四ノ章 天つ罪 二
稲荷大社と京の都を繋ぐ参道。その道の脇に生える木の根元に、青葉はしゃがみ込んでいた。額から汗を滲ませ、浅く荒い呼吸の間に濁った咳を繰り返す。俯く彼の背中をさすりながら、浅葱がたまりかねたように悲痛な声を上げた。
「青葉、もう狐の君に会いに行くのはやめよう」
しかし青葉は無言のまま首を力なく横に振る。その姿に浅葱はやりきれない表情を滲ませるが、それでもなんとか食い下がる。
「そんな意地張ってどうするんだよ!狐の君が好きなのは分かってるけどさ、これ以上続けたら、お前の命がもたないんだって!」
「わかってるよ、それくらい」
抑えた手の間から漏れる掠れた声に、浅葱は閉口する。
生きていれば、人間は誰でも多かれ少なかれ穢れを負う。
清浄を絶対とする神にとって、人のもつ穢れは毒のようなものだ。
そして神のもつ清浄さもまた、人間にとっては毒であった。
太陽の光がどれだけ明るく暖かくとも、近付き過ぎれば身を焼く業火になりうるように。
不用意に近付けば、人間は神の気にあてられ、無自覚に傷ついていく。それゆえ人が神を害する行為―即ち交流をもつことは古から禁忌とされており、この禁忌を破れば、それ相応の罰を負うことになる。
青葉と灯華の逢瀬は、この禁忌を犯す行為に他ならない。
齢十九を迎え、凶暴化した悪鬼の退治をより多く請け負うようになったその身体には、否応なく「殺」と「死」の穢れが積み重なっていった。そんな状態で、神である灯華との逢瀬に臨めばどうなるかなど、手に取るようにわかる。
結果青葉は生まれついての病弱が快復するどころか、更に悪化の一途を辿っていた。今では灯華と会っている間すら体に支障をきたしている。無論、今回もだ。
一頻り咳をして、抑えていた手をそろりと口から離すと、吐き出した血で掌は赤黒く染まっていた。
「…」
青葉は無表情のまま掌から視線を外すと、木にもたれ掛りながらゆっくりと立ち上がる。鈍痛の続く頭を無理矢理持ち上げ、屋敷のある西へと体を向けた。日は完全に沈み、紺色へと移り変わった世界の中。都の中心へ続く道の先は、途中で闇に呑みこまれている。痛みに堪え、その闇の中へと足を踏み出そうとした時。
「そこで何をしている」
暗闇から這い上がってくるような冷たく低い声に、全身から音を立てる勢いで血の気が引き、青葉は息を呑む。
「姉上…っ」
凍りついたようにその場に立ちすくむ彼の目の前に、暗闇を分け入るようにして朱葉の姿が現れる。更に目を凝らしてみれば、彼女の後ろには数人の男達が立っていた。全員朱葉に忠誠を誓ったような側近達だ。
「―――っ」
こちらへ向けて歩み寄ってくる彼らの姿を見た瞬間、青葉は迷わず彼らに背を向けると、元来た道を走り出した。左程稲荷大社からは離れていなかったため、彼の目はすぐに朱色の鳥居を捉える。後ろから響いてくる幾多の足音から逃れるようにして、鳥居を潜り階段に足をかけると同時に、階段から灯華が勢いよく降りて来た。
「青葉!」
焦るあまり段を踏み外しそうになる灯華を、青葉は抱き留めるようにして支えれば、灯華はそのまま彼の胸へと顔を押し付けるようにしてしがみついた。灯華の体は小刻みに震え、僅かに漏れ聞こえてくる声には嗚咽が混じっている。改めて彼女の姿を見直せば、着物の裾が所々に裂けて薄汚れてしまっている。
「青葉!前っ!」
浅葱の叫び声に青葉が顔を上げれば、灯華の後を追ってくる人影があった。その影を見た青葉は瞬間、愕然となる。
「どうして守門が…っ」
唇を薄く噛み、呻く。その人影は紛れもなく、後ろから追ってくる人達と同じ、朱葉の側近だった。
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