

「ああ、おさむさんか。あのじいさんは夏になると、あちこちに虫を売りに行くからなぁ。一ヶ月くらい留守にすることはよくあるんだよ」


 それで大人が誰もさわがないのか。


 雅人はこれではダメだと思った。家のなかが荒らされていれば、もしかしたら警察が来るかもしれない。泥棒が入ったとわかれば……。


 雅人は蝉じいさんの家に行ってみることにした。

 昼ごろに圭介がいつもみたいに新車で出ていくのをたしかめてから、蝉じいさんの家まで走っていった。


 蝉じいさんの家はあの林の近くだ。神社から言えば裏手だが、林のなかをつっきって行けば、数分でつく。


 古びた平屋建ての家。

 庭の一角にオガくずが山になっている。このオガくずのなかに幼虫がたくさんいるのだ。そのせいか変な匂いがしていた。


 妖怪の出そうな暗い家だ。

 恐る恐る、雅人は家のなかをのぞいてみた。


「こ……こんにちは……」


 とうぜんだが返事はない。


 玄関は土間になっているので、土足のまま家のなかへ入っていった。玄関から見たところでは、とくに荒らされたようすはない。


 思いきってスニーカーをぬいで、座敷にあがってみた。


「誰か、いないの? 蝉じいさん……」


 いないとわかっているのに、聞かずにはいられない。

 他人の家に勝手に入りこむのは悪い気がした。


 探してみたけど、けっきょく、物が倒れたり、血のしみができていたりするところはなかった。


 でも、土間のすみっこに、プラスチックの容器が二十くらい、つみかさなっていた。なかに幼虫が入っていて、みんな暑さで死んでいるようだった。

 変な匂いの正体はこれだったのだ。幼虫の体に、さらに小さい白いウジ虫がたくさん、たかっていた。


 わあッと叫んで、雅人は祖父母の家に逃げ帰った。そのとき、途中の道で圭介とすれちがった。いつのまにか町から帰ってきていたのだ。


 すうっと圭介の目が細くなった。

 今度こそ、怪しく思われた。

 雅人は身ぶるいしながら、祖父母の家にかけこんだ。

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