その名前を呼ぶ

鈴稀あわひと

1.石壁の村コクロト

1-1 Opening

 午後の空は青みを増し、雲の白さとのコントラストは鮮やかだった。新緑の草がじゅうたんの様に広がり、それを食む生き物の毛並はつやがある。

 隣町へ出荷する作物を乗せた荷馬車が、舗装された道をゆっくりと通って行く。


「やっとコクロトに着いた。田舎も大概にしろーっと。……人の村のこと言えねえけどさ」

 広げた地図から顔を離した少年は、ため息と混ぜて不満を吐く。

 自転車にまたがる彼の白髪には光沢があり、陽の光の反射によって薄水色から桃色へ、頭を動かす度にその色は絶えず変化した。赤い瞳もまた、この王国では見られないものだ。

 頭から外した白の頭巾は、薬師やくしの職業を示す品だ。他にも丈と袖の長いベージュのくたびれたコートを着ていたが、彼は暑さから途中で脱ぎ、バッグに詰め込んでしまっていた。


 コクロトの村に鉄道は通っていない。馬車を使えばもっと早くに到着したが、他者と接触する移動手段を彼は避けた。自分の容姿が悪目立ちする事を、何年もかけて痛感させられていたからである。


「やべえな。王都で連絡してから、一週間以上かかっちまってる」

 先日購入したばかりの茶色いブーツも、既に薄汚れていた。

 彼は村の方角を注視すると、住居が密集した場所より高い位置にある屋敷と、その奥にそびえる大木を小さく確認する。

 少年は手のひらに収まる大きさの缶から錠剤を二粒取り出して口へ流し込んだ。


 ふと。

 彼は自分が肩からぶら下げていた薄茶のバッグを引っ張られていることに気づいた。息づかいは、人間ではない。




 近くに森や川が存在するコクロトは、食料に関して困窮しておらず、衛生面の設備も整っていた。脅威となりえる狼に対し注意すれば、のどかな村である。冬は他の村より早く冷えが訪れるものの穏やかな気候に恵まれた土地だ。住まいや店などの壁には、精霊への祈りを可視化させた抽象的な文様の図が描かれていた。


崩落ほうらくから恵みが減ったと皆は口にするが、俺はもっと前からだったような……まあ、精霊さんの声なんて誰も聞けやしないんだがね」

 そんな話を含めながら、案内人は少年の目的の屋敷を指さす。陽光で髪の色を変える子どもを不思議そうに眺める村人もいた。

 少年はパン屋で主人に鉛貨六枚銅貨一枚を払い品物を購入する。彼はこの先にあるだろう展開に気を沈ませながら、手に持っている燻製した肉の挟み込まれたパンをけだるげにほおばる。


 彼が重い足どりで屋敷へ通じる長い階段を上がりおえると、二人の人間を目でとらえた。

 姿勢正しく起立する一人は金髪の髪を後ろに束ね、緑の制服の上に白の外套がいとうを被るように身に纏い、薄紫のベルトを飾りとして巻いていた。その装飾品は、貴族きぞく騎士きしに類する者の証だ。

 もう一人は、壁にもたれかかりながらあくびをしている。前髪を左右に流して、外側に跳ねている緑髪をしていた。首元をガードする金具の付いた全体を覆う黒い外套から、少年は青年の神父だと推察した。外套の隙間からのぞく聖護符が時折陽の光を反射させる。二人は十代後半の年頃で、特に騎士の方は若々しい。


 村には見張り台があるが警備としてあまり使用されていない。そこからの眺めを好み、楽しそうな表情でお昼を食べている村の女性を見つけた騎士は、次に高い場所である屋敷を陣取ったのだ。

 来訪者の気配を認めると、騎士は業務を行なうべく少年に対峙した。金髪の騎士は少年の変わった風貌ふうぼうにほうと息をもらし、すぐに蒼く澄んだ瞳を彼に向ける。そしてその二人の姿を眺める青年は、腕を組みながら彼らの会話に耳を傾け始めた。


「ノアさん。依頼とは村長から治療の要請を受けたということでしょうか? 貴方はそれを証明する……例えば依頼書は」

 自分の見た目で子供と扱うことなく村長の客として真摯に丁寧な応答をする騎士に、少年は彼女自身に本来より備わっている品を感じ取った。


 依頼書は自分の氏名住所から始まり、その場所で働く期間や保険、相手の情報といった内容が書かれている。いわば相手との契約の証だった。

 王国騎士団や教会といった、国が仕切る大きな組織から個人の小さな組織まで、仕事依頼の形式は様々に存在する。

 一般的には労働組合が、新聞や張り紙で仕事の依頼を載せることで、就業希望の人間が組合の扉を開く。相手方と話が合えば、依頼書が渡され改めてその仕事を任されるのだ。


 今回は特定の相手を使命する形である事から、金髪の騎士は目の前の薬師を名乗る少年が、依頼書を持っている筈だと予想した。普段頻繁に使う場面はなく、期限の終了まで家で大事に保管されるものなのだが、依頼の証明を出来る物はそれしかない。

 ノアは紙切れを取り出す。依頼書はもう山羊の胃袋の中であり、奪還は叶わない。

「むしゃあ、とされました。あれどうにかならないんですか。あと証明できるモン……。と、そうだ。おれ王都に着いた時に村長に連絡入れたんですけど。一週間前」

「村長からは聞いてません。連絡の行き違いですね。ノアさんがその依頼を、トルレイユの薬師集団やくししゅうだんとして請けたのなら、組合などに電話で連絡確認をすれば」

「ないですよそんなの。それに今回の依頼は薬師集団つうより、おれ個人で請けたんです。樹を治すやつ」

「待て、電話がないとはどういうことだ」

「電話繋がってないんでしょ。トルレイユはコクロト以上のド田舎とは聞いてるしね」

「ルーク」


 口調にほころびを出したディアは、とっさにルークと呼んだ青年に視線をむける。

 彼は白の手袋を外し、ディアが持つ依頼書の紙きれを渡すように指でジェスチャーをする。次には紙質や辛うじて読める文字や筆跡などを調べはじめた。依頼書に扱われる素材は、捏造や偽造の防止策に特殊な材質を採用している。騎士は結果を待ち、薬師は退屈そうに空を見上げた。

「ありゃー。こりゃ本物だね。ディアどうするの?」


 ディアは金糸のような髪をかきあげると、引き下がるつもりのない少年をじっと観察する。

 色の変わる髪に、この国では見かけない赤の瞳は、不吉と呼ばれ奇異されるものであった。

 その点をのぞけば、少年はまだ幼さの残る愛らしい容姿をしている。服の汚れは、ここまでの大変な旅路を彷彿ほうふつさせた。遠方からの小さな来訪者を追い返せないディアに、ノアはもう一度言う。

「おれ、村長に呼ばれているんです。確認したらすぐですし屋敷で待っていていいですか」

「そうだな……」

「急用じゃないなら、明日来たら? 確認が取れるまで、子供に弱い騎士さんは通せないんだからさ」


 ディアの承諾の声を、横から男が遮る。ルークは柔和な笑顔を浮かべ、落ち着いた口調述べた。彼の軽薄な笑みは、好みが分かれる所だ。


「それかそこらを徘徊はいかいしてる村長さんふん捕まえてよ。うっかりさん」

 それが、会話の終わりだった。

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