際会

 でっぷり肥えた男に、薄汚い身なりの子が殴り飛ばされる。

 右手には大きな肉切り包丁。本当に殺すつもりなら、子どもの体を真っ二つにすることもできただろう。

「なんだよ、腸詰めの一切れくらいいいじゃねえか」

 今度は蹴りが飛んでくる。

「この糞ガキが! 次に見つけたらぶち殺すぞ」

 腹を蹴られた子は、ぐったりとして涙を流した。

 男の子の名前はウェイリン。オールトンに暮らす浮浪児の一人だ。空きっ腹を押さえながら、ウェイリンは考える――。


 警邏けいらに突き出されてはたまらない。肉屋の親父は、機嫌のいいときは拳骨、機嫌の悪いときは蹴り。黙っていれば殴られるだけで済んだのに、余計な一言で蹴りまでもらっちまった。

 相手の嗜虐心しぎゃくしんを満足させるように、黙って涙を流していればよかった。腸詰めをちょろまかそうとしたくらいで、殺されてはかなわない。

 天涯孤独の一匹狼。群れることは嫌いで、いつでも腹が減っていた。

 しかたない、今日は水をたらふく飲んで眠ろう。

 日は高いが、することもない。ねぐらにしている廃屋に戻ると、えた臭いの古井戸から水をくみ上げ、腹がくちくなるまで水を飲む。藁のベッドに寝転ぶと、そのまま眠りについた。


 早く眠りについたのが幸いしたのかもしれない。

 少年の眠りは深い。

 廃屋への入り口である壁の裂け目の下には、踏むと大きな音が出るように、乾いた木の枝を敷きつめてある。だが、泥のように眠る少年が、木の枝が折れる音で目が覚めることなど滅多になかった。

 誰かが、自分の城に侵入した。時間はわからないが、まだ外は暗い。

 目を大きく見開いて、藁の下に隠した背の丈ほどの棒を強く握る。しだいに目が暗闇に慣れてきた。狭い壁の裂け目から入ってきたのであれば、体の大きい大人ではないだろう。

 また枝の折れる音。一人ではないのか。

 寝床にしている部屋の入り口に、うっすらと人の影が浮かぶ。

 人影の腰あたりがキラリと光る。刃物を持っている、つまり殺しにきたのだ。

 目が覚めたことに気づかれないよう、自然に息を吸うと、そのまま床に転がり落ちた。

 落ちる体の回転を利用し、そのまま棒で足を薙ぎ払う。

 堅い音とともに、打たれたのは向こうずね。影はギャッと一声あげると、その場にしゃがみ込んだ。

 暗闇の中で、歯だけが白く浮かびあがる。寝転んだまま、棒を真っ直ぐ白い歯にめがけて突き出すと、今度はくぐもった声がきこえた。

 素早く立ち上がり、倒れている相手の頭があるであろう場所へ打ち下ろす。手応えはあったが、暗いのでどうなっているのかはわからない。

 暗くとも、数ヶ月暮らしている部屋だ。目をつぶっても間取りはわかる。そのまま隣の部屋へ移り、屋根の上へつながるハシゴを駆け登る。頭で天井にある扉を跳ね上げるのと、さきほどまでいた部屋に人が雪崩れこむのがほぼ同時。後ろを見ている暇はない。

 建物の外に出ると、そのまま壁の裂け目と反対側まで走り一気に跳躍。転がりながら地面に着地すると、後ろは振り向かずに一目散に逃げ出した。


 いきなり殺しにきやがった。

 心当たりはいくつかある。残飯あさりの縄張りを巡って、糞ガキたちと何度か喧嘩をした。もちろん、俺の勝ちだ。一匹狼だから、舐められていたのかもしれない。 

 だが、俺もずっと一人だったわけではない。一年ほど前までは、人並みに父親がいたのだ。

 父親が何の仕事をしていたのかはわからない。物心ついたときには旅をしていた。町から町、村から村。

 宿になど泊まらない。道端では野宿。町では人目につかないところで眠る。父ちゃん父ちゃんと呼んでいたので、名前すら知らない。モデナ山麓にあるオールトンという大きな町、つまりここで突然父親は姿を消した。捨てられたのかと恨んだ時期もあったが、いざこざに巻き込まれて死んだのだろうと、今は思う。優しい父だった。

 盗み、置き引き、かっぱらい。

 捨てられた子どもが生きるための方法は限られている。真っ当な仕事などないし、枯れ枝みたいな腕では、強面こわもてにもなれない。子ども同士で群れている連中もいるが、結局は大人に操られてピンハネされている。

 苦労を分け合う仲間はいないが、かわりに獲物を分け合う必要もない。残飯をあさり、不徳義ふとくぎな方法で手に入れた小銭で飯を食う。勝手気ままに見えても、油断していると今回のように殺されるかもしれない。

 自由に生きるためには、誰にも文句をいわせないだけの力が必要だ。幸いなことに、俺には少しだけ力があった。暇があれば、父ちゃんは俺に棒術を教えた。突き、打ち、叩きのめす。殺さないから、警邏に捕まることもない。イチャモンをつけてきた子どもを何人か得意の棒術で叩きのめすと、誰も何もいわなくなった。大人にからまれた時は、絶対に棒術を見せることはない。しょせんは子ども、力で大人にかなうわけがない。それくらいの分別はあった。


 眠る場所があるというのは、なんともありがたいものだ。

 そして、それを失うということはなんとも辛いものだ。

 またねぐらを探さなくてはならない。

 気は重いが、立ち回りの興奮で血は熱かった。東の空が白みはじめた。

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