Ⅳ
ヒキガエルのように、床に倒れ伏したムエレ親分の所へ近づくと、その脇腹を軽く蹴る。
うめき声がきこえるのを確認すると、頭のすぐ横に八角棒を力一杯突き立てた。
酒場の床に穴が
「いま、俺はあんたを殺すことができた。それがわかるか」
耳のそばで
「だが、俺は殺さない。お前を殺しても、別のクズが代わるだけからだ。この国では各地で亜人による反乱が起きている。お前のようなクズが多いからだ。王はこのことを大変憂慮しておられる。だから、俺のような男が国内を巡っているわけだ」
ムエレの目が恐れから
「ということは、あんたは――いや、あなたは巡察使さまですかい」
巡察使というのは、国王直轄の役人のことだ。王の諜報組織として、いろいろな情報を集めたり、反乱発生を事前に防ぐというような役割を果たすといわれている。そんな巡察使さまのことなど知らないし、出会ったこともないが、ムエレが勝手に勘違いするなら放っておけばいい。
「俺の口からはいえない。それくらいわかるだろうよ。誰も殺していないから、早くケガの手当をしてやれ。お前がこの町をどうしようと、俺には興味がない。だが、
お
「わかった、鹿人との約束は守る。二度と面倒はおこさない。信用してくれ」
「ああ、信用するよ。俺はこの町に二度と姿を現さない。お前が約束を守る限りは。子分の手前、ぶちのめされたのが恥ずかしいのであれば、好きなように
たっぷりと脅しつけ、ムエレを店から追い出すと、強い酒を十本選んで鹿人に手渡す。その上で、全員に語りかけた。
「あんたたちに、教えてもらいたいことがある。さっきユーエンと違うといった人がいたな。ということは、この中の誰かは本当のユーエンを知っている人がいるということだ。ユーエンを知っているのは誰だ。答えて欲しい」
顔を覆った短い毛は、その表情を隠しているが、当惑していることは気配でわかる。
「心配するな。俺はユーエンの息子だ。父親の足取りをたどっている」
額の毛が白くなっている鹿人が、一歩前に進み出た。
「私ハ、ユーエンヲ知ッテイル。オ前ノニオイハ、ユーエンニ似テイル」
十年以上前に出会った人間の臭いなど、本当にわかるものなのだろうか。それが本当なら、鹿人の臭覚は鋭く、それに比例して視覚は弱いに違いない。なにが起きるかわからない。万が一にも、この鹿人と戦うことになった場合には、このことは頭にとどめておく必要がある。
「オ前ヲ、私タチノ村へ連レテイク。ハナシハソコデ続ケヨウ」
願ってもない申し出だが、あの二人をどうするべきか。もともとは町に置いていこうと思っていたが、この状況で町に放置するほうが危険だろう。
「わかった。連れが二人いるんだが、一緒に行ってもかまわないか」
鹿人がうなずくのを確認し、二階にいる二人をよんだ。
「ネリーとシーネだ。ここに置いておくのも危険だ。一緒に連れていく」
額の毛が白い鹿人がポツリとつぶやく。
「メスカ……」
「女だと、なにか都合が悪いのか」
「別ニ……」
少し気になる反応ではあったが、今はそれどころではないだろう。
鹿人たちに連れられ、森の中を進む。
獣道のようなものは見えないが、鹿人はためらうことなく、かなりの速度で歩みを続ける。
シーネの靴擦れは良くなってはいるが、ここで無理をさせるのも良くないと思い、俺の背中におぶっての行軍だ。鹿人たちも初めは奇異な目で見つめていたが、シーネを背負った俺が、何の問題もなく進むのですぐに興味を失ったようだ。
意外なのはネリーで、かなり歩きにくいはずの深い森なのに、遅れずに追いかけてくる。若さもあるのだろうが、高い身体能力の
「アレガ私タチノ村ダ」
額の白い鹿人が指をさす。かなりの速度で進んだため、日が暮れる前に俺たちは鹿人の集落へたどり着くことができた。
土、いや泥、ちがう粘土だ。粘土でつくった日干し煉瓦の家、家、家。
屋根は藁ぶきか。一つ目たちとは違い、木を切るということはしない、いやできないのだろう。
鹿人たちの手にある棍棒のようなものも、よく見ると角を加工したもののようだ。鉄や青銅を使っている素振りもみえない。森の中で牧歌的な生活を送っているのであろう鹿人たちが、なぜ酒を求めて町に現れるようになったのか。そして、父はこの鹿人たちに、何を教えたのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます