三ノ章 在渡る 四
「これを身に付けておいてください」
野吉山から戻って来た頃には、日は殆ど西の空に沈みかけており、黄昏の色が京の都を染めていた。都内に入る手前で、青葉は火守に、黒い玉が連なった数珠を手渡した。
「これは?」
火守は掌に乗る数珠を物珍しげに見つめ、ややあって青葉へと視線が向けられる。
「陰陽師が妖怪を使役する時に使う道具です。一般的には」
「じゃあ何に使うんだ?」
要するに一般的な使い方をしないと言う意図を汲み取って、火守ははた、と首を傾げる。
「先程野原にいた時にも言いましたけど、火守さんが探している人は修行者か陰陽師か巫女か…いずれにしても貴方のような妖怪をあまり好まない、というか簡単には入れない所にいる人達の可能性があります」
「だが青葉殿の屋敷に入った時は何も起らなかったぞ?」
そう言う火守の口調はいかにも軽い。その反応に、青葉の表情が少々曇る。妖力が異様に高い彼は、恐らく守門の屋敷に入った時のように、他の場所へも内部の人間に悟られず入ることができるだろう。しかしそこから動くことになった場合に支障をきたしてしまう。
「それは最初に見つけたのが僕だったからです。あれがもし姉上だったら、間違いなく滅せられてますよ」
そんな風に断言されると、さすがに火守の顔からも血の気が引いていく。
「だからこの道具を使います。本来なら妖怪を使役するために…簡単に言えば自分の所有物扱いにしてしまう物なんですけど、これは少し改造して、その効力を弱めてあります。今この道具を使ってできるのは、僕が召喚したいときに、数珠の所有者である火守さんを、僕がいる所にすぐ召喚できる程度です」
「つまり火守には、青葉の『仮の』式神になってもらうってわけ」
浅葱のざっくりとした補足が入り、火守もそこでようやく理解したらしい。数珠を右腕に通し、青葉に見せた。
「これでもし青葉殿が何か手がかりを見つけたら、俺が他の場所で探していても、すぐに駆けつけることが出来るということか」
「はい。僕は仕事の関係で神社に赴くことも多くありますし、他の陰陽師の話を聞ける機会も多いですから、そちらから調べていきます。火守さんはもう一度、京の都を中心に調べ直してみてください」
「分かった」
頷く火守の表情には小さな笑みが含まれており、僅かだが希望が見え始めたことを喜んでいるように見えた。
火守から人探しの依頼を受けてから、早一ヶ月が経とうとしていた。木々を彩っていた赤や黄の鮮やかな葉も、すでに皆冷たい風に攫われて散り、季節がまた一つ進んでいた。しかし、人探しは何一つ進展してはいなかった。
青葉は毎日のように休む暇なく入る任務をこなす傍ら、時間を見つけては情報収集に徹した。屋敷内にある書庫で、過去に一族がこなした任務の内容や事件を洗い浚い調べ、守門の他に四家ある陰陽師一族を訪れた際は、それとなく聞き取りを行い、任務の途中でも修行者に会えば必ず声をかけ話を聞いた。
しかしいずれも、火守の探す人に繋がるものはなかった。すぐには見つからないと予想はしていたものの、ここまで何も手掛かりが掴めていないという現状には、青葉も徐々に焦りを覚えつつあった。加えてその現状に追い打ちをかける事象が一つ。
「大丈夫ですか?火守さん…」
青葉が情報収集に四苦八苦している間、火守もまた必死に手がかりを求め、都内を東奔西走していた。彼らは別々に動いていたものの、3、4日に一度は会い、互いの状況を確認し合っていた。そうして顔を合わせる毎に、段々と火守からは生気が失われていた。今青葉の目の前にいる火守は、初めて出会った頃よりも顔色が一層悪く、少々やつれているようにも見えた。赤々と燃えるような色をしていた七つの尾も、今は燻ったような暗い色に変わり、力なくしなだれている。青葉にはじめ「時間がない」と言った火守の言葉が、ここにきてとうとう現実味を帯びてきた。妖狐の寿命は、もう殆ど尽きかけている。妖力を有り余るほど持っていても、それを留め置く身体という器がもたないのだ。「大丈夫だ」と答える声にも、もう以前のような張りはなく、無理に口角を上げ笑おうとする姿が痛々しい。そんな火守の姿に、青葉は一層急き立てられた。
「早く見つけ出さないと、本当に手遅れになってしまう」
火守と別れ足早に屋敷へ向けて歩きつつ、青葉はやりきれない焦燥感に駆られてたまらず呟いた。
「うん…。あのままじゃ、もったところであと数日だ」
いつもなら楽観的な見解しか口にしない浅葱の言葉が、重たく青葉に圧し掛かる。
屋敷に戻り一番に足を向けたのは姉の自室。毎回任務の終了を彼女に報告するのが、昔からの習わしだ。
「ただ今戻りました」
部屋の前の廊下に座り、几帳越しに声を掛ける。部屋の中は蝋燭の揺らめく明かりで照らし出されており、朱葉の姿もそれによってできた影で確認ができた。
「御苦労」
端的にそれだけ声を掛けられたのみ、続く言葉はなかった。小言を言われるよりはましか。と、膝に力を入れ立ち上がろうとした時、
「稲荷大社…」
朱葉が発した単語に、全身が粟立った。几帳の向こうを凝視しながら、呼吸も忘れて息を呑む。
「なん、ですか?」
何とか平静を装って声を絞り出せば、「次の任務場所だ」という言葉が返ってきて、青葉は気が付かれないようにほう、と息をつき、跳ね上がった動悸を落ち着かせる。
「明日、今年の暮に行われる祭祀の事で打ち合わせがある。相手はそこの宮司だ。粗相のないようにし、くれぐれも守門の顔に泥を塗るような真似はするな」
「…はい」
この動揺が伝わってはいけないと、青葉は返事を返すや否や逃げるようにその場を発った。
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