七ノ章 直心 三


 大きく開かれた扉からは、真っ白な光が差し込んできている。記憶の彼方で、黒く塗り潰されてしまっていた外の世界。狂おしいほどに焦がれ、求め、もう二度とは戻れないと諦め手放した希望の世界。

 さわさわと、風に吹かれ木々が擦れる音が聞こえる。ひやりと頬を撫でる風が、冷たくて心地よい。高く蒼く澄み渡る空が、美しいと思えた。溢れる色彩と光に満ちた世界が、目の前に蘇る。

「ほんとうに、いいの…?おれなんかが、その、あなたに仕えるなんて…」

 今もまだ目の前に置かれた現実が信じられず、傍らを歩く「ともかさま」に向かって、恐る恐る問う。「ともかさま」は立ち止まり、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。まるで尊いものを慈しむような優しい眼差し。そんな瞳で見つめられることに躊躇い、僅かに視線を逸らしてしまう。

 ややあって、「ともかさま」はこちらへ歩み寄ると、逸らした視線に合わせるように、俯いた顔を覗き込んだ。

「今貴方が持っているその刀、地面に落とすことはできる?」

「え…?」

「その手を離して、刀を落とすことはできる?大丈夫。落としてしまっても、壊れるようなものではないから」

 そう促され、胸に抱くようにして握っていた刀を、腕を伸ばして宙へと向ける。そうして指の力を抜けば、刀はたちまち真っ逆様に地面へ落ちていくだろう。

 けれど。

「―――っ」

 どんなに意識しても、手はしっかりと刀を握ったまま離れなかった。その様子を見て、「ともかさま」は刀を握る己の手に、自らの手を重ねた。

「手、刀から離すことが出来ないでしょう?これは刀を司る者の証。私の神仕に、貴方はもうなっているの」

「あのねっぼくも!」

「ともかさま」の足元で、「鏡夜」が声を上げる。その細く小さな腕に抱えきれないほどの大鏡を持ったまま。

「ぼくもこのかがみをずっともってるの!ねるときも、ずっといっしょ!ともかさまとも、ずっといっしょ!」

 拙いながらも喜びに満ち溢れた言葉は、自分が求めていた最大の願いの答え。

「…おれはまだ、ここにいても、いいの?」

 絞り出すように溢した声には、大きな不安と同じくらい、大きな希望がこもっていて。

「おれが、あなたに仕えてもいいの?おれ、なんかが…。だって、今まで、誰も…っ」

 一言一言噛みしめるたび、これまでの記憶が溢れ出した涙と共に零れ落ちていく。黒狐として生まれた。侮蔑と好奇の目に晒された。忌み嫌われ、虐げられた。理由も告げられず光を奪われ、闇の中に閉じ込められた。

 もう二度と光の元へは戻れないと希望を捨てた。

 誰にも必要とされることなく、自分の居場所などこの世界にはないと思っていた。

「貴方ではないといけないの。此処が、貴方の生きる世界よ」

「ともかさま」の手がゆっくりと伸び、涙が伝う頬に触れた。

「生まれてきてくれてありがとう。刀羅かたら

 涙で滲んだ世界の中で、「ともかさま」は晴れやかな笑みをたたえていた。だから俺も、精一杯に笑って見せる。生まれて初めて作る笑み。上手くできるだろうか。そんな風に思いながら。一生の誓いとして、告げる。

「一生、貴方にお仕えします。灯華様」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る