ヒキガエルのように、床に倒れ伏したムエレ親分の所へ近づくと、その脇腹を軽く蹴る。

 うめき声がきこえるのを確認すると、頭のすぐ横に八角棒を力一杯突き立てた。

 酒場の床に穴が穿うがたれるのをみて、ムエレは悲鳴を上げる。

「いま、俺はあんたを殺すことができた。それがわかるか」

 耳のそばでささやくと、親分は首だけ回してこちらへ視線を送り、はっきりとうなずいた。

「だが、俺は殺さない。お前を殺しても、別のクズが代わるだけからだ。この国では各地で亜人による反乱が起きている。お前のようなクズが多いからだ。王はこのことを大変憂慮しておられる。だから、俺のような男が国内を巡っているわけだ」

 ムエレの目が恐れからおそれにかわった。

「ということは、あんたは――いや、あなたは巡察使さまですかい」

 巡察使というのは、国王直轄の役人のことだ。王の諜報組織として、いろいろな情報を集めたり、反乱発生を事前に防ぐというような役割を果たすといわれている。そんな巡察使さまのことなど知らないし、出会ったこともないが、ムエレが勝手に勘違いするなら放っておけばいい。

「俺の口からはいえない。それくらいわかるだろうよ。誰も殺していないから、早くケガの手当をしてやれ。お前がこの町をどうしようと、俺には興味がない。だが、鹿人しかびとのような亜人が蜂起するようなことがあっては困るんだ。無理な頼みをするんじゃない。はじめの約束どおりに取引してやれ、いいな」

 おかみの御威光にすがって、ちんけな田舎町の親分を脅すのは任侠の道にすたる気もするが、今の俺は孑孑ぼうふらのウェイリンではなく、八角棒のユーエンだ。

「わかった、鹿人との約束は守る。二度と面倒はおこさない。信用してくれ」

「ああ、信用するよ。俺はこの町に二度と姿を現さない。お前が約束を守る限りは。子分の手前、ぶちのめされたのが恥ずかしいのであれば、好きなように法螺ほらを吹いてもらっても結構。だが、約束を破った時には後悔することになるぞ」

 たっぷりと脅しつけ、ムエレを店から追い出すと、強い酒を十本選んで鹿人に手渡す。その上で、全員に語りかけた。

「あんたたちに、教えてもらいたいことがある。さっきユーエンと違うといった人がいたな。ということは、この中の誰かは本当のユーエンを知っている人がいるということだ。ユーエンを知っているのは誰だ。答えて欲しい」

 顔を覆った短い毛は、その表情を隠しているが、当惑していることは気配でわかる。

「心配するな。俺はユーエンの息子だ。父親の足取りをたどっている」

 額の毛が白くなっている鹿人が、一歩前に進み出た。

「私ハ、ユーエンヲ知ッテイル。オ前ノニオイハ、ユーエンニ似テイル」

 十年以上前に出会った人間の臭いなど、本当にわかるものなのだろうか。それが本当なら、鹿人の臭覚は鋭く、それに比例して視覚は弱いに違いない。なにが起きるかわからない。万が一にも、この鹿人と戦うことになった場合には、このことは頭にとどめておく必要がある。

「オ前ヲ、私タチノ村へ連レテイク。ハナシハソコデ続ケヨウ」

 願ってもない申し出だが、あの二人をどうするべきか。もともとは町に置いていこうと思っていたが、この状況で町に放置するほうが危険だろう。

「わかった。連れが二人いるんだが、一緒に行ってもかまわないか」

 鹿人がうなずくのを確認し、二階にいる二人をよんだ。

「ネリーとシーネだ。ここに置いておくのも危険だ。一緒に連れていく」

 額の毛が白い鹿人がポツリとつぶやく。

「メスカ……」

「女だと、なにか都合が悪いのか」

「別ニ……」

 少し気になる反応ではあったが、今はそれどころではないだろう。


 鹿人たちに連れられ、森の中を進む。

 獣道のようなものは見えないが、鹿人はためらうことなく、かなりの速度で歩みを続ける。

 シーネの靴擦れは良くなってはいるが、ここで無理をさせるのも良くないと思い、俺の背中におぶっての行軍だ。鹿人たちも初めは奇異な目で見つめていたが、シーネを背負った俺が、何の問題もなく進むのですぐに興味を失ったようだ。

 意外なのはネリーで、かなり歩きにくいはずの深い森なのに、遅れずに追いかけてくる。若さもあるのだろうが、高い身体能力の天稟てんぴんに恵まれているのかもしれない。ひょっとすると、ヴィーネ神の加護、贈物ギフトを持っているのか。

「アレガ私タチノ村ダ」

 額の白い鹿人が指をさす。かなりの速度で進んだため、日が暮れる前に俺たちは鹿人の集落へたどり着くことができた。

 土、いや泥、ちがう粘土だ。粘土でつくった日干し煉瓦の家、家、家。

 屋根は藁ぶきか。一つ目たちとは違い、木を切るということはしない、いやできないのだろう。

 鹿人たちの手にある棍棒のようなものも、よく見ると角を加工したもののようだ。鉄や青銅を使っている素振りもみえない。森の中で牧歌的な生活を送っているのであろう鹿人たちが、なぜ酒を求めて町に現れるようになったのか。そして、父はこの鹿人たちに、何を教えたのだろうか。

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