スライドバー

 初めて練習スタジオで音を出した時のあの感じ。マーシャルのアンプに四発のスピーカー。どこのメーカーかもわからない安物ギターを直結、更にフルテン。音じゃない振動。それが内臓、背骨に到達する。パワーコードのストローク一発で頭の中が沸騰しそうな快感。三十代を目前にそんな事をふと思い出した。

 自宅近くの駅までおよそ二十分。いつものようにドア近くのシートに座る。終電間際の時間帯なので人もそれほど多くない。仕事が終わる時間がだいたいいつも同じ時間なので乗っている人もだいたい同じような顔ぶれのような気がする。くたびれたスーツのサラリーマン。まだまだ遊び足りないような大学生。自分の場合は中身もくたびれてんな、なんて思う。心地よい揺れもつかの間、ドンっと重い振動が体を揺らすのと同時に電車が急にブレーキをかけた。乗客みな一斉に顔をあげて周りをきょろきょろ見渡している。駅から離れた場所だから人身事故はないんじゃない? なんて向かい側に座っていた大学生逹が話しているのを聞いてなんとなく納得する。多分鳥か何かがぶつかったんだろうと思う。電車が動きだすまでしばらくかかると車内アナウンスの声。まぁ仕方ない。特に急ぐ用もないし。

 動くまでの時間何をして潰そうか考えたものの特に無いと気づいた時の軽い絶望感。軽い溜め息を一つ吐いてぼんやりと窓の外を見ると、ちょうど街頭ビジョンが見えた。音が聞こえないのでよくわからないが映像だけでもわかる内容に何故か感心してしまう。テレビと違って自主制作のようなローカルCMが流れているので

新鮮な感じがした。

「あっ」

 思わず声がでた。

 街頭ビジョンに見覚えのある名前が映っていた。昔同じライブハウスにでていたバンド。ドラム、ギター、ベースのスリーピースなのに四人目のギターの音が聞こえるって変態バンド。

モノクロでストロボライトの中で演奏するメンバーがすごく格好よく見えた。音が聞こえた気がした瞬間、鳥肌がたつ。CDジャケットの写真にはギターボーカル金髪お団子口ピアスの優子、ロン毛のベース深沢に冴えない大学生っぽいドラムの大田代。間違いない。知ってる奴らが街頭ビジョンに映っているのはなんとも不思議な気持ちがした。

 それに引き換え自分は。電車の窓に映った今の自分を見てなんとも言えない気持ちになる。何がどうしてどうなってこうなった。別に今が嫌いなわけじゃない。楽器を弾ける場所もある。自分は身の丈を知っている。何故だか自分にそう言い聞かせる。次のCMが流れ始めたころ、ゆっくり電車が進み始めた。

 

 

「それ、なんで中指なんすか?」

 五月ちゃんが眉間にしわをよせながらフレットを押さえている左手を指差した。

「なんでって、パワーコードとか押さえるとき楽だし、中指以外で使ったことないんだよね」

「スライドバー使うときパワーコード使わんじゃん? なら薬指のほうがいいと思うけどなー」

「なんで薬指のほうがいいの?」

「なんでっておさまりがいいんすよね、シンプルに」

 評論家みたいにステージ近くの丸テーブルに腰掛けながら頷く五月ちゃんを横目に今日演奏する曲の練習をする。ディナーが始まるまではまだ時間がある。

「あんたも練習しときなって」

 カウンターから出てきた涼子さんが五月ちゃんの頭ペシッと叩くとしぶしぶステージに上がってきた。オーナーには逆らえないらしい。自分の体よりも大きいウッドベースを抱えながらカウント、イーアルサンスーといちにさんしどっちがいい? と聞いてくる。僕は椅子に座ったまま黙って片足でたん、たん、たん、たんとリズムをとった。五月ちゃんがそれ? と言った気がした。

 レストランのディナーまであと少し。僕らは一通り演奏曲の順番を確認し合い、慣れた曲は飛ばしてあまり演奏しない曲を中心にリハーサルをした。オーナーしかいないテーブル席に座るだろうお客様を想像して。毎週末の土曜日のルーティーン。

 


 ディナーが終わり休憩室に入るとテーブルに突っ伏している五月ちゃんが独り言のように何度も「マジで疲れた」とつぶやいていた。タコツボから取り出されたタコみたいで面白い。換気扇のスイッチを入れて煙草に火をつける。

「……大丈夫?」

「大丈夫なわけないじゃないですか、昼からほぼ動きっぱなしなんですよ? バイトが二人急に休むからうちらが割食ったんじゃないですか。本来ディナーがある時うちら昼は休みなんですよ?」

「まあ、そうだね」

「今の若いのは責任感とかないんすかね?」

「あれ? 五月ちゃん今いくつだっけ」

「二十五ですけど?」

「いや、聞いてみただけ」

 タコのように延びている五月ちゃんの正面に座る。

「……帰ろうか。着替えてからにする?」

「……もう、このままでいいです」

 そう言うと五月ちゃんはやっと顔を上げた。

 

 もう人前で楽器は弾かないだろうなと思っていた。バンドをやめた時に未練とかそういうなんか女々しいもんは捨てたはずだった。なのに結局形を変えて演奏している。それってどうなの? とは思う。バンド時代からバイトしているレストランのオーナーに誘われたから? ってそれは言い訳なんだろうけど。


 後片付けを任せて僕らは店を出た。

 繁華街から少し離れているとはいえ視界に入るキラキラした灯りがまだ夜はこれからだと言っている気がした。途中、駅の近くのコンビニで飲み物と煙草を買って次の電車が来るまでの時間、人もまばらなホームで待つことにした。

「やっぱり着替えてくればよかった。めちゃくちゃ目立ちません? 給仕服」

 ネクタイをヒラヒラさせながら五月ちゃんは困ったような表情をする。

「大丈夫だよ、誰もみていないと思えば」

「気の持ちようってことですか?」

「そうだね」

 あきらめたように小さく溜め息をつく五月ちゃんは椅子に深く座って足を延ばした。うちの制服は男女共用で女の子もスカートではなくパンツスタイルなのでそんなに気にならないと思うけど。

「……今日も来てましたね、井上さんのファンの人。あの人昼も来てましたよね?」

「ああ、斉藤さんね。良いお客さんだよ」

「良いお客さんってほぼ毎日きてません?」

 五月ちゃんの眉間にシワがよっている。

「斉藤さん社長夫人なんだよね、そんで自分も会社経営してるらしいからお金と時間に余裕があるんだよ。人生の暇つぶしみたいなもんじゃない? 変な事はしてこないからね」

「私だったら無理だなー」

「五月ちゃんは女の子だから」

「いや、違うんです。私がオーナーだったら我慢できないなーって。あ、電車来ましたよ」

 そう言って立ち上がるとスタスタ歩いて行く五月ちゃんを追いかけるように電車に乗った。ドア近くの手すりにもたれかかる。

「知らないと思ってました?」

 意地悪く笑う五月ちゃん。

「だから言ったじゃないですか、スライドバーは薬指がおさまりがいいって。オーナーも喜ぶんじゃないですか? 余計なお世話かもしれないですけど。それじゃ私次の駅で降りるので、お疲れ様でした」

 にこりと笑って五月ちゃんは離れて行ってしまった。 

 人生ってのは諦めの連続って誰かが言ってたのを思いだした。それはつまりそこから何か新しい何かを始めるスタート地点なんだって事なんだろうと思う。電車に揺られながら考える。来週、銀色のスライドバーをどこにつけようか。

 

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