Ⅲ
やはり、酒場の主人は戻ってこない。
戻ってくるときには、ムエレ親分とやらの身内を山ほど連れてくるのだろう。
「お客さんたち。今にここへ、ムエレの子分が雪崩れ込んできて、修羅場になりますぜ。命が惜しければ、ここから出て行くのをお勧めしますよ」
店の隅で酒をチビチビ飲みながら、札で遊んでいた三人は慌てて店の外へ出ていった。
「みなさん。人間の中にも、約束を守ることを大切に思っているものがいることを、ここで証明して見せますから、そこで見物していてください」
「ネリーとシーネは、部屋に入って中から扉を閉めて隠れているんだ。俺がやられたら、金だけもって窓から逃げ出すんだ。まあ、いらぬ心配だがな」
上からこちらをうかがう二人にも声をかけておく。こちらは一人。酒場のまわりを取り囲んで火を放ったりはしないだろう。
喉が渇いた。勝手にエールを注ぎ、一気に飲み干す。さあ、準備はできた。
ムエレは、なかなか姿を現さなかった。出入りだというのに、これほど反応が鈍いとは大した親分ではないのだろう。それとも、この町で喧嘩をするような相手がいないということか。
たっぷりと待たされ、こちらから殴り込みをかけようかと思った時、酒場の外に人の気配がした。
外から中をうかがう目、目、目。
「逃げも隠れもしない。こそこそせずに、中に入ってくればどうだ」
ビビったと思われては負けの世界。面白いように挑発に乗ってくる。ゾロゾロと酒場に入ってきたのは十四、五人。でっぷりと太った、仕立てのいい服を着ているのがムエレ親分か。手に手に短刀、剣、槍、棍棒を持っているのが子分たち。
気持ちの悪い沈黙があたりを支配する。ええい、面倒だ。
「お控えなさって」
膝を曲げ、腰を下げて手のひらを上に向ける。
喧嘩に来たら、仁義を切られた。それだけで場の空気が変わった。なぜ鹿人を助けるのか、相手は何者なのか、そういった疑問が霧散したのだ。渡世人が相手なら理由は一つ。縄張り争いだ。この町の縄張りを、どこかの親分が狙っているということ。この
「手前、生国知らず。父母の名も知らず。天涯孤独の名をユーエン、通り名を八角棒と発します。お見掛け通り、しがない者でございますが、曲がったことが大嫌い。人間のくせに、約束を守らない畜生にも
そのとき、鹿人の一人がポツリとつぶやくのを、俺はきき逃さなかった。
「オマエ、ユーエントチガウ」
違うというのなら、父親を知っているということだ。敵を前にして、思わずニヤリとしてしまう。
「流れ者の分際で、このムエレ様をクズ呼ばわりするとは頭がおかしいのか。お前はどこの身内だ」
俺の笑顔を挑戦と感じたのかもしれない。やたらと強気な侵入者。その後ろ盾を知るまでは手を出さないつもりなのか。
「心配するな、どこの身内でもないぞ。俺を殺しても誰も文句をいってくる相手はいない。殺せれば、だがな」
これ以上我慢することは、親分としての
「やれっ!」
ムエレの号令一下、子分たちが襲いかかってくる。
腰を引き、腕を精一杯伸ばして剣を突き出した男が二人近づいてくる。典型的なチンピラの剣術。しかし、チンピラ剣術もバカにしたものではない。腰が引けているから、急所に攻撃が届きにくい。腕を伸ばしているので間合いが長い。腰の入っていない一撃でも当たり所が悪ければ大けがをするし、一対一ではないから、ケガをさせれば他の仲間が仕留めてくれるかもしれない。
だが、そのチンピラ剣術は棒の前には無力だった。
二度鋭い突きが繰り出され、それぞれの右手の甲を打つと、鈍い音を立てて二本の剣が床に転がる。
そのまま踏み込んで、人中を二度突けば、口から血を吹き出して戦意を喪失した男が二人できあがり。
二人の頭越しに突き出された槍の螻蛄首を掴むと、そのまま強く引き寄せる。槍の使い手は剣を失った男とぶつかり、体勢を崩したところに側頭部を痛打されて崩れ落ちた。
「死にたい奴からかかってこい!」
一喝すると、敵の中に躍り込んだ。
打っては殴り、突いては叩く。敵の半分が床に倒れ伏すと、ムエレが逃げ出すのが見える。
親分に逃げられては面倒だ。
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