ちょうどいい
夏の終わりってのは何でこうも切ないんだろうねなんて一人呟く。公園のベンチの上、ぼんやりと紫色の空と沈みかけたオレンジ色の太陽を眺めながら何故だかため息が出た。じゃーねーと、影を伸ばして友達に手を振る小さな子供を見て、あんな時もあったもんだと年寄りくさい事を思ってしまう年になったと改めて思う。夕方。六時。
「ちょっと! ウォシュレット! ウォシュレットついてた、公園のトイレなのに! すごくない? そんで、すごいキレイになってる!」
小走りで戻ってきた華が公衆トイレの方を指差している。
「今時普通じゃないの?」
そう言った僕の反応が面白くなかったのか少し拗ねた表情をしていた。
「だってさ、うちら子供の頃あのトイレすんごい汚かったよね? 落書きとか一杯で」
「何年前の話だよ。時代の変化ってやつだろ」
「へぇー、大人になりましたねー。落書きしてた張本人がそんな事いうんだー。相合い傘の落書きとか」
「その子には振られたよ」
「知ってるから言いましたけど?」
目の前に立ってどや顔をしている華に、暗くなる前に買い物済まそうかと急かすと、仕方ない、プリンで許そう、と言って手を伸ばしてきた。僕はお手をするみたいに華の手を握る。昔から、こうすると華が喜ぶ事を僕は知っている。華も僕が喜ぶ事を知っている。
昔、近所の友達と遊んでいた公園は見た目にはほとんど変わりないように見えた。遊具の配置も、周りの植木の配置も。でもやっぱりなんか違うんだなと思う事に別段なんの感慨も無いんだけど。
「でも、珍しいね。いつも近くのスーパーでいいじゃんなんて言うくせに」
「たまにはいいだろ?」
いっぱい歩くと足がいたくなるんだよねーなんて言いながらも、象の滑り台やジャングルジムがまだあるのを見つけてはハーフアップにした髪を揺らしながらはしゃぐ華を見ているとまぁ、いいか、なんて思う。
人が少なくなった公園を出て、近くの商店街へむかう。ぽつりぽつりと提灯みたいな街灯が道の先を照らす。小さな町とはいえ通りは仕事帰りの人や子供の手を引く主婦が結構歩いていた。昔、母親と一緒によく買い物をしていた個人経営のスーパーによって、今日の晩御飯の食材を選んでいると顔見知りの店長が声をかけてくれた。しばらくぶりだな、とか言いながら簡単に挨拶をすませると店長は華に聞こえないように小さな声で、お前らまだ結婚してねぇのか? とにやにやしながら聞いてくるので、僕はその時はまた来ますと返した。華も同様に昔から知っている。
「二人とも何の話してんの?」
何でもねぇよと笑いながら店長は奥に引っ込んでいった。
「別にいいけど。今日何か食べたいのものとかある?」
「何でもいいよ」
「何でもいいってそれが一番困るんだけど」
そういいながら買い物カゴに食材を迷いなく入れていく華。店内をぐるりと一周する頃にはカゴがいっぱいになり、中を覗くと今日の夕食がカレーだということはわかった。プリンも忘れないところがしっかりしてる。会計を済ませて店長に挨拶をして店を出た。
日が暮れる少し前。商店街をぶらぶら歩きながらバス停へ向かう。昔からあるお店に混じって新しいお店もいつくか増えていた。
「昔より食べ物屋さん増えたよね?」
ほら、あそこもなんて指差しながら華が言う。
「そうだね、ここの居酒屋もなかったよね」
そんな話をしていると中から半被にねじりはちまき姿の店の人が暖簾を持って出てきて目が合った。お客さんと勘違いをしたのか、「お待たせしました、どうぞー」と声をかけてきたので、すみません通りすがりですと言うと店員さんは少し顔を赤くして、「すみません、また今度寄っていってくださいね」とそそくさと中に入っていった。
「感じの良い子だったね、いくつぐらいだろう?」
「そう? 結構いってんじゃないの?」
そう言いながら先に歩く華の横に並んで空いている手を握る。その後、出店みたいなところでたい焼きを買ってからバスに乗った。アパートにつく頃には暗くなっていた。
ドアをあけて中に入り、灯りをつけ台所に買い物袋をドサッとおろすと小さくよしっ、と気合いを入れる華に、手伝おうか? と聞くと邪魔だからあっち行っててと一蹴されてしまった。テレビを付けてベランダにでる。部屋の中でタバコを吸うと華が嫌がるからと思い買ってきた小さな椅子。ちょこんと腰掛けてアークロイヤルのタバコに火をつける。心地良い風にふかれ、ぼんやりと星空を眺めながら。
例えば明日、目が見えなくなったら。
例えば明日、耳が聞こえなくなったら。
例えば明日、口がなくなったら。
例えば明日、両腕がなくなったら。
例えば、例えば、例えば、例えば。
少し開いた窓の向こうからカレーの良い匂いがした。
「できたよー」
小さなテーブルの上にカレーとサラダとプリン。いつもの定位置。カレーを頬張る華。そんな事がただ嬉しい。
「どう?」と言って顔覗き込んでくる華。
「うまい」と僕は笑う。
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