013. 佐奈のアトリエ
全私が震撼したみや先輩パンチラ騒動を(私の中で)収束させた後、またテスト勉強を再開してから一時間程が経過すると――
「佐奈、お昼ご飯持ってきたわ。ドアを開けてくれる?」
母が二人分の昼食を持ってきてくれた。ダイニングでなくとも食べやすいようにという配慮なのか、サンドウィッチだった。
「ありがと、お母さん」
「お、お邪魔してます」
「いらっしゃい。あなたが――」
「いいから、早く戻って」
「もう、ちょっとくらいいいじゃないの」
半ば強引に締め出すと、母はぶつくさ言いながらも一階へ戻っていった。
母だけだったなら、先輩も挨拶したがっていたから別に良いと思っていたのだが、その背後にアサシンの如く姉が張り付いていたのだ。もし中へ入れてしまえば、みや先輩に対して何を言い出すか分かったものじゃない。
だから、みや先輩が家に上がった時もリビングには通さなかったというのに、危うく私の努力が水の泡に帰するところだった。やはり、気を抜いてはいけない。
「すみません、先輩。お騒がせしました」
「そんなことないけど……。やっぱりちゃんとご挨拶させてもらったほうが良かったんじゃないかな」
「大丈夫ですよ、気にしないで下さい。それよりお昼にしましょう」
「えっと、うん」
みや先輩は随分と気にしているようだけれど、私の尊厳を守るためにも本当に気にしないでもらいたい。
「わあ、凄い! 佐奈のお母様はお料理がとても上手なんだね」
それはそれとして、母の作ってくれたサンドウィッチ――それそのもは私にせよ、みや先輩にせよ、見慣れているし、食べなれているものだ。だからこそ飽きないように具材はヴァリエーションに富んでいて、そんじょそこらのファミレスなんかではまずお目に掛かれないクオリティで作られていたから、みや先輩は最初、目を丸くして唖然としていた。
「私が言うのもなんですが、趣味が高じて料理教室を開いてるくらいなので、上手いと思います。私も時々教えてもらってますけど、全然敵いません」
「でもこの前交換した佐奈が作ったお弁当、すっごく美味しかったよ。佐奈も上手だよ」
「そんなに褒めたって何も出ませんよ」
「うぅ……」
「ほら、早く食べましょう」
みや先輩はまだ何か言いたそうだったが飲み込んで、昼食に手を付け始めた。するとやっぱり美味しく感じたようで、具材をどうやって作っているのか探りながら、楽しそうに食べ進めていた。
そんなみや先輩を見ていたら、ついさっき話題にも出たお弁当交換をした日の彼女を思い出していた。私は母と違い、楽しいと思って料理をするわけじゃないけれど、でも、みや先輩がそんなに喜んでくれるのなら、今度は最初から彼女のために作るのも悪くないかな――自然と、そう思えた。
美味しい昼食を終えた私たちはお昼休憩という名目の下、以前から先輩が見たがっていた私のアトリエへ彼女を案内していた。
「いつもここで描いてるんだね」
みや先輩はしみじみと見入っているけども、別に大したものは何も無い。
あるのはイーゼルと椅子、絵の具や筆などの画材が結構色々、描くときに着用する絵の具だらけのピンク色のエプロン。部屋の隅には最近あまり使っていないけど静物のモチーフを置くための台。それから国内外問わず、画家の作品が沢山載っている本を立ててある本棚。これは資料用だ。
室内にあるものといえばそれくらいで、他に特筆すべき点は――床が絵の具で汚れていることだろうか。正直、これに関してはちょっとだけ恥ずかしい。
言い訳するなら、私だってこの部屋を与えられた最初の頃は描く度にちゃんと床を拭いていた。けれどしばらくして、両親から「この部屋はいくら汚したって構わない。それよりも描きたいものを沢山描きなさい」と言ってくれたのだ。ただ甘えているだけだと言われればそうかもしれないが、私にとってはそれも両親との思い出の一つだと思っているから、もう何年もそのままになっていた。
もちろん、放置しているのは絵の具だけであって、埃なんかはちゃんと掃除している。
「ねえ、佐奈!」
「はい」
「エプロン着けてくれない?」
「いつも部活の時に着けてるじゃないですか」
「ここでしか見れない佐奈が見たいの! ね、お願い」
何のありがたみも、目新しさすら無いというのに、みや先輩は手を合わせて拝み倒してくる。部活中ならまだしも、プライベートで絵の具に塗れた姿を晒すのはやはり気が進まないものの、彼女にここまで一生懸命に頼まれると少しくらいならという気持ちが芽生えてくるのだから不思議だ。
「仕方ないですね」
「やった!」
イーゼルに掛けてあったエプロンを取り、手早く身に着けて、みや先輩に向き直る。
「制服にエプロンも可愛いけど、私服でも可愛い!」
「そうですか? 私にはとても人に見せる格好とは思えませんが」
「ほっぺにも絵の具がついてたらもっと……」
いくらこの場にはみや先輩しか居ないとはいえ、そんな醜態を晒してなるものか。私は努めてジト目を向ける。
「そんなこと言ってもつけませんよ」
「……ダメ?」
「駄目です」
「どうしても?」
「どうしてもです。それより、そろそろ勉強に戻りますよ」
私は早々にエプロンを外してイーゼルに掛けなおすと、みや先輩の手を引いて私室に戻った。その間、後ろでゴネていたようだけど、知らぬ存ぜぬを貫き通してやった。時には反抗も必要である。と、どこぞの偉人が言っていた――かもしれないが、記憶にございません。
十五時頃、また背中に姉を張り付かせた母がおやつの差し入れに来てくれたから物資だけ受け取って、姉ごと母をリビングへ返品するという一幕もあったが、何とか私の努力は報われて、終ぞみや先輩と姉が邂逅することは無く、私によって私の尊厳は守られた。
少しして、みや先輩がお手洗いに行くというので場所を教えて見送ったまでは良かったのだが、彼女が部屋から居なくなったことで緊張の糸でも切れたらしく、勉強疲れがドッと押し寄せてきたのが分かった。
基本的に普段から眠気に抗わない私はみや先輩が戻ってくるまで少しだけ――と、ベッドで横になったのが悪かった。
「やっちゃった……」
目を覚ますと部屋は薄暗く、私一人だった。頭先のデジタル時計は無情にも十八時四十七分を表示していて、寝起きのぼんやりとする頭で三時間も寝ていたのだと理解する。
被っていなかったはずの布団を被っていたから、みや先輩が掛けてくれたのかもしれない。
私の心にはそれに対する感謝と、どうして起こしてくれなかったのかという理不尽な要求と、勉強を見てもらっていたのに寝てしまったという罪悪感が少し、残っていた。
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