七ノ章 直心 四

「宇迦之御霊神、灯華よ。お前に対する処分が、本日御上から下った」

 京の都の神々を束ね、高天原に住む神々―天津神達からの下知を受ける役割を担う神、思金神おもいかねのかみが灯華にそう告げたのは、年も明け春も終わり、いよいよ夏の気配も近づく水無月の頃だった。思金神の鎮座する社の中で、灯華は朗々と語る思金神から下知げちを受けた。

 曰く―

「神は人に姿を見せてはならない、神は人と声を交わしてはならない、神は人に想いを寄せてはならない、神は全ての人に対して平等であらねばならない」これら国つ神に定められた全ての掟を破ったことは、決して許されるものではなく、結果穢れを負い神威を落とし、司るべき豊穣の力を失いこの京の都を飢餓により苦しめたことは、稲荷神の名を持つ者にとって大罪である。加えて己の眷属の内に生まれた黒き狐を、既に己の神仕がいるにも関わらず二体目の神仕としたことは、誠に勝手で利己的なものである。これにより眷属達は灯華を主神とは認めず、他の稲荷神の元へ仕えることを望んでいる現状は、神としてらしからぬこと。眷属との主従関係を崩した神が、その社の主祭神でいることは難しく、神威を保つことは難しい。そしてこれまで犯した行為は全て、神として許されざることである。よって宇迦之御霊神の名を剥奪が妥当と判断する。

「この下知、受けるか。否か」

 灯華は思金神を見つめたまま、息を詰めるようにして沈黙した。

「受ける」と、言わなければいけない。これは、神々の長たる者が下した判決なのだから。そう自分に言い聞かせるもしかし、唇はきつく結ばれ、告げるべき言葉は喉の奥に留めたまま。

 あらゆる処分を覚悟して此処に来たが、いざ現実を目の前に突き付けられると、覚悟はたやすく揺らぎ迷いを見せる。揺れ動く胸の内で、秋の終わりに行われた新嘗祭で受けた、人々の想いが一つ一つ鮮明に蘇り、彼女に語りかけた。

 ―来年こそは、多くの実りがありますように。

 ―この土地が、再び豊かになりますように。

 ―京に住む皆に、また恵みと幸いが訪れますように。

 一切の恵みもなく、今も皆が飢えに苦しんでいるにも関わらず、一心に灯華に祈っていた彼らの想いに、応えられずに終わるのか?

 そうなれば、神である自分を守るために、自らの命を投げ打ってまで戦った青葉の想いはどうなる?

 どんな状況でも傍に寄り添って、自分を支えてくれた恵や火守の想いはどうなる?

 自分を信仰し、願うが故に生まれてくれた鏡夜は?

 ようやく日の下で生きられることを約束した刀羅は?

 下知を受け入れてしまったら、これまで自分を信仰してくれた人の願いも祈りも想いすら、全てが無駄になる。

 そんな下知を、受け入れなければならないというのか。

 指が微かに震えるのを感じ、咄嗟に服の裾を握り締めた。

「受けぬのか」

 黙り込む灯華に、思金神は畳み掛けるようにもう一度告げる。無理矢理唇を開けば、舌が絡まったようにうまく言葉を発せられない。喉が震え頬は強張り、口の奥で歯がカチカチと鳴る。

(答えなければならない。全ての罪を、償うために)

 自分に何度もそう言い聞かせ、大きく息を吐き、吸って、早鐘のように打ち狂う心臓の鼓動を抑えながら、灯華はゆっくりと呼吸を正していく。

 長い沈黙の末、微かに震える唇から、ようやく己の想いを声へと乗せた。

「…この下知を、受け入れることはできません」

 その答えに、思金神は全く動じなかった。驚いているのか、失望しているのか、顔を真っ白な布によって覆われた神からは、その表情を読み取ることはできない。反応を窺う灯華に対し、布越しに抑揚のない声が再び問う。

「先程挙げ連ねた罪を認めても尚、か?」

「私が犯した罪の重さは重々承知しております。いかなる罰をも受ける覚悟でいます。けれど…」

「神の名までは、奪われたくないと?」

「そうしてしまえば、私をこれまで信仰してくれた者達の想いを、無下にしてしまいます。彼らの想いにだけはせめて、応えたい…!」

 もう一度宇迦之御霊神として生きていくと決意した日、信仰してくれる者達と共に生きることを誓った。その誓いは、簡単に解けるものなどではない。灯華は指を揃えて床に着き、深々と頭を下げた。

「どんな罪でも受け入れます。どんな罰でも一生背負ってゆきます。ですからどうか。まだ、私は…っ!」

 ―人と共に生きる神として在りたい

「…そうか」

 しばしの沈黙のあと、はぁ、と盛大な溜め息と共に、思金神は呆れたような声を溢した。

「顔を上げよ。灯華」

「…」

 無言のまま灯華が顔を上げると、思金神は続けた。

「これはあくまで、『天津神側』の判断である。そして今一つ、我々国津神もまた、人間達のお前への信仰心を鑑みて処分を決めたのだ。今回のことを忘れぬよう、一生犯した罪に対する罰を受け続けるというのなら、お前に神の名を残そう、と。但し、もう此の地を司る権利はない。別の土地へ遷り、そこを新たに司ることを条件とする」

「別の地、とは?」

「此処より遥か東にある地、武蔵国むさしのくにだ。それ以上の妥協はない。さあ、受けるか、否か」

 揺るがぬ意思と、ひたむきな想いを胸に。

「受けます」

 その言葉に、一切の迷いはなかった。

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