第9話

 部屋に入ると、こういった場所でふたりっきりになるのがはじめてだったために、なかなか視線を合わせることができなかった。

ここまできたら目的はひとつしかない。宮部は肌を合わせる礼儀としてゴルフ場で汗を流してきたが、もう一度シャワーを使う。ママもあとから浴室に入り、白く透きとおるような肌を念入りに耀かせた。

ママが浴室から出る前に、ベッドで横になっていた宮部は、枕許のスイッチに手をかけて部屋の照明を落とし、ママがベッドに入って来るのを天井を見ながら心待ちにした。

バスタオルを巻きつけたママは、ベッドに臀のほうから滑り込むと蒲団の中で窮屈そうにバスタオルを外した。ママの嬌羞が宮部の気持を揺さぶる。

宮部はママの首の下に左腕を差し入れると、ゆっくりと白い躰を引きよせ、軽く唇を吸った。張りのある乳房が手のひらに心地よかった。美しい曲線をなぞるように手のひらを移してゆく。淡い翳りが指先に纏わりついた。その奥にひそむ閉ざされた部分を指で押し開けた時、ママは聞こえないくらいの小さな嗚咽を漏らした。

灯りを拒絶する暗い蜜壺に何かを探るように指を這わせると、白い躰は小さく揺れ動いた。ふたりの間に徐々に波が大きく突き進み、やがてとろけるような甘やかな痺れとともに堕ちて行った。

――

それが糸口となってふたりが崖を転げ落ちるように男女の関係にのめり込んで行くと、これまで気にもしなかったほかの客がしきりに気になりはじめた。後ろめたい気持があるからだ。宮部は努めて平静を装ってはいたものの、女であるママはそうもいかないらしく、言葉の端々にふたりの関係が普通でないのを隠しきれなかった。

やがて客の間で、ひょっとすると宮部が隠れオーナーではないかというひそひそ話が囁かれるようになると、店をつづけなければならないママは、当然宮部よりも店を択んだ。そうなるとふたりの仲はつづけることが不可能な状態になり、自然消滅という形に終わってしまった。


宮部は久しぶりにママの顔を見たせいか、はじめての時のことが昨日の出来事のように鮮明に浮かび上がって来た。――

玉木たちが宮部に言葉をかけて店を出て行ったあと、すぐにひとりの客も腰を上げ、残ったのは一組だけになった。その残った一組もそろそろ腰を上げそうな素振りを見せている。宮部はこの客が帰ったら、久し振りにママとゆっくり飲もう、そんなことを考えながら気がつくと無意識に首を廻していた。

首の辺りが気になって仕方がない。いつもと違って、圧迫感が奥深くに鈍い痛みを伴い、

まるで鉛の塊りを埋め込まれたような感じが抜けきらない。

「ママ、熱燗もう一本」

空になった徳利を逆さにして残りの一滴まで猪口に受けながら言う。これくらいのこと、酒を飲めば治る。いままでそうやって鎮めてきた。

「はいはい、ちょっと待ってね」と遠くで返事をする。

「お待ちどうさま。はいどうぞ」

ママは宮部に酒を勧めながら言う。

「きょうは随分お疲れの様子ね、大丈夫?」

心配そうに宮部を覗き込んだ。

「さっきも言ったように、ここんとこバタバタしてて少し疲れた」

言われたせいでもないのだが、宮部は急にトーンを落とした。

「仕事も大切だけど、ほどほどにしないと……躰を壊したら元も子もないわよ。自分の躰は自分で守らないとね」

おそらく何人もサラリーマン戦士をカウンターの中から見てきたのだろう、ママの言葉にはどこか説得力があった。

「ママの言うとおりだ。俺も息子を大学出すまでは頑張らなきゃいかん。それに病気の母親より先に逝くのは親不孝というもんだよな。そんなことはわかってるんだけど、でも今日はどうしてもママの顔が見たくてね」

「まあ、ほんと? 嬉しいわ。きょうは閑だからじゃんじゃん飲みましょ。私がご馳走するわ」

ほかの客に聞こえないように小声で言うと、ママは遠慮なく猪口を差し出した。

「そっちに廻って隣りに坐ってもいい?」

そういってカウンターを出ると宮部の隣りの椅子に浅く斜(はす)に腰掛けた。

宮部は疲れた躰に酒が効いてきたのか、

「ママ、たまにはどう?」

煙草を吹かしながら意味不明なことを口走る。

「どうって?」

ママははぐらかすようにわざと訊き返す。

「決まってるじゃないか」

「やだ、きょうの宮部ちゃんおかしいわ」ママは視線を逸らせながら軽く透かした。

宮部はママの口振り素振りからして、ほかに男がいるのかも知れないと直感的に思った。

瞬間、脳裡にママの抜けるような白い躰が浮かび上がり、その白い躰に黒い影が覆いかぶさっている光景に嫉妬する。

「いい人ができたんだ」

宮部はぶっきらぼうに言う。

「やめて、そんな人いるわけないじゃない」

その時、残りの客が、「ママ、勘定して」と言う声がした。

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