四ノ章 天つ罪 一
一、神は人に姿を見せてはならない。
一、神は人と声を交わしてはならない。
一、神は人に想いを寄せてはならない。
一、神は全ての人に対して平等であらねばならない。
*
「お久しぶりです、狐の君」
出会った時よりもうんと背が伸び、声も幾分低くなった青葉は、灯華を見るなり微笑んだ。灯華を「狐の君」と呼ぶのは、青葉ただ一人。
これは、誰にも知られてはいけない逢瀬。
青葉と灯華が出会ってもう何年も経ったが、青葉は今も絶えず灯華の元を訪れていた。数日に一度だった訪問が、数週間、数ヶ月に一度と、徐々に会う回数は減ってはいたが、それでも足を運ぶことを止めることはなかった。
鳥居を潜り階段を登って来る青葉に、灯華も階段を下りながら近付いていく。彼との距離が縮まるたびに、灯華は胸の鼓動が徐々に早まっていくのを感じた。
青葉は灯華の目の前に立つと、一度大きく息を吐いた。彼の額からはうっすらと汗が滲んでいる。
梅雨を目前に控えた皐月の終わり。日に日に空気が熱気を帯びるようになる時期ではあるが、日の傾いた夕刻であれば、むしろ過ごしやすい気候ではあるのだが。
灯華の視線に気が付いたのか、青葉はまた笑って見せる。
「すみません、少し走ってきてしまいまして…。それより」
一度言葉を切って、彼は手にしていた桃色の包みを持ち上げた。
「これを、狐の君に」
差し出された包みは両手に丁度収まる程の大きさで、受け取って包みを解いてみると、中からは桃色の紐を花の形に結い合わせた髪飾りが入っていた。花の中央には七つの黄色の珠があしらわれ、花の裏側には幾本にも束ねられた、稲穂を思わせる金色の絹が取り付けられている。単純な作りながら、丁寧できめ細やかに作られた物だった。
「わたしに…?」
手の中にある髪飾りと青葉を交互に見やりながら、信じられないというように問うた灯華に、
「はい。良かったら貰って下さい。初めて作ったので、少し歪なんですけど…」
青葉は笑みを崩さず頷いたが、言葉尻はもごもごと小さく、少し申し訳なさそうに言う。その姿を見て、灯華は無言のまま暫しの間、髪飾りに視線を落とした。俯くと同時に垂れた髪が、彼女の顔を隠す。
「狐の君?」
首を傾げつつ不安そうに灯華を見つめる青葉に対し、灯華は髪飾りを胸に押し当てるようにして抱く。その頬は、にわかに赤く染まっていた。そして、おずおずと髪飾りを青葉へと差し出した。
「この飾り、付けてくれる…?」
青葉は目を細め、はにかむような笑みと共に髪飾りを受け取ると、灯華の髪へと結わえた。ふわりと絹の糸が彼女の髪を滑り、灯華は髪飾りを撫でるように、そこにあることをしっかりと確かめるように、左手で包み込む。添えられた青葉の手も共に。
「ありがとう。ずっと、大切にするね」
そう告げながら青葉を見上げれば、彼の頬にも仄かな赤みが差しているのが見えた。名残惜しげに灯華が手を離せば、青葉は手を引っ込めてそのまま口元に運んだ。ケホンと軽く咳込むと、「そろそろ帰らないと…」と溜息交じりに溢す。気が付けば、もう黄昏時を過ぎて宵闇が迫っていた。
「それではまた。狐の君」
いつもと変わらない、去り際の青葉の言葉。
「うん」
羽織を肩に掛け直し、階段を下って鳥居を潜り行く青葉の後姿を、灯華は見えなくなるまで目で追い続けた。おもむろに髪飾りに触れて、まだそこに残る青葉のぬくもりを感じ、灯華は安堵したようにほう、と小さく息を吐く。
幸せなはずなのに、胸が詰まったように息が苦しい。
顔は緊張と喜びで火照っているのに、背からはじわりじわりと悪寒が這い上がってくる。青葉の姿が見えなった途端、何故だか突然彼の元へと駆けて行きたい衝動に駆られた。その背中を追わなければ、このまま暗闇の中に青葉が溶けていってしまうような気さえする。しかし足は、その場に釘付けされたように動かない。
不安、焦燥、恐怖。
「青葉…」
迫りくる目には見ない何かに怯えて、たまらず彼の名を呼ぶ。彼女の声が夜の空気に溶け入るのと、目の前の鳥居の前に一つの人影が現れたのは同時だった。
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