第4話

 ふたりは徹底的に飲むと言っていたにもかかわらず、結局十一時近くに店を出、駅で再会の約束をして別れた。

 久しぶりだったからか、大野木は土田の通夜にかこつけて心配になるほどしこたま酒を飲んだ。別れ際に見せたご機嫌な笑顔がとても印象的だった。

 一方宮部も友人土田の死という予期せぬ出来事だったが、滅多に会うことのない大野木と酒を酌み交わすことができたことを嬉しく思っている。自分でも随分飲んだのがよくわかった。

 鉛がぶら下がっているような目蓋を必死で持ち上げ、何度もホームの掲示板を確かめる。 ようやく入って来た電車に背中を押されるようにして乗り込んだ。気がつくと終電近いせいか、酒臭い息を吐きながら乗って来る客で結構混み合っていた。

 ひとつ目の駅で目の前に坐っていたOLが席を立った。透かさず宮部はくるりと向きを変え、尻からジグソーパズルのピースのようにピタリと入り込んだ。坐った瞬間に窮屈だけど吊り革に掴まって酔っ払いの蛸になるよりよほどいいと思った。それも束の間、すぐに酔いが誘う甘やかな気怠さが睡魔を連れて来た。

 車両の連結部近くにあるようやく三人が坐れるほどのシートで微睡んでいた宮部だったが、気がつくと立っている客はひとりとしていなく、坐っている客も数えるほどしかいなかった。そのなかのひとりが宮部の斜め前に坐っている。服装(なり)からすると仕事に疲れたサラリーマンというところだろうか。目を瞑っているので眠っているように見えるのだが、半ば口を開けたままだらしなくガムを噛みつづけている。まるで口の中に入り込んでしまった不安かストレスを噛み砕いているように見えた。

 都心を離れた電車は高架を走っているせいか街の灯りはほとんど見えてない。窓外にはただ山際とおぼしきシルエットと、その境界を教えるような深い紺色の空が見えるだけだ。

 宮部が向かいの窓ガラスを見ていた時、一瞬我が目を疑った。

 自分の右肩あたりに、人の顔が映っているのが見えた。

(俺は酔っている。いま見たのは幻覚に違いない。ああ、そんなに飲んでしまったのか……)

 宮部は軽く首を左右に振りながら、強く瞑目した。

 一度大き目な深呼吸をしたあと、いま目に映ったものを確かめたくなってゆっくりと目を開いた。すると間違いなく窓ガラスには、風船のように丸くて大きな頭で、目が糸のように細い男の顔が映り込んでいた。薄笑いを浮かべた口元からは隙間のある反っ歯が幾本も見えていた。

 宮部は身震いしながら思わず右側をそっと見る。間違いなく隣りには誰も坐っていない。訝しげな気持になってもう一度対面の窓に目を向ける。窓ガラスには相変わらず気味わるい薄ら笑いを浮かべた顔が映っていた。

 ややあって、今度は耳を疑った。野太い声で右耳の後ろから名前が呼ばれた気がした。

 そんなはずがあるわけない――まさかと思いながらもゆっくりと首を回して背中の窓ガラスに目を向ける。そこには当然のこと、墨を流したのと同じ漆黒の闇が流れているだけだった。

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