四ノ章 天つ罪 三
一、陰陽の力は守門の為に使うべし。
一、陰陽の力は人間の為に使うべし。
一、陰陽の力で人を傷つけることを禁ず。
一、妖怪、神との交流の一切を禁ず。
以上の掟を破りし者は、厳しき沙汰ありと心得よ。
*
「掟を破ったな、青葉」
月の昇らない朔月の夜。鳥居の前は異様な静寂さに包まれ、聞こえるのは僅かな風の音と、灯華の押し殺すような嗚咽だけ。その空間に放たれた朱葉の一言は重たく響き、その場の空気を一層張り詰めさせた。
朱葉と彼女の側近達は、青葉と灯華を瞬く間に取り囲むと、じわりじわりとその距離を詰めていく。青葉は灯華を隠すように腕の中に抱き寄せたまま、姉を見つめ息を潜めた。
(知られてしまった)
返す言葉はいくら考えても見つからず、黙ったまま灯華を抱きしめる腕に力を込める。
「お前の奇行に、私が気が付かないとでも思ったのか?」
一歩。また朱葉が足を進める。
「そこをどけ、その女狐を殺す。お前は狐憑きになっているのだ。いい加減目を覚ませ!」
腕の中で、灯華の肩がびくりと大きく震える。当然だろう。人に信仰される神が、人に敵意を剥き出しにされることなど、あるはずがないのだから。
そして朱葉の発した言葉に、青葉は思わず我が耳を疑った。
狐憑き―これは妖狐に体を乗っ取られ、災難や厄、病気を負った者を言う。それは即ち、朱葉が狐の君を妖狐と見なしたことを指す。
「何を言っているんですか!?彼女はこの神社の主祭神ですよ!」
「黙れ!」
声を張り上げた青葉の言葉を、朱葉はより威圧的な声で以て制した。
「お前こそ何を言っている。神が人と交流をするはずがないだろう?そんなもの、その女狐に言わされているだけの戯言だ!」
「違います!僕は狐憑きなんかじゃない!話を聞いて下さい、姉上!」
「例え神だとしてもなんだ?守門を危うくするものならば、神だとて許さん…!」
朱葉は噛みしめるようにそう呟くや否や、印を結んだ左手を口元へと添え、右腕を2人に向けて突き出した。突き出された手の先からは紫電がバチリと音を立てて発生し、一瞬で稲妻が腕全体を覆う。
「やめてください!」
青葉はあらんばかりに叫んだが、朱葉が怯む気配は微塵もない。紫の眩い光を帯びたまま、右腕を大きく振り被り、力任せに振り下ろす。
「―――ッやめろ!!」
朱葉の右腕を、蒼白い光が抉った。少し遅れて真っ赤な鮮血が舞い、みるみるうちに朱葉の腕と白い衣を濡らしていく。
「―――っつ!」
反射的に朱葉は身を屈め、左手で右腕を強く抑える。彼女の横にいた側近がすぐさま怪我の治癒を始めると、朱葉はキッと青葉へと視線を向けた。その視線に射抜かれ、肩で息をし、右腕を突き出したまま茫然と立ち尽くしていた青葉は、ハッと我に返る。
しかしまだその事態を呑み込みきれている者はごく僅かで、皆何が起こったのかと動揺し、事の収集が追い付いていない。混乱するその空間で、真っ先に自分の犯してしまった事象を自覚した青葉は、小さく震える声で式神の名を呼んだ。
「…菖蒲」
肩に掛けた羽織が大きくはためき、内側から風を纏うようにして現れた菖蒲は、いつものような掌に乗る大きさではなく、灯華と同じぐらいの背丈をした女性の姿をしていた。
「狐の君を、逃がして」
ただそれだけ呟いた青葉に対し、菖蒲は何も訊ねず一度だけ頷くと、事態を呑み込みきれずに青葉と菖蒲を交互に見つめていた灯華の手を取った。
「菖蒲ちゃん…?」
「狐の君、暫しの御無礼をお許しください」
言うなり青葉が戸惑う灯華の体に回していた腕を解くと、その体を間髪入れずに菖蒲が抱きかかえた。
「あの女狐を逃がすな!」
朱葉が身を乗り出し、鋭い声を飛ばす。その声に弾かれたように周囲の側近が立ち上がると、一斉に灯華に向けて殺意のこもった陰陽術を放つ。青葉は身を翻して灯華と菖蒲の前に立ちはだかると、羽織を振るいそれらの力を弾き飛ばした。
「急いで!」
青葉の一声に、菖蒲は灯華を抱えて思い切り地を蹴った。
「菖蒲ちゃん!?お願い、離して!」
しかしその言葉に菖蒲からの返答はなく、腕の間から伸ばした手は宙を掻く。振り返ることなく真っ直ぐに宙を見つめ空を翔る菖蒲に、守門は容赦なく追撃を放ったが、全て青葉の力で相殺された。
「青葉っ青葉ーっ!」
離れていく青葉との距離を手繰り寄せようとするかのように、灯華はあらん限りの力で青葉の名を叫んだが、その言葉は虚しく宙に響き消えていく。
菖蒲と灯華の姿が完全に夜の空へ消えたのを見届けると、青葉はふっと両腕の力を抜いた。彼の横にいた浅葱も、主から戦意が消えたことを察すると、加勢の手を止める。青葉が力を抜いた隙に、側近達は彼を取り囲みこぞって陰陽術で縛り上げると、青葉はあっさりと身体の自由を奪われて地面に倒れ込んだ。
「あ、青葉様はどうするのですか…?」
灯華を逃がすためにあれほど抵抗したにも関わらず、拍子抜けするほどあっさりと捕えられた青葉に面喰ったのか、側近達は狼狽えながら朱葉へと指示を乞うた。
「当然処分する。牢へ閉じ込めておけ」
朱葉は眉ひとつ動かさず、無表情のまま淡々と告げた。
「…しかし、青葉様はあの妖狐に憑かれていただけなのでは?」
「だったらなんだ?陰陽術で、我々を攻撃したのは事実だ」
たとえどんな理由であっても、掟を破ることは許されない。
「この事は決して外部に漏らすな。守門の名に泥を塗るわけにはいかない」
青葉の耳に、慈悲の欠片もない冷え切った言葉が届く。けれど今となっては、自分の処遇などどうでもよかった。ただただ、灯華のことだけが気掛かりだった。
瞬間、青葉の体に激しい痛みが走り、くん、と意識が遠のき始める。
(狐の君…)
薄れゆく意識の中、青葉の脳裏に残るのは、涙を溢しながらこちらへ向かって必死に手を伸ばす、愛しい想いびとの姿だった。
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