七ノ章 直心 一

「生きる意味」

 そんなもの、生まれた時から此の世のどこにもありはしなかった。

 稲荷神に仕える眷属けんぞくの一族に生まれた者は皆、金色や白色の美しい毛並をもっていた。稲荷神のお傍で働くことを許される、尊き身分の象徴だと、皆そのことを誇りとしていた。

 けれど俺の髪と瞳は、生まれつき黒かった。

 一族で唯一黒の毛並を持って生まれた俺の存在は、真っ白な布に滴った一点の墨のようであり、汚点だった。

 食物を司る者にとって、「金」は「幸」を、「黒」は「災厄」を意味する。そんな存在を、受け入れてくれる者などいるはずがなかった。俺を生んだ母親ですら、俺の姿を見るや泣き崩れ、やがて気を狂わせたのだ。

 周囲の者達は、俺の存在を「災厄」の元凶だと考え、恐れ、虐げた。生まれて間もなく、一族の大人達に捕えられ、光の届かない地下牢に閉じ込められた。冷たい鉄の鎖で手足を繋がれ、自由すら奪われた。

「何故」と問うても、誰も答えを与えてはくれなかった。

 いつまで此処にいるのか。いつになったら出ることができるのかすらもわからず。

 耐えていればいつかは出られる。最初こそ抱いていたそんな儚い希望はいつしか消え失せ、やがていつになったら死ねるのかと、それしか考えられなくなった。

 生かされもせず、殺されもしない。生きる意味すら見出せない地獄の日々を、ただ過ごす。


 *


「灯華殿。少し、いいか?」

 火守がそう言って灯華に声をかけたのは、新嘗祭を数日後に控えた夜のことだった。いつものような朗らかな表情とは異なり、少し青褪め、強張った様子の火守に、灯華は鏡夜との手遊びを止め、改まって彼と向かい合った。

「どうしたんですか?」

「先程、気になる話を耳にしてな…」

 火守はどう切り出そうか迷うように目を伏せ、暫く黙り込んでいたが、ややあってようやく口を開いた。

「…稲荷の眷属の中に、黒い毛を持つ仔が生まれていたらしい」

「黒…。それは、本当なんですか?」

 火守の言わんとする意味を察したのか、灯華の表情にも僅かに影が差す。

「あぁ。生まれて間もなくして、すぐに捕らえられ隠されていたらしいが、最近急に表ざた

 になった。しかも眷属達の間では、この京の都を襲った大飢饉の元凶が、その仔だという話

 で広まっている」

「何を言っているの!?あの飢饉は私が原因で…っその仔には何の関係もない!」

 思わず声を張り上げ、灯華は火守に食いかかるように身を乗り出した。灯華の膝元で、二人のやり取りを不思議そうに眺めていた鏡夜が、「ぴっ」と小さく声を上げて身を竦ませる。

「それを知っていてもなお、そう主張しているんだ。たとえ説明したところで、彼らは何か

 と理由を付けて、その仔に全ての罪を着せて亡き者にする気だ」

「どうしてそんな理不尽なことを…」

「これまでは、災いをもたらす元凶だとして殺すことで、本当に災いが降り掛かることを恐

 れて生かしていたらしい。だが、飢饉が起こったことで、状況が変わったようなんだ」

 ―最早、いつまでもこのまま野放しにしておくわけにはいかぬ

 ―事が起きてからでは遅いからな

 ―しかし、殺したところで逆に災いとなりかねん

 ―ならば、下手なことが出来ぬよう、監視下に置いてしまえ

 黒い毛を持つ狐が生まれた時、そんな会話が眷属の上層部では行われていたという。そして審判が下るや否や本人の意思など関係なく、有無も言わさず地下牢に閉じ込めた。

 しかし今回、大飢饉と言う明らかな災いが起こったため、上層部は良い機会を得たとばかりに動き出した。

 彼らにとって、最早大飢饉の真相が誰であろうと構いはしなかった。それどころか、もともと「災いの元凶になりかねないもの」として恐れていた者を「災いを祓う」という大義名分によって、堂々と処分できる絶好の機会が巡ってきたとすら考えたのだ。

 愕然とする灯華に、火守は項垂れるようにして、悔しさを滲ませながら告げる。

「それで今日、その仔の処分が、この京の都で行われるらしいんだ」

「行きましょう」

「はい?」

 言うが早いか、間髪入れずに灯華はすっくと立ち上がり、口をぽかんと開けたままの火守を見下ろした。その立ち姿に、以前のような弱さも、悲しみを引き摺る影もない。

「火守さん、その儀が執り行われる場所、わかりますか?」

「あ、あぁ。話には聞いている」

「案内してください」

 凛とした張った声は良く通り、それでいて否と言わせない覇気を含んでいた。

「その仔は、私が必ず助けます」

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