渡りに船、地獄でヴィーネ神。

 森に入る手間が省けるなら、願ったり叶ったり。

「お前たちは荷物を部屋に置いてこい。これも頼む」

 背嚢をシーネに預けると、押っ取り刀で声の方へ向かう。

 鹿人しかびとはすぐに見つかった。身長は人より少し低いが、全身を覆う茶色い短毛。頭に伸びる角。たしかに鹿人というのがぴったりくる姿だ。七~八人の鹿人が、堅気の衆とは思えない十人ほどの男たちとにらみ合っている。

 人相の悪い連中は、ムエレ親分とやらの身内か。

 破落戸ごろつきたちが恐ろしいのか、鹿人が怖いのか。町の人々は足早に現場から離れていく。流れに逆らって近づく俺は、かなり目立った。

「おいおい、見せもんじゃねえぞ!」

 破落戸たちから怒声が飛ぶ。鋼の雨にビビらない俺が、素人の叫び声にひるむかよ。

「おあにいさん方。こんな虫けらなんぞ、気にせずはなしを続けてどうぞ」

 棒を杖代わりに、にっこりと微笑む。

「どこかへ散れっていうのがわからないのか」

 チンピラの一人が、手に持った薪雑把まきざっぽうを突き出しながら、こちらへ向かってくる。

 大身おおみ槍でも持っていれば、一目置かれたのだろう。やいばの光はチンピラにはまぶしすぎるから。だが、年季の入った八角棒では下に見られるのも仕方ない。

 薪雑把が振り上げられ、振り下ろされるのを見てから、擦り上げるように下から相手の手首を打つ。

「先に手を出したのはそっちだぜ。俺は部外者だが、自分がどこにいるのは自分で決める。あんたたちに、あれこれいわれる筋合いはない」

 売りことばに買いことば。

 面倒を避けるため、いつも親分さん達には気をつかっていた。それが渡世人の生き方だ。だが、渡世のしがらみを捨てるなら、破落戸連中にペコペコする必要はない。

「おい、先にこいつから片付けろ!」

 鈍く光るは鋼の光。得物えものの手入れができていないのが見て取れる。

「抜いたな。売られた喧嘩は買わせてもらうぞ」

 よほど打ち所が悪くなければ、死ぬこともあるまい。

 真っ直ぐ突き出した棒は、なまくらを抜いた男の手を打つ。地面に落ちる金属の音。そのままかしらになるように振り下ろし、隣の男の頭頂を叩く。骨が砕けるような音はしなかったが、痛打に男は昏倒した。

 腕っ節に自信はあっても、所詮は素人。棒で大きく薙ぎ払うと、思わず後ろへ飛び下がる。

「お前たちは棒使いのユーエンの名を知らんか。鹿人が悪いのであれば、お前らに加勢してもいいが、どうせ鹿人を騙そうとでもしたんだろうよ」

「コイツラガ、嘘ヲツイタ。ダカラ怒ッテイル」

 片言ではあるが、はっきりとした人間のことば。鹿人がしゃべることができるのは、本当のようだ。

「おいおい、お前ら嘘つきだっていわれてるぜ。どっちが嘘をついてるんだ」

 剣を落とした男が、右手を押さえながらわめく。

「薬草を持ってくれば、酒と交換してやるとはいった。だが、こいつらは、決めた量以上に酒を寄越せと暴れるんだ」

 ならば鹿人の方が悪い。俺はことばを発した鹿人の方に視線を移す。

「ヒト袋、酒イッ本ノ約束ダ。薬草ニジュウ袋ダカラ、ニジュウ本」

 ズカズカと近づくと、鹿人の袋を棒先でひっかけ、左手で受け止める。ずっしりした重み。袋はパンパンに膨らんでいた。

「袋の中身がスカスカだとか、重さが足りないというのなら鹿人が悪いが、これはぎっしりと詰まっているぞ。イチャモンつけずに、約束をちゃんと守ってやるのが筋というものだろうが」

 正直なところ、鹿人とムエレ側のどちらが正しいかはわからない。

「しょせん、こいつらは半分人間の畜生ちくしょうだ。酒を十本もらえるだけでもありがたく思えばいいんだ」

 馬脚を現したのは、破落戸の方だった。

「信義を破るのであれば、人間じゃないのはお前らの方だ。任侠の道を踏み外したのであれば、畜生はお前らだ」

 啖呵たんかを切ると、素早く間合いを縮めて縦横無尽に棒を振る。ケガはしても、死にはしないだろうというので気が楽だ。七人まで打ちすえたところで、残りの三人は逃げ出した。

「ここに酒が十本ある。あと十本は俺が買ってやるから、薬草の袋を持ってついてこい。約束は約束だ。薬草十袋はそこに置いておけ」

 鹿人たちが顔を見合わせる。躊躇ちゅうちょは一瞬。すぐに薬草の袋を台車に置き、かわりに酒を手に取った。二人の鹿人が酒を持って、森の中に姿を消す。

 残るのは五人の鹿人。お供を連れて、さきほどの酒場に向けて歩き始めた。


「親父さん、強い酒を十本頼む。代金は俺が払うから、こいつらに渡してくれ」

 常連たちの目が丸くなる。酒場の中に鹿人が入ってくるということなど、なかったのだろう。

 酒場の親父が、頭の中で激しく考えをめぐらせているのがわかる。

 ムエレ親分に逆らうことにならないか。この男は何者で、逆らうと店で大暴れされないか。答えはすぐに出たようだ。

「わかりました。蔵から取ってきますんで、そのままお待ちください」

 そういうと、慌てて裏口に姿を消す。

 ムエレ親分にご注進というところか。まあいい、どのみちケリをつけなければならない。

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