鹿人
Ⅰ
結局、三度の夜を野営して過ごした。
街道沿いの町なので宿屋はある。しかし、あえて町に宿泊するのではなく、野営することで旅に慣れさせようというのが目的だ。移動の速度を上げることで、ひどい靴擦れのシーネの負担になることを避けたという部分もあった。
虫に刺され、固い地面に眠り、強張った体で目を覚ますのも旅の一部分。だからこそ、宿屋のありがたさがよくわかる。
「あの町から森に入る。ここから先は俺一人だ。宿をとるから、お前たちはこの町に残っていてくれ」
「せっかくこんなとこまで来たのに、あんたが死んだら私たちどうなるの」
ネリーが口を尖らせた。
「心配するな。俺は死んだりしないし、危なくなったら逃げ出すくらいのことはできる。だが、お前たちを連れて危険に飛び込むわけにはいかない。戻ってきたら、お前たちにも棒術を教えてやるよ。自分の身が守れるくらいの腕前になったら、一緒に出かけることもあるだろうが、今はダメだ」
納得したのかしないのか、ネリーは黙っている。
ラルマンドのような大きな町ではないし、大通りはどこか寂れた雰囲気であった。二階建ての酒場が見えたところで足を止める。
「こういう町では、酒場の二階が宿屋になっていることが多いんだ。もし違っても、酒場で宿屋の場所を尋ねればいい。少し寄っていこう」
そういいながら、喉を
ギロリという視線、視線、視線。
敵意があるのか、それとも物珍しいだけなのか。旅人とも思えない面々が、こちらをにらみつける。
ただの常連客だろう。このあたりの山岳地帯は、海路が開かれたために衰退著しいときく。ラルマンド以東の町には、そうそう旅人が訪れないのだろう。
「親父、エールを三杯くれ」
常連客にとっては
にっこり笑ってエールを注ぐと、カウンター越しに俺たちに手渡した。
「銅貨三枚になります」
銅貨三枚とは少し高い。値段なりの味ならばかまわないが、そうは思えなかった。まあ情報料ということか。銅貨を店主に渡しながら、さりげなく問う。
「この近くに宿屋はないか。今日はゆっくりと眠りたいんだ」
「うちは宿屋もやっていますよ。二階が部屋です」
部屋は一人銅貨五枚とのことだ。エール五杯分。二人部屋が二つ空いているので、好きに使っていいとのことだった。
「それにしてもお客さん、なんでエドルブレみたいな
さあどうする。ここまでの態度で、俺がこの二人の使用人という線はなくなった。それに、金持ちの母娘の護衛というのでは、よからぬ事を考える連中が出てこないとも限らない。
「こいつらは、金持ちの貴族様に買われたんだ。おれはただの
シーネがギョッとするのを、俺は見逃さなかった。だが、ここで騒いだりする女ではあるまい。ネリーに向かって片目を閉じて、うまくはなしを合わせるように合図を送る。察しの良い小娘は、淀みなく嘘をつきはじめた。
「足が棒みたいで、もう歩くの嫌。もっとあたしを大切にしないと、後悔することになるよ。絶対に、そのお貴族様とやらを虜にしてみせるんだから」
「へいへい、わかりましたよ。貴族様の愛妾になったら、おれがエールを飲ませたことを忘れないでくれよ」
蓮っ葉な雰囲気を演ずるネリーの嘘を、店主が信じたかどうかはわからないが、女衒というのはそれほど不自然でもあるまい。
「では、部屋を借りるよ。食事をつけるといくらだ」
「夕食がついて銅貨七枚。三人なんで、銅貨二十枚でいいですよ」
再び支払い。金を数えているときが、一番警戒心が緩む。
「ところで、このあたりに
酒場の親父の顔が曇る。
「あーあいつらか。昔は人畜無害な連中だったのに、最近はムエレ親分ともめてるらしくて、時々町で暴れることがあるらしいです」
無害な種族が武器を持って暴れるようになる。一つ目たちと同じ構図だが、父ちゃんが武術を教えていた頃から十年はすぎているというのに、最近になって突然このような事件につながるというのも納得できない。まあいい、すべては鹿人に会ってからだ。
「その鹿人は人間のことばを使うのか」
「片言なら、はなせるようですね。片言で交渉しているのを見たことがあります」
はなしが通じるのであれば、是非もない。ユーエンという、俺の父親のことを調べてみるのだ。
「一度、その鹿人に会ってみたいものだな。とりあえず荷物を置きたいので、部屋へ案内してもらえるか」
酒場の主人が、カウンターから出て二階へ俺たちを連れていこうとしたとき、酒場の外で大声がきこえた。
「鹿人が、また集まってきてるぞ!」
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