004. 先輩の手首は無事だった
朝倉家は四人家族。両親と姉、そして私。所謂、核家族というやつだ。現代ではなんら珍しくもない家族構成の一つと言える。
平日の夜は全員揃っての食事――とはいかない。父はたまに定時で仕事が終わることもあるけれど、基本的には夜遅くに帰宅するため、私はいつも寝る前に少し顔を合わせる程度だ。だから父には悪いけれど食事は三人で取っている。
ところで女三人寄れば姦しいなんて言うけれど、我が家にそんな諺は当て嵌らない。主に姉とか姉とか姉とか、あと姉とか。言うなれば女一人で――いや、姉一人で姦しい、だ。私限定で。
そして今も今日のアルバイト中にあったらしい話をしている。私の右横で。しかも何故か椅子を物凄く近くに寄せて来ていて、腕が当たりそうで物凄く食べ辛い。
「――っていうことがあって……佐奈ちゃん聞いてる?」
「聞いてない」
「ちょ、そんなぁ……お母さん! 佐奈ちゃんが私に興味持ってくれない!!」
「そんなのいつものことでしょうに」
「ガーン!?」
「というかお姉ちゃん。お姉ちゃんに、じゃなくてお姉ちゃんの話に、でしょ? 私がお姉ちゃんに興味持ってるみたいで変な意味に聞こえちゃうじゃん」
「佐奈ちゃん――私は……いつでもいいよ?」
姉はそう言って頬を染め、ご自慢の豊満なバストを抱きしめるようにして恥じらいの仕草を見せる。大人びた容姿をしているだけあって、同性で妹な私から見てもそれなりの色香が感じられる。
でも、その技を使う相手を間違えてないだろうか? 私達姉妹は別に、親が再婚するにあたって互いの連れ子だとか、どちらかが養子で実は義理の姉妹だなんてことは一切ない。完全に血の繋がった姉妹だ。姉が私くらいの時の写真を見ればそれが事実だとよく分かる。だってよく似てるんだもの。
だから実の妹に色目を使って一体どうするというのか。これが兄と妹や姉と弟だったというのなら、まだ分かる。そういった禁断の関係を描いたフィクション作品も、昨今では多々存在しているから。
でも姉妹となるとどうなのだろうか――禁断の姉妹愛?
「ん……」
「佐奈ちゃん、もしかしてお姉ちゃんの色気に参っちゃった!?」
「そんなわけない。ちょっと考え事してただけ」
「むぅ」
少なくとも姉と私がそんな関係になるなど有り得ないと、心の中で一笑する。今日、佐伯先輩に告白されたものだから、それがさっきの姉の言動に重なってしまったのだ。だから普段なら即座に切り捨てるようなことなのに、ちょっと考えを巡らせてしまったのだと思い至った。そういうことにした。これはそういうことだ。
そして同時に、さっきの自分を少し呪ってやりたくなった。
「香苗、あんた本当に飽きないわねぇ。いくつのときからやってるのよ」
「えっと、佐奈ちゃんが生まれた時からだから……四歳のときから?」
「よく続くわね」
「佐奈ちゃんが可愛すぎて飽きるなんて有り得ないんだもの」
「はぁ……」
「はぁ……」
ニコニコしている姉を他所に、母と二人して深い深い――マリアナ海溝には遠く及ばない、多分朝倉家のお風呂の浴槽の深さくらいしかない溜息を吐く。
どうやらまだ当分の間、姉はプロシスコン選手の現役生活を送るらしい。もう二十歳だというのに今まで浮いた話の一つも聞いたことが無く、我が姉ながら先が思いやられるけれど、それ以上に貰い事故をしている私のために一分一秒でも早く現役を引退し、妹以外に愛でるものを見つけて第二の人生をスタートしてもらいたいものだ。
そして、私は姉をジト目で見つめた。彼女が私のお皿に乗っているハンバーグを箸で一口大に切って摘んだのだ。またか、と思う。それは別に、私のおかずを奪おうとしてるわけじゃない。だからこの後何が起こるかもう分かっている。
姉は
「佐奈ちゃん――はい、あーん」
「もう……一回だけだからね」
私はパクリとすんなり頬張った。ここで応じなければまた駄々を捏ねて面倒なことになるのは過去に経験済みだ。だから、私は一回だけ食べさせられることにしている。姉も変なところで弁えているようで、一回しかしてこない。その物分りの良さをもっと全体へ行き渡らせて欲しいものだ。
「どう、おいしい?」
「今日もおいしいよ、お母さん」
「ふふっ、ありがと佐奈」
「あぁん佐奈ちゃん……」
だってそりゃあ、料理が趣味の母が作ってるんだもの。美味しいに決まってる。
「お姉ちゃんがちゃんと自分で作った物なら、お姉ちゃんに言うよ――おいしいって言うかどうかは別として」
それを聞くのならば自分で作ったものにするべきなのでは? という疑問を持つのは決して間違っていないはずだ。姉は料理が出来ないわけじゃないし、むしろ十分人並みくらいには作れる。でも母はその遥か上空を行く。ならどっちが食べたいかなんて言うまでも無いことで、姉には悪いけれど彼女の手料理が振舞われる日が来ないことを祈るばかりだった。
時刻は午後九時五十二分。そろそろ父が帰宅する時間で、学校の課題や入浴を済ませた私は一人、自室のベッドで布団に包まっていた。
「あぁ――幸せ」
特に何かをしているわけじゃない。ただ冷やされた部屋の中で包まって、暖かさと冷たさを同時に味わう至福のひと時を噛み締めているのだ。
私が幸せに浸っていると、ポロンと短く音がした。発信源は非常に近い。枕元に置いていたスマホが発した何らかの通知音だ。
スマホを取るために手だけを出すと肌が冷やされた空気に触れて刺激される。なんとも言い難い心地良さを感じながら通知を確認すると――
「先輩からだ」
チャットのように簡単にやり取りが出来る無料のアプリからで、私がまだ起きているか確認のメッセージを送ってきたようだ。眠気を感じてそろそろ寝ようかと思っていたし、まだ既読になっていないのでこのままスルーしたとしても、もう寝てましたと言い訳は出来る。
本当に寝ていたのなら仕方ないけれど、実際は起きている。それに告白を受けた当日の夜、早速連絡してきてくれたのを無視するというのも感じが悪いし、何より気が引ける。この場は眠気を少しばかり我慢して、返事をすることにした。
起きている旨を伝えると、そう間も置かずに返事が来た。やはり、どうやら私とメッセージのやりとりをしたいらしい。それなら電話のほうが早いのではと思い――
【それなら電話にしますか?】
【そ、それはなんか落ち着かなさそうだから、このままで……><】
どういうことだろうか。普段あれだけ面と向かって普通に話をしているというのに――今日に至っては手まで繋いでいたというのに、電話はダメだという。メッセージでのやり取りなら、自分のタイミングで返事を出来るからそういう意味では良いのかもしれないけど、私はそのうち寝落ちする自信がある。先輩も電話は嫌がっているようだし、そうなったらそうなったでいいかなと思った。
【分からないけど分かりました】
【あはは、理由はあまり気にしないで】
【はい。それで何か用事でした?】
【これといって用事があるわけじゃないけど……用事がないと連絡しちゃダメかな?】
【別にそういうわけではないです。ただ何かあったのかなと思ったので】
【うん、朝倉さんは乙女心が分かってないね!】
佐伯先輩がそんなことを言うものだから、私はただただ困った。だってそうだろう。そんなものが分かっているのならおそらく、たぶん、きっと、とっくの昔に彼氏が出来ていると思う。こんな私でも過去には男子に告白された経験だってあるのだから。であるなら、私は今日受けた佐伯先輩からの告白を間違いなく断っていたはずだ。彼氏が居るのに同性からの告白を受け入れる人なんてそうは居ないと思うから。
「あ、送っちゃった……」
気付いた時にはもう遅かった。今しがた考えていた内容の一部――後半のあたりを無意識の内に入力してしまっていたらしい。しかし送ってしまったものはどうしようもない。仕方ないとすぐに諦めた。
すると――渋谷のギャルもかくやという速さで返信が届いた。
【朝倉さんは乙女心分からなくていいよ!】
【先輩、手首大丈夫ですか? ケガしてませんか? 骨折してませんか?】
【え? 別になんともないけど。どういうこと?】
【手首が捻じ切れてないか心配で心配で】
【えっと、よく分からないけど手首は大丈夫だよ】
ああ、ダメだった。今日一日の中で渾身のツッコミだと思ったのだけど、暖簾に腕押しだった。
【そうですか、先輩の手首が無事で良かったです】
【んん? ごめん、どういうことなのかな?】
【いえ、気にしないでください。たださっき言ってたことが一瞬で百八十度変わったので、熱い手のひら返しで手首大丈夫かなと心配になっただけなので】
【そ、そういうことね……】
その返信の後、しばらく先輩から続きの発言は無かった。私のツッコミの意味を理解して恥ずかしくなってしまったか、もしくは意味を知らなかったこと対して羞恥でも覚えたのか――或いはその両方か。なんにせよ、これは謝ったほうがいいかもしれないと眠気で思考が鈍くなってきている私だったけれど、少し反省をしたところで新たなメッセージが届いた。
【だ、だって、他の人に取られたくないと……思って……。私が特別な好きを教えるから! だからそれまで朝倉さんは知らなくていいんだよ!!】
それを見る限りでは怒っている様子はなく、返事の内容を真面目に考えていたのだろう。そんなところが佐伯先輩らしいと思うし、なんだかクスリと笑ってしまった。もちろん馬鹿にしているわけではない。
その短いメッセージから、彼女が私に対して好意を向けているということが十分に分かる。それが恋愛にせよ友愛にせよ、向けられて嫌がる人なんて、よほどの変人でもなければ居ないだろう。
だから必死さが伝わってきて、なんというか、こう――たぶん、嬉しかったのだ。でも、それに対して私は尊敬でしか返せない。
だって好きが分からないから。
自分がズルイことをしているのは分かっている――つもりだ。正直なところ、同性に対してそういう気持ちが芽生えるものなのかという疑問も少なからず持っている。ならば今、恋愛にしろ友愛にしろ――愛と名の付くものを返してはいけない。佐伯先輩に勘違いをさせてはいけないから、ただ尊敬の気持ちだけを見せるのだ。
なんて、大層なことを考えてみたものの所詮、私はまだ十五年と数ヶ月生きただけの子供だ。
「はぁ……頭の中グチャグチャだなぁ」
どうするべきかという思考は出口の見えない迷路に入ってしまったようで、そんなことを呟かずにはいられなかった。
一人で居るとゴチャゴチャと考えてしまう。しかし高校一年生になったばかりの、人生経験もたかが知れている子供が取れる選択肢なんてそう多くはない。
結局のところ、私はありのままの私で佐伯先輩に接するしかないわけだ。
迷路に迷い込んだ思考は気付けば入り口に戻ってきていたようで、そこで私は意識を手放した。
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