三ノ章 在渡る 一

 紅や黄に染まった葉が、はらりひらりと冷たい風に乗って舞い落ちる神無月の頃。中庭に面した屋敷の廊下を歩きながら、青葉は盛大な溜息をついた。

「とうとうあの話を持ち出されちゃったかー」

 彼の隣に浮かんでいる式神、浅葱がしみじみといった風に呟くと、「うん」と力ない相槌が返ってくる。声変わりを終えたその声色は幾分低くなっていたが、まだ僅かに少年のような幼さも残っていた。

 突然両親に呼び出され、両親と姉を前に改まって座し、一体何を話されるのかと思えば、持ち出されたのは見合話であった。

 守門一族の長男として生まれた以上、このような話がいつかなされるだろうということは、薄々予想がついていた。早く嫁を貰って世継ぎを産ませ、守門の跡継ぎを確固たるものにする。そういう算段なのだろう。

 けれど彼はそれを、「自分には相応しくない」と突っ撥ね、驚く両親を尻目に部屋を飛び出してきてしまった。元服を終えてからというもの、青葉はこのような問題にずっと悩まされていた。成長すればするほど自分が置かれている立場を思い知らされ、これから起こりうる物事へ思いを巡らせる度に、気分は鬱々と暗く沈んでいく。また一つ溜息を溢した青葉を傍目に、浅葱は険しい表情で以て腕を組んで唸った。

「しっかし、あんな態度をとっちゃったからには、あの朱葉が黙っているとはー」

「待て青葉」

 浅葱の言葉を遮り、威圧的で氷の如く冷たい声が背中を貫いた。青葉は立ち止まり、一拍置いて振り返る。青葉の目線の先には、眉間に皺を寄せ、怒りに満ちた目でこちらを睨みつける朱葉の姿があった。朱葉の名前を持ち出していた浅葱は、小さく悲鳴を上げて青葉の服の袖の中に勢いよく潜り込んだ。廊下を荒々しく進み青葉の目の前で立ち止まると、彼女は親の仇でも見るかのような眼差しを寄越す。

「なんのつもりだ」

 青葉が訊ねるよりも早く切り出された朱葉の言葉に、無論「何が」とは返さない。先程の見合話以外に心当たりはないからだ。普段よりも低く、見えない棘を無数に纏った声色の裏には、彼女の沸き立つ怒りの感情が見え隠れしている。

「…守門の跡継ぎならば、僕よりも姉上の方が、ずっと相応しいではないですか」

 これ以上彼女を刺激しないよう、言葉を慎重に選びつつ口を開いたつもりが、これまで静かに溜め込んできた鬱憤が一言の内に吐き出された。袖の中に隠れた浅葱が慌てたように青葉の腕を引っ張るが、一度口をついて出た言葉は止まらない。

「確かに僕は守門一族当主の長男です。ですが、一族を率いるというのなら、姉上にその素質はあるでしょう?周りから「病弱」で「ひ弱」だと言われて、表にほとんど出れてもいない僕に、それができると思いますか?」

 目の前に佇む朱葉を、青葉は怯むことなく見返した。背は彼女の方が高いために、少しだけ見上げる格好となる。

「できるできないではない。長男が家を継ぐのが一族の掟だ。それに逆らうことが許されるはずがない。己の病弱を下らない言い訳に使うな」

「…」

 有無も言わせない朱葉の口調に、青葉は口を噤む。確かに、ただの言い訳と言われてしまえばそれまでだ。

 けれどこの跡継ぎの問題が、掟の一言で片付けられてよいものとは到底思えなかった。青葉は朱葉のように、当主である父の右腕として一族に慕われ、また畏れられているわけでもなければ、一族を統率するほどの発言力と行動力を持ち合わせてもいない。

「神童」と言われるほど陰陽道に長けた力を持ってはいるが、それが十分に生かせるほどの体力がない。その上、黙って任務を忠実にこなせばいいものを、時折指示に背き、独断で動くことさえあった。どちらが一族の跡継ぎに相応しいかなど、一目瞭然だ。

「…姉上は、それで本当に良いのですか?」

 彼女を真正面から見た時、短く切り揃えられた藍色の髪が目に入った。数年前まで腰に届くほどに長かった髪が、今は肩に届くこともなく、首筋が覗くほどに短くなっている。鋭い双眸と合わせれば、彼女はもう男性にしか見えない。

「朱葉が男であったなら」

 そんな言葉を、幾度となく青葉は耳にしてきた。そして彼女自身もまた、そう思っているはずだ。睨みあう傍から、朱葉の表情がますます険しいものへと変わっていく。拳を固く握りしめ、爪が皮膚に食い込んでいるのが目の端で見えた。けれどここで、青葉は言葉を切るつもりはなかった。

「男だから、女だからって…そんな掟に縛られる必要がどこにあるんですか?」

 幼い頃から、掟によってありとあらゆる物事を制限されてきた。それでも今、青葉は掟のために名前すら知らない娘と、掟を破って逢瀬を重ねている。掟は守るべきものだとわかっていつつ、それに必ずしも従ってはいなかった。それは自分の中で全てを選択しようと決めたからだ。正しいことも、悪しきことも、その判断は自分で下すと決めた。たとえそれが傲慢なことと非難されようと、もう決して揺るがない。

 けれど朱葉は違う。心の底から守門に執心し、全ての守門を肯定する。守門の掟が全てであり、彼女の正義だ。

「掟があるから、今の守門の安泰がある。それを破れば先代の努力が全て水の泡だ。それが何故わからん!」

「何故掟が全て正しいと思うんですか!その古い掟に縛られて、一族が衰退する可能性があると考えたことはないんですか!?」

 痺れを切らしたように朱葉が声を荒げれば、青葉も負けじと声を張り上げた。廊下を通りかかった人達が、何事かと足を止め、不安げな視線を遠巻きに向けてくる。

 無言のまま睨みあう二人の間を割くように、不意に白い鳥がついと飛んできた。それは朱葉の胸の前でくしゃりと形を変え、あっという間に一枚の書面に変わる。誰かが寄越した式神だった。朱葉が苦々しげに青葉を目線から外しその書面に目をやった隙に、青葉はさっさと踵を返した。同じ血を分けた姉弟であるはずなのに、二人の意見はいつだって対立する。これ以上言い合っても、意見はずっと平行線を辿るばかりだということは予想がついている。

「青葉」

 歩き出した青葉の背に、再び朱葉の声がかかる。それは先程の感情の露呈など微塵も感じさせない、事務的で冷静な声だった。「はい」と答え振り返れば、目の前に白い紙が音もなく飛んできた。それを受け取り見遣れば、そこには明日の日付と京の都から左程離れていない山の名。そしてその下には短く「悪鬼ノ殲滅」とだけ書かれていた。

「明日のお前の任務だ。一日で終わらせろ」

 青葉が書面に一通り目を通したのを見計らって投げられた言葉に、「わかりました」と短く答え、青葉はその書面を持って今度こそその場を後にした。


「聞きながらずっとひやひやしてたんだからなー」

 朱葉の気配が完全に離れたのを確認し、浅葱は隠れていた袖の中から抜け出ると、うんと体を伸ばす。それから青葉が手にある書面を横目見た。

「んで、また仕事か?ほんっとにお前に容赦ねーな。あーあ、これじゃまた暫く、あの娘には会いに行けそうにないなー」

 浅葱は心の底から残念そうにそうぼやく。あの娘―狐の君と出会って、もう数年の時が経っていた。今も出会った時と変わらず、時間があれば人目を避けつつ彼女のいる神社へ足を運んでいた。今回の見合話が出た時も、真っ先に思いを巡らせたのは彼女のことだった。人生の伴侶を選ぶのなら彼女がいいと、そんな大それたことを。神と人間など、所詮不釣り合いな関係だと分かっていながら、それでも想うことを止めることができずにいた。だからこそ、この見合話を「相応しくない」などと言って拒絶したのかもしれない。

「そうだね」

 青葉が足を止めたのは、守門一族の広大な屋敷の中でも最奥に位置する自室の前。廊下と部屋を区切る几帳を持ち上げ、中へと足を踏み入れる。すると、

「なんで青葉は、こうも問題ごとを招き入れるんだろうな?」

 先に部屋へと滑り込んだ浅葱が、呆れ半分関心半分の声を上げた。どういう意味かと訊ねるより早く、青葉は部屋の中を見、理解した。部屋の中では、すでに先客がいたのである。

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