「こういう技を知らないらしいな。だったら、あんたに勝ち目はないぞカルテイアさん」

 相手の気持ちをいらつかせ、技を鈍らせる。戦場では相手のことばに耳を傾ける暇はないだろう。兵士と武芸者の違いだ。

 今度は左肩に熱い痛み。右手の剣が動いたときには、管槍はもとの場所に戻っている。

「このままだと、勝ち目はないぞ。槍に反応できていないじゃないか」

 威勢のいいことばとは裏腹に、ウェイリンは少し焦りを感じ始める。

 剣の切っ先は、しっかりと喉から顔を守り、左手は心臓を覆っている。不自然に膨らんだ綿入りの短衣チュニックに、鎖が編み込まれていないと誰がいえようか。カルテイアという男は、急所をすべて巧妙に隠しているのだ。

 管槍を使う自分が負けるとは、夢にも考えない。だが、もう一つの不確定要素がある。

 心の迷いは穂先に現れた。

 不用意に放たれた喉元への突きは、剣の切っ先こそかわしたが、槍の操者の意に反して僅かに相手の喉元に届かなかったのだ。

 間合いをたがえた、いな。いつのまにか、半歩間合いがズレていたのだ。

 どのような技を使ったのかわからない。戦場で身につけた生き残るためのすべなのか。攻撃を少しずらせば、確かに死なない。派手に血をぶちまけている相手に、わざわざとどめを刺す暇は戦場にはあるまいよ。

 槍にも片手突きはあるし、柄を握る場所を滑らせる技も知っている。ところが、それは管槍には当てはまらない。左手は管を握っているし、右手は柄の一番後ろをつかんでいる。速さの代償として、拳ほどの長ささえ、穂先を先に伸ばすことができないのだ。

 したりとばかりに、カルテイアは伸びきった槍の螻蛄けら首を掴もうと、左手を動かした。

 ポロポロと零れ落ちる四匹の芋虫。

 さすが師匠だ。

 何度目になるかわからない感謝のことば。


「破れかぶれになると、相手は槍の螻蛄首を掴もうとするもんだ。たっぷり油をくれてやれ。錆びないし丁度いい。掴まれても気にすんな。穂先を戻せば、相手は指の落とし物だ」


 管槍は早さが命。相手の肉に穂先が噛まれると命取り。肉に噛まれないよう、あごの部分は研ぎあげてある。

 螻蛄首は油で滑り、戻りの顎で指が落ちるという寸法。毛むくじゃらなので、芋虫じゃなくて毛虫か。

 今度は相手が驚く番。一歩踏み込むと、管槍は正確に相手の喉仏の左を貫いた。

 赤い水鉄砲が撒き散らされるが、出血を押さえる手に指はない。

 ただの破落戸ごろつきで武士ではないが、武士の情けだ。

 今度は相手の左目を狙って力いっぱい突く。穂先は脳を貫き、カルテイアの動きは止まった。

 想像していたより、はるかに強い敵だった。いつかサンディアへ行くことがあれば、ジョブロに嫌味の一つでもいってやろう。それより、今はやることがある。

「おい、馬車の中にいる! 扉を閉める時に、お前の汚い腕が見えてたぞ。おとなしく出てこい。今度こそ本当に馬車へ火をつけるぞ」

 中にいるのはカルテイアの妻と赤子のはず。だが、外でチャンチャンバラバラ戦っているのに、ぐずり声もあげない赤ん坊がいるかよ。

 ジョブロにハメられた。

 まず頭に浮かんだのはそれ。

 本当はカルテイアではなく、馬車の中にいる人物を殺させるための御膳立て。

 騙されたバカは、ヤバイ相手を殺して一生お尋ね者に。渡世の仁義を守らないつもりなら、俺がジョブロをぶっ殺してやる。もちろん、本当に知らなかった可能性もないわけではないが。

 頭の頭巾、顔の覆面をいま一度確かめる。これで人相はわからんだろう。

 管槍の石突を地面にぶっ刺し、カルテイアの手から剣をもぎ取る。

 殺さずに済む相手なら、殺したくはない。人殺しが生きがいのような奴もいるが、俺はまともだ。

 馬車の中に腕が立つものはいないはず。加勢され、二対一ならヤバかった。それとも、よほどカルテイアを信頼していたか。

「三つ数える。どうするか決めろ。ひとつ、ふたつ――」

「おい、待て」

 馬車の中からまろび出てきたのは、一人の老人。

 いや、老人というには少し若い。年の頃なら四十前後、つまりオッサンだ。

 剣をかまえ、どんな動きにも応じられるように身構える。

 とはいえ、装填したいしゆみでも持たれていれば、危なかったかもしれぬ。油断大敵。

「お前は誰だ。カルテイアの妻子はどこにいる」

「女や子どもまで殺そうとするとは、本当に最低な人間だな。お前のようなクズに、カルテイアのような立派な男が殺されようとは世も末だ」

 自分の命が風前のともしびだというのに、妙に肝が据わっている。

「そこまで落ちぶれちゃいないよ。無関係な弱者を殺すのは武林ぶりんの恥だ」

 物心ものごころついた時から、まわりから一言多いといわれ続けてきた。余計な一言で、殴られ蹴られ、死にそうになったことも数知れず。それでも、この時の余計な一言ほど、後々いたことはない。

「なんだと。犬畜生にも劣る外道が武林を語るか、れ者め。だったら、これはどうだ」

 ゆっくりゆっくり、合わせの間に手を差し入れる。急な動きだと、斬り殺されるのがわかっているからか。強く押すと飛び出す仕込み剣。筒の形をした、矢を撃ち出す暗器あんきもある。だが、この距離なら剣の一突きが速い。

 そろりそろりと男は首に掛けた紐を引き、ふところのそれを抜き出し、眼前に掲げた。

 ああ、なんてこった。本当にこんなものを持っている奴が実在するのか。

 男が掲げたのは、あの依命扶翼牌いめいふよくはいだったのだ。

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