009. みや先輩専属モデル

 みや先輩に近寄る不埒な輩を追い払った後、私達は電車に揺られていた。土曜日でお出かけする人たちが多いと思っていたけれど、九時過ぎという電車に乗るには少々中途半端な時間のせいか平日の混雑が嘘のように乗車客は見受けられなかった。ではガラガラかと問われればそうでもなく、座るためには席が空くのを待つ必要がある程度には乗っていた。私達はすぐ降りるからドアの近くに立ったままだけれど。

 ガタンゴトンと音を立て、定められた目的地へ向けてレールの上を走るそれ。

 よく、敷かれたレールを走る人生なんてつまらないだとか、人生にはレールが無いから面白いだとか言うけれど――それは、それを楽しめる人だから言えることで、決められた人生を歩むほうが楽で良いと思う人だって少なからず居るはずだ。

 私は――どうかと考え、答えなど出ないとすぐに思い至った。だって、そうだろう。そんなものは所詮、何十年と生きた上での経験に基づいて出てくるものだ。家と学校が世界の全てな私に一体、人生の何が分かるというのか。これがどこかの社長令嬢で、婚約者も決まってるだとかいうのなら話は別だろうけれど、生憎と私は一般家庭の娘でしかなかった。

 みや先輩とお出かけだというのに、どうして高校生らしからぬこんな哲学ごっこをしているのかと言えば、電車の中だから。その一言に尽きる。日本では電車に乗る時、静かにしなければならないという暗黙のルールとさえ言えるようなマナーがある。

 私は周囲に迷惑を掛けなければ普通に会話していいと思っているし、実際に小声だけど話している人たちだっている。でも、やはりそこには前提として静かにしなければならないという同調意識のようなものがあって、それが日本人の良いところであって、悪いところでもあるのだろう。

 以前、家族旅行で海外へ行ったときに乗った電車では、現地の人たちの多くが周りを気にせず喋っていた記憶がある。それもあって、やはり民族の違いから来るのだと思う。

 みや先輩にしても、そこそこの人が居る電車の中でぺちゃくちゃ喋るつもりは無いらしく、乗ってからもずっと手を繋いだまま、私を見てニコニコやらニヤニヤやらしているだけだった。それに従って私も静かにしていたら、別に哲学が好きなわけでも無いけれど、黙っている間に頭に浮かんだことに関してつい考え込んでしまっていただけなのだ。

 そしてもう一つ。車窓から見える景色も私に不思議な感覚を与えてくれるものだ。近い景色ほどもの凄い勢いで流れていくその様は、まるで自分が隔離された別世界からこの世界を覗き見ている感覚で、いつまでも飽きさせてはくれない。

 そんな事を考えているうちに降車駅へ到着したらしく車内にそれを告げるアナウンスが流れ、隔離された世界から、先ほどまで観察するしか許されなかった世界へと開放される瞬間が私に――私たちに訪れた。

 一歩だ。たったの一歩、電車から出るだけで――そこはもうありふれた日常だった。

 電車とは、本当に不思議な感覚を味わわせてくれる。だから、たまに乗るそれが私は好きだった。

 みや先輩に手を引かれて駅のホームを移動し、改札を抜ける。乗車駅から三つほど離れた駅近くにある、大型のショッピングセンターがある街へとやって来たのだ。


「着いたね。じゃあ、行こっか」

「はい」


 みや先輩が先輩らしくエスコートしてくれるようで変わらず手を引かれ、目的のお店へ向かって歩いていく。

 そうは言っても私はそれがどこか知らないから、どこへ行くのだろうかと考えを巡らせてみる。

 まだ午前九時三十分だ。時間的に考えて食事という線はまず無いと思う。お互いに朝食は家で済ませてきているのだし。他の選択肢としては、こういった場で考えられるのは映画やショッピング、ゲームセンターというところだろうか。

 その中で無難に選ぶなら、やはりショッピングではないだろうか。洋服やアクセサリー類など、女の子のショッピングにおいて定番と言える。けれど、みや先輩なら本屋なんていう選択もあり得るのではないか。私の勝手なイメージだけど。

 休日な上に巨大モールだから家族、恋人、友人連れが非常に多く――見ろ!! 人がゴミのようだ!! とはムヌカ大佐の言。決して私が言ったわけではない。思ったことはあるけれど。口にはしていない。セーフだ。


「やっぱり凄い人だね」

「休日ですからね」

「佐奈、人混みは大丈夫?」

「はい」


 嘘だ。私は人混みがあまり好きではない。むしろ嫌いですらある。対人恐怖症だとか、コミュ障で人の多い場所に居られないとかいうわけではない。理由は単純明快。だって、落ち着けなくて疲れるから。だから普段、私は一人で何か買い物に来る時は極力、人の少ない時間帯を選ぶ。

 例えば昼食時。大抵の人は食事のためにどこかの飲食店に入っていて、買い物客の数が落ち着く。同じ考えの人も居るから決してゼロにはならないけれど、ピーク時に比べればかなり少ないのは間違いない。その間に見て回って、少しでも気疲れしにくくなるようにしている。

 けれど、せっかく休日のお出かけに誘ってくれて――そして真面目なみや先輩のことだから、きっとプランだって考えてくれているのだ。それを思えばいくら私でも、単に疲れるからイヤだなんて否定の言葉は口にすることが出来なかった。


「そっか。でも辛くなったら言ってね」

「ありがとうございます」

「じゃあゆっくり回ろうね。急ぐと疲れちゃうし」


 そうして入ったのは案の定、女性物の衣類を扱っているお店だった。

 時期的にそろそろ夏服も用意しないといけないのだし、ちょうどいいタイミングかなと思う。私だってこれでも女の子なのだ。一応は。だから可愛い洋服が欲しいと思う気持ちもある。休みの日は絵を描いて過ごすことが多いからジャージにエプロン姿の割合が高いだけで、出掛ける時はそれなりに気を使うものだ。今日みたいに。

 みや先輩は早速、色々と物色し始めた。もちろん、夏服を。

 物色――なんて表現すると、万引きや空き巣なんかをイメージしてしまいがちで、良い意味に取れない言葉だと思う人も多いかもしれない。でも、その言葉の意味は“多くの物の中から適当な物を探し出すこと”だ。

 それはともかく、私は彼女がどんな服を、どうやって選ぶのかと興味を持ち、自分のことは後回しにして観察することにした。断じて、傍で見てるだけなのが楽だから、なんて理由ではない。

 みや先輩は気になったものをいくつか手に取って姿見まで行くと、服を代わる代わる体の前に当てては確認しながらウンウン唸っている。それだけならば別にいい。問題は――どうして、姿見の前に立っているのが私なのかということだ。

 みや先輩は自分の服を選んでいたのではないのだろうか。どうして私がモデルみたくなっているのだろうか。


「ねえ佐奈、どれがいいかな? 可愛いのばっかりで迷っちゃう」

「そうですね。でも、どうして私がここに立ってるんですか? 先輩が自分で合わせてみないと意味がないのでは?」


 私の疑問は尤もだと思う。一体、どこの世界に自分が着るための服を他人で合わせて買う人がいるというのか。服のサイズが同じなら分からないでもないけれど、私とみや先輩ではワンサイズ違うと思う。


「自分じゃない人が着る、サイズの違う服を自分で合わせる人って居ると思う?」


 それ、今、まさに私が思ってたことなのだけど。どうやら私は重大な思い違いをしていたようだった。

 お店に入った後、私が自分の服を見に行かずにみや先輩の後に付いていたことに何も言われなかったのは、彼女が最初から私の服を選ぶ腹積もりで、私がそれを理解していると思っていたかららしい。

 先輩、私の服選んでくれるんでしょ? だなんて、厚かましい奴だと思われてるんじゃないかと少し警戒もしたけれど、そもそもみや先輩自身が最初からそのように行動してるのだから大丈夫のはずだ。おそらく、きっと、メイビー。


「世界中探せば、どこかには居るかもですよ」

「あはは、それは居るかもね。でも、私が今探してるのは佐奈の服だから」

「自分の服は見なくていいんですか?」

「そんなのあとだよ! あと!」

「そういうものですか……」

「こっちはなんかイメージとちょっと違うかな――あ、こっちは良いかも」


 てんで聞いちゃいない。

 なんだか嬉しそうに、次々と組み合わせを変えて試す、みや先輩。ある程度試したところで“少し待ってて”と言い残し、服を持ってどこかへ行って――そう間も置かずに戻ってきた彼女の手にはまた新しい服がいくつもあった。

 これはしばらく着せ替え人形になっちゃうな、と思って――でも、みや先輩が楽しそうだから良しとしようじゃないか。だって、二人だけでのお出かけデートだもの。


「うーん、やっぱり試着してみたほうがいいよね。試着室行こう?」

「え? は、はい――」


 私が返事をするが早いか、あっという間に試着室まで連れて来られ、何着もの服と一緒に押し込まれた。

 これ全部ですか? と聞けば“そうだよ”と悪魔が返事をし、更には手伝ってあげようか? などとのたまう。それはつまり試着室に二人で入るということで、そうなれば当然――下着姿を見られるということだ。念のために――と、気合を入れて上下共に淡いピンクでフリルのある一番可愛いものを着けてきたけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 見られる事態には至らず、ホッと胸を撫で下ろすような思いで今着ている服を脱ぐ。(自分で言うのもあれだけど)露になるシミ一つとして無い白い肌と、局部を覆い隠す淡い桃色の下着。試着室にある姿見に映る自分の体は身長こそ低いけれど、主観的に見ても決してスタイル自体は悪くない――と思う。だからと言って、みや先輩に見せる自信など有りはしない。自信満々になれるくらい良いスタイルだったとしても、羞恥が勝るから結局見せようとは思わないけれど。

 私のスタイルの良し悪しはともかく、それはもう今更どうしようもないのだから、こんなことで悩んでも仕方ない。渡された服を手早く着て、カーテンを開けた。


「どう……ですか?」

「凄く可愛い!」

「ありがとうございます。でも、少し恥ずかしいですね」

「似合ってるから、自信もって着ていいんだよ」


 今着ているのは、ホルターネックで大きなフリルが何段にもなった――まるでトップスだけウェディングドレスであるかのような純白のキャミソールに、赤いミニフレアスカートだ。背中が肩甲骨の下部まで空いて、普段あまり着ることが無い部類の服だったから、酷く露出の多いものではないにせよ些かの気恥ずかしさがあった。

 パシャリ――とシャッターを切る音がした。みや先輩の手にはスマホが握られている。私が自分の格好を気にしている間に撮影されていたらしい。


「先輩、撮らないで下さい」

「だって可愛いんだもの」

「恥ずかしいです」

「それに他のと比べられるから、撮ってあった方ががいいじゃない?」

「むぅ……それはそうかもですけど」

「ほらほら、次のに着替えて!」


 私は私が思っていた以上に着せ替え人形だったようだ。既に試着を始めている以上は抗えもしないのだし、ここは大人しく職務を全うして一層のこと、みや先輩を見惚れさせるくらいしてやろうじゃないか。

 決意を新たに、私はその後も彼女が持ってくる服へ次から次へと着替え、プロのモデルも顔負けするんじゃないかという量をこなした――気がする。



「疲れました……」

「ごめんね、佐奈……」

「いえ――」


 何よりも先にその言葉が出てくるくらい疲労していた私は、机に突っ伏していた。

 二人だけのファッションショーを始めたあと、互いの服を選びあうことになったのはいいのだけど、結局アパレルショップをたったの二件回るだけで二時間を費やした。しかも気付けば周囲から注目を集めていたようで、直接声を掛けられたりはしないものの、どちらの店でも終える頃には私達の近くにやたらと人が集まっていたこともあって、余計に気付かれしてしまったのかもしれない。

 疲れたことと、少し早いけれどお昼時ということもあって、私達はカフェを訪れていた。そして疲れが押し寄せてきた私がだらしなく、メニューを決めるのもほどほどに机へ突っ伏したというわけだ。

 私は服を買うときにあれこれ考えることも無く、直感的にこれだと思ったものをすぐ買うから時間がかからない。けれど今日はみや先輩があれこれ沢山選んでくれて、可愛いものが沢山あったから非常に悩ましかった。でも、悩みに悩んだ挙句――結局、選んだのは一番最初に試着したものだった。

 いつもなら、最初の試着をした時点で買えば、その後の凡そ二時間で他のことが出来たのに――と、もったいない精神を発揮していたことだろう。だけど今日は着替えるたび、みや先輩が笑って、写真を撮って、楽しそうにするものだから、いつの間にか私も一緒になって楽しんで、二時間なんてあっという間だった。お店に入る前、人混みは嫌だなんて思っていた気持ちを思い出す暇なんて無かったくらいに。

 楽しい時間は嫌なことを忘れさせるなんて言うけれど、本当にそうだ。今日ほど楽しく服を選んだのなんて、多分、記憶にある限りだと生まれて初めてだと思う。


「疲れましたけど、でも、本当に楽しかったです」

「そっか、よかった」


 みや先輩は疲れた私を見て申し訳なさそうにしていたけれど、その一言で安堵したようだった。

 それから程なくして、注文したものが届いた。

 私はカルボナーラとオレンジジュース。みや先輩はミックスサンドにコーヒーだ。しかも、ブラックの。


「先輩、ブラックコーヒー飲めるなんて大人ですね」

「そんな大袈裟だよ。佐奈はコーヒー、ダメ?」

「はい。苦いものは全般的に苦手です」

「へぇ、私はそっちのほうが意外。コーヒー飲んでると思ってた」

「どうしてです?」

「なんというか……イメージ的に?」

「そう、ですか」


 一体どういうことなのだろう。自分に対する自分の考えと他人の考えに差異や乖離といったものがあるのは分かる。分かっているつもりだ。けれど、いくら考えても私とコーヒーが結びつくイメージは沸かなかった。

 楽しい雰囲気の中、食事もある程度進んだところで不意に――みや先輩が身を乗り出した。


「佐奈、ソース付いてる」


 彼女はその細く長い人差し指で私の口元を拭い――ニコニコしたまま指先を自分の口へ含んだ。

 突然の出来事に理解が追いつかず呆けていた私だけど、少ししてそれを理解すると、ちょっとだけ恥ずかしくなった。いい歳して口元を汚していたことが、だ。


「あっ――佐奈、ご、ごめん! つい……」

「いえ、ありがとうございます」


 みや先輩は何だか随分と慌てて、恥ずかしそうにもしていたけれど、多分、恥ずかしいのは私のほうですよ、と言いたかった。それを悟られないように平静を装うのは、少しばかり大変だった。

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