三ノ章 在渡る 二

 一瞬、火事が起こっているのかと思った。本来ならば薄暗い部屋の中央が、焚き火でもしているかのように赤々と燃え、三方の壁が明るく照らし出されている。

「守門青葉殿か?」

 予想外の部屋の様相に、几帳に手をかけたまま硬直する青葉へ、部屋の奥から声がかかる。青葉が咄嗟にそちらへ目をやると、部屋の真ん中で赤々と燃え盛る炎がざわりと揺れ、その後ろから声の主と思われる真っ白なひとが現れた。

 振り向きながら青葉を見据えたのは、二十代中頃と思われる青年だった。白く長い髪は一房にまとめ左後ろに流しており、前髪で隠れた額には細長い菱形の赤い模様が浮かぶ。金色に輝く双眸は青葉を真っ直ぐに見つめ、その目元はどこか潤んでいるようにも見えた。身に付けた着物は白く、下に着た肌襦袢は赤い。腰には帯の代わりに金属の飾りが巻かれ、眩い金色に輝いている。派手で若々しい外見をしているが、纏う雰囲気はどこか老成していた。そして何より青葉の目を引いたのは、髪の上部に生えた大きな狐耳と、最初に炎に見えた大きな七つの尾。彼の外見をまじまじと見直していた青葉は、自分の名前を呼ばれていたことを思い出し、ややあって答えた。

「確かにそうですけど…。どうしてそれを知って――」

 それを聞くや否や、青年は勢いよく立ち上がると、青葉の眼前まで一瞬で迫った。あまりの勢いにたじろぐ青葉の両肩へ手を置くと、青年は縋るような目で訴える。

「頼む!協力してくれ!」

「え?」

「もう、他に当てもないんだ、本当に…頼む…!」

 肩に置かれた手には皮膚に食い込む程強い力が込められ、彼の意思が文字通り痛いほど伝わってくる。そのうえ、青葉を見上げる青年の目からはぽろぽろと涙が溢れているものだから、無下にもできず青葉はなし崩し的に話を聞く流れとなった。

「…どうしても、会いたい人がいるんだ」

 火守ひのえと名乗った妖狐は一言一言、噛み締めるようにそう言った。ようやく青葉の肩から手を離し、すとんと腰を下ろす。だいぶ落ち着いたらしく、涙も今は引いていたが、目元は少し腫れてしまっている。

「人探し、ですか。その人は一体誰なんですか?貴方とは一体どんな関係なんです?」

 その質問に火守の表情が曇り、一尾一尾が意思を持っているように動いていた七つの尾も、しゅんと項垂れる。

「俺の命の恩人なんだ。だがその人が誰なのか、俺にもわからない。声からして女性だと思うが…」

「どういうことですか?」

 歯切れの悪い返答に、青葉が訝しむように眉を潜めると、彼はぽつぽつと語り出した。


 火守が生まれたのは京の都から左程離れていない山。彼はそこで育ち長く住んでいたが、ある時山に大量の悪鬼あっきが現れた。その悪鬼達は大変狂暴で、火守をはじめ山に住む妖狐や他の妖怪達を意味もなく傷つけていった。基本穏やかな性格で争い事を好まず、強力な妖力を持っていながら相手を傷つけることに使ったことがなかった妖怪達は、抵抗もできず一方的に攻撃を受け、火守もまた瀕死の怪我を負った。怪我によって動けなくなったその時、身を挺して助けてくれた人間がいたという。

「どうしてももう一度その人間に会いたくて、ずっと探していたのだが、未だに手掛かりすら掴めなくてな…」

 最初は京の都を中心に、それから日の国中を探し回ったが見つからず、また再びこの地へ戻って来たという。

「あの、貴方がその人に助けられたのは一体いつのことなんですか?」

 一通りの話を聞き終えたところで青葉が口火を切れば、火守はしばし目線を中空に向け、やがて答えた。

「五十年程前だ」

「ご…っ!?」

 絶句した青葉の様子を見ながら、浅葱が耳元で囁いた。

「仮にこの妖狐を助けた人が二十代の女の人だったとしたら、今はもう七十のばーちゃんだな。これを探すのは結構骨だぞ?」

 青葉はそれに小さく頷くと、その会話が聞こえていたらしい火守は両手を床に付け、狐耳の生えた頭を床に擦り付けんばかりに深々と下げた。

「この通りだ!もうこれ以上時間をかけられないんだ。頼む!」

「か、頭を上げてください!あの、一つ、訊いてもいいですか?」

「俺が答えられるものであれば…」

 下げていた頭をゆるゆると持ち上げ、妖狐は目の前の陰陽師を見据える。その瞳には、揺らぐことのないであろう、固い意志が込められていた。

「どうして僕の所へ?もうここしか当てがないって言ってましたけど…」

「あぁ。京の都に、人でも妖怪でも区別なく相談に乗ってくれる陰陽師がいるという噂を聞いて、訪ねさせてもらった」

 実際は押しかけるに近いが。と思ったもののそこは黙って飲み込む。それよりも…。

「あの、僕に関してそんな噂が立っているんですか?」

 聞き捨てならないのはそこだった。確かに他の陰陽師よりも多く妖怪と関わっていたことに違いないが、それは人を第一に考えて任務にあたる守門一族の信条に背く行為でもあり、妖怪と慣れ親しむなど言語道断と切り捨てる一族には知られてはいけない事実でもある。それなりに気を使っていたつもりだったが、こうも噂になっているのだとすれば、これが一族の耳に入るのも時間の問題なのかもしれない。若干表情が硬くなった彼を見、火守は「知らなかったのか?」と首を傾げた。

「幾人かに訊いて回ったが、皆揃ってお前の名前を挙げたぞ」

「日頃の行いが、まさかこんな客人を呼ぶことになるとはなあ」

 青葉の肩に座り込んだ浅葱は、悪戯っぽい笑みを浮かべて呑気にそんなことを言う。

「笑い事じゃないよ」と諌めつつ、しかしこうしてもう訪ねて来てしまったのなら仕方がない。それにここまで頼まれてしまっては、青葉に断れる理由はなかった。

「わかりました。その人のこと、一緒に探しましょう」

 しゃんと背筋を伸ばし青葉が意を決してそう告げると、火守は一瞬大きく目を見開き、やがて眉をハの字に歪め、今にも泣き出しそうになりながら口元を綻ばせた。

「ありがとう」

 改めてぺこりと頭を下げる妖狐に対し、青葉も本腰を入れて相談に乗る体勢になる。

「そうなると、まずは火守さんと恩人の方が会ったという山に行ってみる必要がありますね。その山というのはどこなんですか?」

「ここから二山ほど越えた所にある、野吉山ひろさちやまという所だ」

 その名を聞いて、思わず青葉と浅葱は無言で顔を見合わせた。

「やったな青葉!」

 沈黙を破ったのは浅葱の方だ。

「こればっかりは朱葉に感謝しなくちゃかもな。任務も遂行できる上、手掛かりも探せる、一石二鳥だ!」

 火守が挙げた名は、まさしく明日、青葉が悪鬼退治の任務を負った山の名だったのである。

 肩の上でぴょんぴょんと跳ね回る浅葱を傍目に、青葉は再び火守へ視線を戻し、もう一つ気になっていたことを口にした。

「それにしても、一体どうやってこの部屋まで入って来れたんですか?」

「どうやってと言われても、普通に入って来たんだが?」

 やや緊張の色を含めて訊ねた青葉とは裏腹に、火守は何気ないように答える。

「…」

 屋敷の周りには、妖怪除けの結界がしっかりと張ってある。それをあっさりと越えて入って来れたということは、おそらく相当の妖力の持ち主なのだろう。しかも妖怪の侵入に屋敷中の誰も、青葉でさえも気が付けなかったということは、その妖力の扱い方も余程慣れているということになる。そんな妖狐が瀕死状態になるということは、悪鬼の強さも楽観視できないものだということだ。

 悪鬼の退治に、手がかりの少ない人探し。加えて、蹴りはしたものの消えてはいないであろう見合話。そして、会いたくてもなかなか会いにいくことが叶わない豊穣の女神。目の前に鎮座する問題を改めて並べ立て、青葉は小さく溜息をつく。しかしこうなってしまった以上、もう腹を括り問題を一つ一つを打開していく以外他に方法はなさそうだった。

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