招き入れられたのはわびしい草庵。

 ジジイは柄杓で瓶から水をすくうと、木の椀に注いだ。

 ひとつは自分に、ひとつは俺に。

 床は木張りで、思ったよりしっかりしていた。

「こんなところまで、わざわざ何の用できたんだ。ええと――孑孑ぼうふらのウェイリン君」

 その時、稲妻のように思い出が襲う。髭はなく、髪もまだ黒かった。だが、間違いなくこの男と会ったことがある。

不躾ぶしつけなお願いですが、お名前をお伺いしてもよろしいですか」

 ジジイは怪訝そうな顔をしたが、真剣な表情をみて覆い直したように答えた。

「ワシはテンドウ。姓はない。ただのテンドウだ」

 テンドウという名に心当たりはなかった。失望に心が打ちのめされる。

「親しいものは、ことのテンドウとよぶ」

 言の葉、言の葉、言の葉! たしか、父ちゃんは言の葉に会いに行くといっていた。

「十年ほど前のことですが、ここに棒術の達人と子どもが訪ねてきたことはありませんでしたか。その時の子どもが俺なんです」

 テンドウは目を丸くしたが、すぐに顔を伏せた。

「すまんな。ここは辺鄙へんぴな場所だが、ときどき人が訪ねてくる。ワシには、言の葉の贈物ギフトがある。ありとあらゆる言葉をはなし、文字を読むことができるんだ。自分たちに読めない文字を訳してやったり、意思の疎通ができない相手への通詞つうじに出向いたりすることで、細々した身過みすぎをしている。十年前なら、訪ねてくる人間もずっと多かった。そんな棒術の達人がここへ来たかどうかも、記憶が定かではないんだ。名前を教えてもらえば、ひょっとして思い出すかもしれんが」

 父ちゃんは棒をよく使ったが、棒術の達人であったかどうかはわからない。ただの口から出まかせだった。ここに来たときに、棒を持っていたかどうかもわからないのだ。

「と――親父とは、十年ほど前に別れたきり。名前もわからない。ガキの俺は、父ちゃん父ちゃんって呼んでたんで……」

 間抜けなことをいっているのは理解している。だが、それ以外にことばが出てこなかった。

「それで、父親を訪ねてここにきたわけか、ウェイリンさんは」

「いや、違います」

 再びテンドウは目を丸くした。まあ、普通に考えればそうだろうよ。

「ここに来たのは、テーラという町が一つ目の巨人に襲われるのを、なんとかして欲しいと頼まれたから。それで一つ目の村に出向くと、どうやらましらが森で一つ目たちを襲うので、芋や狩りができなくなったのが原因らしい。そこで、猿を追い払えば全部解決すると思い、猿に武器を渡している黒幕を探しに来たという次第ですよ」

「お前は、一つ目と会話ができるのか」

 テンドウは驚いたような顔をするが、俺は首を横に振る。

「会話できるわけではありませんよ。腕試しをして、一つ目に認めてもらっただけです」

「そんな事で、考えが通じるものなのか」

 ことばだけが考えを伝える方法ではない。芋掘り中に猿が襲ってきたことは、百のことばより雄弁だった。高所から手矢てやをばら撒く猿より、町の人間の方が弱いというのが一つ目たちの出した結論なのだろう。だが、人はそれほど弱くはない。

「黒幕か。黒幕というほどの考えがあったわけではないんだがな」

 テンドウの爺さんによると、こういうことらしい。

 一年ほど前から、一つ目たちは森のかなり奥まで入り込むようになった。理由は定かではないが、芋を掘り狩りをおこなう場所が、爺さんの小屋に近づいてきたらしい。そこで、一つ目たちに自分の住まいの近くでの狩りをやめてもらうように頼んだが、自分より弱い相手のことばなど耳に入らない一つ目たちに無視された。それでも、自分に害がなければ我慢したのだろうが、一つ目たちがテンドウ爺さんの飼っていた犬を殺し、死体を持っていくという事件が起きた。おそらく食料にしたのだろう。爺さんは堪忍袋の緒が切れて、時々薬を分け与えたりしていた猿に武器を渡し、一つ目を追い払ったというわけだ。

ちからしか尊重しない一つ目たちなら、やりそうなことですね」

 一つ目たちには悪気はないのだろう。犬を殺したことも悪気があったのではなく、ちょうど捕まえやすい獲物がいたから捕まえただけのこと。一つ目たちの数が増えたことが原因なのかもしれない。

「俺が安全は保証します。一つ目たちの村へ一緒に行ってもらえませんか。俺は一つ目の一番強い奴を負かしたので、連中は俺のいうことなら従うと思います。町の人間、一つ目たち、テンドウさんが仲良く暮らせるように、はなしをつけましょう」

 爺さんは少し何かを考えていたようだが、最後には納得した。

「だが、これから戻っても夜になる。今日はここに泊まっていけばいい。ラケーナたちにも、あらかじめ伝えておかなければならんからな。お前は部屋に隠れていろ」

「ラケーナというのは、ひょっとしてあの猿のことですか」

 テンドウはうなずいて両手を口に突っ込み、大きな音で指笛を吹いた。

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