005. 一生のお願いは乱用すべし
私の朝はいつも
戦国時代の合戦といえば、大名を筆頭に有力武将が雑兵を引き連れて戦う。大雑把に言えばそんなものだと思う。それは現代の軍隊においても役職名なんかが違うだけで、結局やってることは大して変わらないはずだ。私は歴史だとか軍事関係なんかの知識は乏しいから詳しいことは分からないけど、世の一般人の認識は私のそれと然して変わらないのではないだろうか。
それらと朝倉家妹部屋の戦いの何が違うか?
人数である。
戦いなんて数百、数千――或いは数万という規模で行われるものだけれど、私の部屋で巻き起こる戦いは違う。一対一なのだ。私と姉の。
大抵の場合――
「佐奈ちゃあああああん!!」
などと叫びながら、私が気持ちよく寝ているところへ突撃を仕掛けて来る(起こしに来る)のだが、それにも段階がある。まずその声で意識が呼び起こされる。次にベッドへダイブして物理的な衝撃で目を覚ましにかかる。するとそこから、あろうことか布団の中へ潜り込んで抱きついてくる。そこで私が何もしないと、二人揃って二度寝となる。そうなると困るので私は起きようとするものの、なぜか姉は抱きついたまま離れようとしないので毎日必死こいて引き剥がしているのだ。
これが朝倉家妹部屋の戦いである。もちろん――私が全勝している。
なんやかんや、もうこんなことが何年も続いているけれど、姉は私を起こしに来ているのか忍び込みに来ているのか未だに分からないままだった。起こすならちゃんと起こしてほしいし、布団に忍び込むなら来ないでほしい。
そうやって本日も無事勝利を収めた私は学校へ行く準備を済ませ、いつも通り八時少し前くらいに家を出ていた。姉は二十歳ともなれば既に運転免許も持っていて――
「送ってあげようか? 送ってあげるよ? 送らせて?」
発情期の大学生ばりにグイグイ来るけれど、本来の目的地である学校ではない別の場所へ到着しそうな気がしてならないので、丁重にお断りしている。
家を出てから学校へ到着するまでの間、ようやく
何も別に独りで居ることそのものが好きなわけではない。実際にそんな状況になったら私だって寂しいと感じたり、孤独に苛まされることだろう。
そうじゃない。
こうやって通学に際して日常の風景――それはどこかの家の花壇だとか自生している木といった植物に始まり、停車してある車、設置してある看板、人々の往来など、多岐に渡って観察するのが好きなのだ。絵を描く上でモチーフを観察することは大事だし、そこからインスピレーションを得ることだってある。
しかし、それは誰かと一緒に居ると中々難しい行為で――だからこそ私は誰にも邪魔されないこの時間が好きなのだ。
「さなっち、おっは!」
でも、その時間だって長くは続かない。藤ノ宮高校という一点に向かって多数の生徒が登校してくるのだから、そこへ近づけば近づくほど人口密度は高くなる。そうなればクラスメイトや先輩達の一人や二人と登校のタイミングが重なるのも当然と言えるだろう(もちろんそうでない時もある)。
どうやら今日は私の良く知るクラスメイトと重なったようだった。
「今日は登校時間一緒んなったね!」
「おはよう、植田さん」
「名前で呼んでって言ってるのにぃ」
私を見かけるや否や、駆け寄ってきて不服そうな顔をしているのは同じクラスで後ろの席に座っていて、一応、友人と呼べる関係にある
植田愛弓という少女を一言で表すのなら「ギャルっぽい」という言葉こそ相応しい。そう――「っぽい」のだ。性格は明るくて誰にでも気さくに話しかけて少々やんちゃなところがあり、メイクも毎日バッチリと決めていて、アンバー(明るい茶色)に染めた髪にはふわふわのパーマが掛かっている。そして小さく地味ではあるが耳朶にピアスが輝いていて、ブラウスのボタンは上の二つくらいが留まっておらず、スカートもギリギリまで短くされている。
だが決して派手なメイクをしているわけでも、奇怪なアクセサリーを身に着けているわけでもない。だから「ギャルっぽい」なのである。
対して私は――私だって女子高生なのだから、化粧くらいはするようになった。といっても薄っすらとしたもので、植田さんのように気合が入っているわけではない。髪も染めずに黒だし、制服だってスカートを少しばかり短くしている以外はキチンと着ている。
要するに私と彼女は両極の存在と言っても差し支えの無い人間だと思う。普通であれば高校三年間、例え同じクラスになったとしても業務連絡くらいでしか接する機会も無いと断言出来るくらいに。
そんなだから、おそらく友人と呼べる程度には近い関係になっていると思うのだけど、私がイマイチ距離感を掴めていないというのも事実だった。
「ごめんね、誰かを名前で呼ぶのって慣れてなくて」
「相変わらず固いねぇ、さなっちは。もっと気楽に行こうよ、気楽に」
「うん、努力する」
「じゃあ早速、愛弓って呼んで。あ・ゆ・みって」
でも話しかけてきてくれるのは嬉しく思うし、私だってそんな人を邪険にしたいはずもない。距離感は掴めてないままだけれど、少しでも仲良くなるために、ここは私のユニークな性格を前面に押し出して行く場面のはずだ。だから、私は親しみを込めて――
「植田さん」
「ブーブー! さっきの努力する宣言はどこ行っちゃったわけ!?」
苗字で呼んだ。しかし植田さんはそれが不満らしく、口を尖らせた。けれどソレが少し可笑しく思えた私はクスリと笑ってしまった。
「うっわ……やっぱ――」
「ん、何か言った?」
「ううん、別に何も言ってないよ」
「そう」
植田さんは確かに何かを呟いたはずだ。そのはずだし、多少は気にもなるけれど――本人がそう主張するのであれば今の私はこれ以上の追及をする手段を持ち得ないし、そもそもするつもりも無い。
もしこれが佐伯先輩だったとするなら、私はもう一歩踏み込むのだろうか。踏み込んでいただろうか――いや、きっとしてない。植田さんよりも佐伯先輩との方が仲が良いと思うし、形的にも付き合い始めたとはいっても私の中では今も尚、先輩後輩という枠に収まっている感覚から変わっていない。だから少なくとも今は、私から殻を破るなんていうことは無いのだと思う。
「ところでさなっち、昨日の数学の課題やってきた?」
「今日も授業あるんだから当然――」
「お願いします、見せてください! 一生のお願い!」
「それ、一生に一度のお願いって意味だけど、そんなことに使っちゃっていいの?」
「いいんだよ! あたしにとっては一大事だし、どうせ一生のお願いなんて何回も使うんだから!!」
「じゃあ一生じゃなくて普通にお願いすればいいんじゃ?」
「それだとなんか必死さが足りなくて聞いてもらえ無さそうな感じじゃん?」
果たしてそうだろうか。
自分の力ではどうしようもなくなった、まさに崖っぷちというような場面でこそ使うべき言葉だろうに、そんなものを乱用すればむしろ信用度が無くなって助けて貰えなくなるのでは――と思う。しかも内容が内容だけに、私の人生経験の中で絶対に使い所を間違えている度ナンバーワンな一生のお願いだった。
そして見せることは簡単だけれど、決して植田さんの為にはならない。だから私は少しばかり心を鬼にする。
「そもそも勉強なんだから、見て写しただけじゃ意味が無いよ。だからダメ」
「ぐ、そこを何とか……」
「ダメなものはダメ。学校に着いたらちゃんと教えてあげるから、自分の力でやろうね?」
勉強するのが嫌で他の人に見せてもらうというのであれば別に構わない。このことで私から離れていったとしても、それが植田さんの選択というだけのことだ。
そして私は密かに思っていた。彼女は離れていく――と。中学の時もそうだったけれど、こういうギャルっぽい人は基本的に勉強しない。授業を聞いてるかすら怪しいし、自分が当てられそうなところだけ他人のノートを写して無難にやり過ごそうとする。
だから、きっと彼女もそうなのだろうと思っていた。
「ホントに……教えてくれる? さなっちに比べたらあたしなんてすっごくバカだけど――それでも?」
「え? う、うん。頭の良し悪しは別に関係無いし」
「さなっちが教えてくれるなら、あたしちゃんと勉強する!」
植田さんは何故だか急に喜び始めた。てっきり面倒臭がるものとばかり思っていたのに狐につままれたような気分だ。また、少し大袈裟かもしれないけれど、彼女へ偏見を抱いていたことで後悔の念に苛まされるような気分も同時に味わった。
これは――あれだ。ちゃんと謝らないといけない。
「植田さん、ごめんなさい。私、植田さんがただノート写したいだけで、さっきみたいに言えば他の人に頼みに行くだろうなって思ってた」
「ああ……ま、仕方ないよ。あたしってこんなだし、周りからそう思われてるってのは分かってるつもりだから全然気にしてないし。あ、これでさなっちのこと嫌いになるとかそんなこと絶対無いからね! けどさ――」
自分のことだから分かっていると植田さんは明るく笑って言っていたけれど、それが苦笑いのように見えた気がした。そんな彼女が真面目な顔をして切り出してくる。
「どうして謝ってくれたの? ぶっちゃけ、黙ってたら分からなかったじゃん?」
「それは……」
どうしてだろうか。改めて問われると答えが上手く出てこない。確かに偏見を持っていたことに多少の罪悪感を感じたのは事実だ。けれど、きっと植田さんの言うように黙っていればそのうち綺麗さっぱり忘れていたはずだ。でもそれをしてはいけないと思った。
ではその罪悪感をこの場で直ぐに清算して楽になりたかったのだろうか。それも――きっと違う。
ならばこのモヤっとした何だろうかと黙り込んで考える私を心配でもしたのか――
「ごめんごめん、意地悪言うつもりは無かったんだよ」
植田さんが覗き込んできた。ふと、彼女の顔を見て少し前、駆け寄ってきてくれた時に嬉しさを感じたことを思い出した。
「その――トモダチだから、そういうこと隠したくなかった……んだと思う」
「友達、か……」
「ご、ごめん、勝手に友達だなんて」
「違うって、そういう意味じゃなくて。正直さ、あたしから色々話しかけてたけど、さなっちにはあんまり好かれてないと思ってたから嬉しいんだ。あたしが普段付き合いのある友達って結構上辺だけでツルんでる感あってさ、今みたいに本音を言ってくれる人って貴重なわけ」
「そう……なんだ?」
「そそ。人付き合いは広く浅くって感じでさ。だからあたし、ますますさなっちと仲良くなりたくなっちった。よっし、早く学校行こう! んで課題教えて!」
「わっ!?」
私の手を取って駆け出す植田さん。急に引っ張られる形になったものだから私はこけそうになったけれど、不恰好ながら何とか立て直して遅れないよう走り出す。
そんな私に顔だけ振り向かせ、彼女は笑顔を見せてくる。
「もうちゃんと友達なんだし、名前で呼んでよね! さなっち!」
「わかった、植田さん」
「ちぇっ、まだだめかぁ!」
なんて言いながら、植田さんは変わらず笑っている。ちょっとばかり都合が良過ぎる気もするけれど、友達になるきっかけってベタなものもあれば、こういう結構予想外なことだったりもするのだろう。
私って中々単純な所があるのかもしれない。走っている内に、ついさっきまで胸のあたりに感じていたモヤっとしたものはどこかへ消え去っていた。
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