獣には殺気というものがない。殺気を出すのは知能が高い生物だけだ。だが、戦いの前に相手を威圧しようとするのは下策。不意打ちを狙える状況なら、殺気は秘すことが上策。

 振り返ると槍を中段に構えた。

 いる。

 斜向はすむかいの細い路地。殺気はそこから発せられていた。

 弓矢なら、なんとかかわすことができる距離。

「そんなところに隠れていないで、出てきたらどうだ」

 ことばが通じるのかどうかは不明だが、こちらから近づくのはマズイ。

 声がきこえたのか、ニュッと姿を現す偉丈夫いじょうふ。俺より頭二つは高い。

 筋骨隆々。右手には木刀、いや棍棒を握りしめ、のそりのそりと歩く姿はまるで神話の戦神だ。

 一つ目、と呼ばれる理由はひと目でわかった。鼻のちょうど真上にある大きな瞳が、こちらをにらんでいたからだ。

「いや、違うな」

 誰にきかせるでもなく、思わずつぶやく。相手の視線を見て取ることは武術の基本。かんとよばれる視線を、相手に悟らせない剣士は一流といわれる。目の前の巨人にはまなこが一つしかないが、本当の意味で一つ目ではないことは直感的に理解できる。

 あった。ちょうど両の頬骨ほおぼねあたりに黒い突起がある。どういう器官なのかはわからないが、それは眼なのだ。つまり三つ目。隻眼になると間合いがつかみにくくなることは、誰でも知っている。もし、目が三つあればどうなのか。

 腕の長さと棍棒の長さを合わせれば、大身おおみ槍と間合いは同じくらい。腰蓑こしみの以外、なにも身につけない上半身の筋肉からすると、振り下ろしでも薙ぎ払いでも稲妻のような速さのはず。

 一つ目の巨人は、ひょいと棍棒を担ぐと一気に間合いを詰めた。

 袈裟けさぐか、真っ向から振り下ろすか。走り込んできた勢いのまま、棍棒が振り下ろされる。

 速い。が、かわせない動きではない。紙一重で棍棒の軌道を見切り、突きをくれてやるか。

 その瞬間、嫌な予感がした。肉ダルマの膂力りょりょくからすると、棍棒の速度はあまりにも遅いのだ。

 踏み込むのはやめだ。一歩後ろに下がると同時に、地面へ叩きつけられた棍棒が、そのまま斜め上へ薙ぎ払われた。

 剣に竜尾りゅうびという技がある。上段から振り下ろした切っ先を、途中から斜め上へ切り上げる技だ。まさか、こんなところで竜尾が見られるとは夢にも思わなかった。一つ目は、ただの化け物ではない。

「竜尾を使うとは、なかなかやるな。だが、竜尾を使いたいがために、一撃目に心がこもってなかったぞ」

 ことばが通じないのはわかっている。だが、黙ってはいられなかった。

 竜尾の弱点は切っ先の軌道を無理に変えるので、変化の後に隙ができやすいことだ。

 二歩踏み込んで、右の脇腹を擦るように突く。槍を突き立てるだけの隙はあった。いきなり急所を攻撃してもよかったが、こいつの皮膚へ槍が突き立つのか確認する必要がある。だから化け物は嫌いなんだ。

 すべて想定の範囲内。手応えは薄い革鎧といったところか。血が流れるのも見える。つまり殺せるということ。

 斬りつけられて、巨人の怒りに火がついた。

 知的な動きは消え、滅多矢鱈めったやたらに棍棒を振り回す。棍棒は速く、力強いがそれだけだ。

 左脇腹、右太もも、左太もも、左腕、右腕。深くではなく、軽く突く。

 気がつけば、あたり一面血の海。力なく棍棒を落とした一つ目は、覚悟したように、たった一つの目を閉じる。殺すのは容易たやすい。だが、こいつには知性がある。どちらが強いかを理解すれば、逃げていくだけの知恵はあるだろうよ。

「おい、今日は気分がいいから殺さないでおいてやる。さっさと逃げて、仲間にもこの町へ二度とこないように伝えるんだな」

 一つ目は、開いた眼でしばらく俺をにらむと、ジリジリと町外れの方に姿を消した。

 殺したほうが良かったのかもしれぬ。だが、困った旅人を助けようともしない糞みたいな町のために、なぜ勇敢な戦士の命を奪わなければならないのか。殺さなかったのは、ただの町長への嫌がらせだよ。

「おい、一つ目とやらは追い払ったぜ。そろそろ日も暮れる。俺を泊めてくれてもバチは当たらないと思うんだが、どうだろう」

 町長の家の前で大きな声を出す。恩人を無視するなら、一つ目をこの町にけしかけてやってもいい。

 かんぬきの外れる音、重い扉が開く。

「一つ目を追い払うとは、あんたとんでもない豪傑だな。町を代表して感謝するよ。まあ、汚いところだが入ってくれ」

 中肉中背、なんの特徴もない男。思ったより若いが、こいつが町長か。嫌味の一つでもいってやろうかと思ったが、綺麗な女と子どもが二人いたので飲み込んだ。

「世話になります。できれば一晩泊めていただければ、ありがたいんですが」

 泊めないといわれれば暴れてやろうか。俺の思索は、町長の思いもよらないことばにより遮られた。

「その槍、その剣。あなたは孑孑ぼうふらのウェイリンさんではあるまいか」

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