恥ずかしいこと

キム

恥ずかしいこと

「表彰状。山本翔太殿」


 県で一番大きなホールのステージ上で表彰状を受け取るとき、ふと昔のことを思い出した。

 あれは、そう。

 確か小学四年生の春。

 俺、山本翔太が学校帰りにとある神社に寄ったときのことだった。


 * * *


 学校帰り。

 春休みの宿題をやってこなかったことで先生に怒られたボクは、家の近くにある神社に来て、石段に座り込んでいた。

 特に理由はないけれど、困ったときや嫌なことがあったときはいつもここに来ている。

「はー、どうしようかなあ」

 どうしようも何も、やってこなかった宿題を来週までにやらなければまた怒られるから、やらなくちゃいけないんだけど、でもやりたくない。

 そんな風にだらだらと考え事をしながら地面を眺めているときだった。


「ぼく、どうしたの?」


 見上げると知らないお姉ちゃんが目の前に立っていた。

 大きな丸メガネをかけていて、黒い髪が綺麗で、声と喋り方からとっても優しそうな印象を受けた。

 そのまま自然と視線が下がり、これまた自然と視線が釘付けになってしまったのが大きなお胸。クラスで一番胸の大きい女の子はもちろん、親戚のお姉ちゃんや学校の先生よりも大きかった。

 そんなお胸をマジマジと見つめている自分に気づいた、慌てて視線をお姉ちゃんの顔に戻す。

「お姉ちゃん、だれ?」

「お姉ちゃんはね、ここの神社の人なのです」

「あ、ここお姉ちゃん家だったの? 勝手に入ってごめんなさい」

「ううん、それはいいの。神社は皆の場所だから。それで、何か学校で何か嫌なことあった?」

 そう言いながらお姉ちゃんはボクの隣に座り込む。

「うん、と。宿題が……」

「宿題?」

「読書感想文。春休みの宿題だったんだけど、やってなかったんだ」

「忘れちゃってたの?」

「ううん、嫌いなんだ。読書感想文」

 本を読むことは好きではないけど、嫌いでもない。

 問題は、自分が読んだ感想を人に知られるということ。

 本を読んで、おもしれー! この男の人かっけー! 女の人かわいー! って思うことはあるけど、それを文字にして他の人に読まれるというのが恥ずかしい。

 そのことを出会って間もないお姉ちゃんに相談した。

「それでどうしようかなーって悩んでたんだ」

「うーん、そっか。感想を書くのが恥ずかしいかあ……あっ! じゃあ、それならさ」

 お姉ちゃんは何かを思いついたみたいで、笑顔でボクにこう言った。


「お姉ちゃんと恥ずかしいこと、しよっか?」


 その言葉に、とてもドキドキした。

「恥ずかしいこと、って……?」

「ん、ちょっと待っててね」

 そう言ってお姉ちゃんは立ち上がり、お尻をパンパンと軽く叩くと神社の裏の方に行ってしまった。

 しばらくしてから戻ってきたお姉ちゃんは、一冊の本を手に持っていた。

「この本ね。お姉ちゃんがとっても好きな本なの。ぼくにこれを貸してあげる。だから、読んで感想文を書いてきてくれないかな?」

「ええ!? ボクの話聞いてた!? ヤダよ恥ずかしい」

「もちろん、ぼくにだけ恥ずかしい思いはさせないよ。お姉ちゃんもこの本の感想文を書くからさ。二人で感想文の見せ合いっこしよ? お互いの恥ずかしいを分かち合おう」

 わざわざ恥ずかしい思いをしたいなんて何でそんなこというんだろう? なんて思ったけれど、不思議と拒む気持ちよりもやってみたいという気持ちの方がまさっていた。

「うーん……わかった。書いてみるよ」

「本当? ありがとう。嬉しいなあ」

「そのかわり! お姉ちゃんも感想文を書くんだぞ!」

「わかってますって。ふっふっふっ、何を隠そうお姉ちゃん、本を読んだ感想を書くの好きですからねえ!」

「えー! 何それヒキョーじゃん!」

 何だよそれ! 恥ずかしい思いをするのボクだけじゃん!

 口ではそんな風に文句を言いつつも、お姉ちゃんと感想文を見せ合うことにワクワクし始めていた。


それから少しだけお話をしたあと、ボクは家に帰ることにした。

「それじゃあ、今度の土曜日にまたここで会いましょう」

「うん、わかった!」

「ところでぼく、お名前はなんていうの?」

「山本翔太っていうんだ」

「しょたくん?」

「違うよ、しょうた! お姉ちゃんはなんていうの?」

「私? 私はですね……」


 確かにそのとき、お姉ちゃんの名前を聞いたはずなんだけど。

 その後も会うたびに「お姉ちゃん」と呼んでいるうちに、名前を忘れてしまった。


 * * *


 あれから本を読むたびにお姉ちゃんのところに行って、何度も感想文を見せ合った。

 お姉ちゃんの感想の書き方はとても上手で、次第に俺もお姉ちゃんみたいな感想を書けるようになりたいと思うようになっていった。

 しかしそんな日々も長くは続かず、中学に上がったときに親の都合で隣町に引っ越してしまい、神社に通うこともなくなってしまった。

 それでも感想を書くということが好きになっていた俺は、本を読んだ感想をブログに書き続けたし、読書感想文も積極的に書いていた。


「――ここに賞する。平成三十一年四月十八日。おめでとう」

「ありがとうございます」


 そして今、両の手で受け取った表彰状には、県が主催する読書感想文コンクールで優秀賞を受賞したことが書かれている。

 感想文が嫌いだった俺が高校生になってこんな立派な賞を貰えるのは、あのとき会ったお姉ちゃんのお陰だ。

 あの出会いがあって、恥ずかしい思いをして、そして感想を書くのが好きになった。

 もう何年も会っていないけれど、この表彰状を持って行ったらお姉ちゃん喜んでくれるかな。俺のこと、覚えてくれてるかな。

 ステージを降りて観客席に戻ってからそんなことを考えていた、そのときだった。


「それでは、本コンクールにおきまして特別審査員を務められた方から、ご挨拶を賜りたいと存じます」


 県知事がそう言い終わると同時に、ステージ袖から一人の女性が演台に向かって歩いていく。その姿は今しがた思い浮かべていた姿と寸分違わぬものだった。

 やがて女性が演台に着き、マイクが入っていることを確認してから自己紹介を始めた。


「皆さま、こんにちらの! この度、特別審査員を務めました、本山らのといいます!」


 俺が驚きながら彼女の姿を眺めていると、彼女もこちらを向いたために目と目があった。

 そのとき。

 彼女がこちらを見ながら微笑んだのは偶然か、あるいは――。

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