第2話
宮部は仕事を片づけて八時半近くに会館に着いた。
入り口に書かれた案内板には、「土田家通夜式場・二階」と白文字で書かれてあった。
ほかにも二件の通夜が営まれているようだ。
エレベーターで二階に上がり、受付で香典を差し出して記帳を済ませると式場に向かった。通夜式場は読経もすでに済み、弔問客もなくなってがらんとした空間に静かなクラシックの曲が流れるなか、遺族が打ちひしがれたように椅子に坐っている姿が痛々しかった。
焼香のために部屋のなかほどに置かれた香炉の前まで行き、あらためて遺影となった土田圭介と対峙する。
白木の祭壇に納まった彼は、何事もなかったと言いたげに微笑みかけている。かと思えばまるで何もかも全うし、これ以上することがないと言ったような顔でいるようにも見えた。
(おまえはそんな屈託のない顔をして……本当に死んでしまったのか?)
宮部は奥歯を噛み締めながら胸の中で呟いた。
焼香を済ませ、遺影に一礼したあと、もう一度遺族に向かって哀悼し、ゆっくりと踵を返した。
二、三歩足を進めて顔を上げた時、最後列で大野木が場所を報せるために肩のあたりで手を挙げているのが目の端に入る。宮部は小さく頷き、そろそろと大野木の隣りに腰を降ろした。
「すまん、仕事で遅くなった」
宮部は圧し殺したような声になったまま言った。
「仕方ないだろ」
「あいつには申し訳ないが、俺も明日の告別式は無理だ」
「そうか」
「で、ほかの連中には連絡してくれたのか?」
「一応気心の知れた連中には電話したんだけど、なかなかみんな忙しいらしくて、通夜に来られるのは、俺とおまえのふたりだけだ」
「寂しい話だよな」
「まあしょうがないと言えばそれまでだけど、人間ひとりの終焉とははこんなもんなのかもしれん。こう言っちゃあなんだけど、結局葬式というのは、これまでの生き様を反映したものじゃないか」
「そうかもしれんが……。ところで、いまさら訊くのもあれだけど、病名はなんだったんだ? この席で奥さんに訊ねるのもどうかと思って」
「俺も電話で奥さんに聞いただけだから詳しくは知らないけれど、脳梗塞らしい。昨夜の十時ごろ仕事から帰って、風呂から出たあとで急に倒れてそのままだと言ってた」
「そうなんだ」
そう言いながら宮部は昨日のその時間に自分が何をしていたかを思い返す。
帰りの電車に乗っていた頃だろうか――。
「ところで宮部、おまえ晩飯まだなんだろ、土田を偲びながら飯でも喰わないか?」
「そうだな、あとは遺族に任せてそうするか」
式場を出たふたりは、駅に向かって歩き出した。
十一月末の夜気は躰に滲みる。宮部は軽く身震いをしたあと、肩をすくめて大野木と並んだ。
雨上がりのせいで歩道のあちこちに水溜りが白く光っている。正面に見える歩道橋が冷たく見えた。
駅への道をしばらく歩き、煌々と灯りを点けた居酒屋の縄暖簾をくぐる。店内は一山過ぎたらしく客の姿はちらほらだった。ふたりはコートを脱ぎながら入り口に近い席に腰をかけると、早々にビールとツマミを二品頼んだ。
「つい半年前に松野が膵臓ガンで死んで、今度は土田が脳梗塞。仲間の数が段々少なくなっていくよな。まあ俺たちも五十を過ぎた。ひと口に五十というけど、考えてみれば半世紀生きてきたことになる。だからまあ、いつそうなってもおかしかない年齢になったっていうことだ」
大野木は手にしたビアグラスを空ける。
「そうだなよな。大野木、おまえの言うとおりだ。俺たちももうそんな年になった。本当に躰には気をつけないとな」
突き出しの枝豆を口に放り込みながら言った。
「宮部は躰にいいこと何かやってるのか?」
「いいや、別に何もしてないよ。そういうおまえはどうだ?」
「俺か? 俺は週一でスポーツクラブに通って、プールで泳いでる」
「水泳か、あれは全身運動だから躰にいいらしいな」
宮部はビールを大野木のグラスについだあと、手酌でビールをグラスにつぐ。白い泡がこぼれそうになった。
「いろんなスポーツがあるけど、どうやら俺には水泳がいちばん合っているようだ。その証拠に三年もつづいてる」
大野木は大好物を目の前にしたみたいに、目を細めて嬉しそうな顔で言った。
「俺はだめだ」
宮部はあっさり白旗を揚げる。
「そうだよな。宮部は輸入会社の営業部長だから、忙しくてそれどころじゃないわな」
「違う、違う」
宮部は顔の前で大きく手を振りながら言う。
一時は頻繁に東南アジアへの買い付けに出かけたものだが、経済破綻の影響でめっきり回数が少なくなったのと、後進を養成する義務もあって、最近ではほとんど海外出張というものがなくなった。
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