第十四話 あなたの胸に覗き窓

第14話 あなたの胸に覗き窓

 〜むむむ、胸に穴が……〜




 うちには気になる人がいます。

 名前はたけるさん。


 六尺はあるんかなぁ? ノッポで男前。

 最近になって、近所のお風呂屋さんで、住みこみとして働きだしたんどす。


 内湯のある家は少ないさかい、みんな銭湯に通うんどす。近所の女学生は、とたんにキャアキャアさわぎだしました。


 もう四十にはなるんやろうけど、二枚め役者みたいな苦味走った、ええ男なんやもん。うちらがさわぐんは、あたりまえどす。


 でもな。うちが威さんを気になるのは、男前やからやおまへん。


 だって、だってな。こんなん言うたら、おかしい思われるかもしれへんけど、ほんまなんえ。ウソついとるんちゃうんよ?


 じつは、威さんの胸には、大きな穴があいとるんよ! うち、初めて見たとき、仰天して「キャアアッ」って悲鳴あげてしもたわ。


 まだ、このころは着物きとる人も多くてな。

 威さんも藍のかすりのあわせを着とったんやけど、何度見ても、胸のとこが大きく穴になっとるやない。穴のなかから、むこうの景色が見えるんよ。


 これで気にならんわけないやろ?


 なんで、この人、体に穴があいとるん?

 ほんまは妖怪変化やない?

 それとも奇術師やろか?


 怖いわぁ。穴あいとるのに生きとるわぁ。


 気になって気になって、会うたんびに、じいっと胸ばっかり見とるんよ。


 威さんはノッポやし、うちの目の高さが、ちょうどまた胸の穴んとこに来るんよね。


 そしたら、今日、その穴んなかにな。おったんよ……。

 小さい女の人が。

 優しそうで、儚げで、ちょっとさみしそうやけど美人どす。


 うちとは正反対のおとなしそうな大和撫子。


 うちと目があうと、恥ずかしそうに笑うて、まつげをふせたん。


 むう。キレイな人や。

 この小人、なんなん?


 番台にすわる威さんの胸(のなかの女の人)を見つめとったら、ハハハっと、とうの威さんに笑われてしもた。


「みやちゃん。風呂、入らないの? さなちゃんや、まきちゃんは、もう入ってるぞ」


 ハッ! 変に思われたんやろか?

 でも、変なんは、うちやないやろ? 威さんのほうえ。


「うち、試験が近いから考えごとしとっただけえ」

「そう? おれが、いい男だから、見とれてるんだと思った」


 うちは、なんだか顔が熱くなりました。


 威さんは大人やから、きっと、これまでにも、ぎょうさん女の人と遊んできたんやろな。


 うちのことなん、まったくの小娘あつかい。

 こんなふうに手玉にとられると、腹立たしいのと悔しいので、胸のなかが、わやくちゃになるんよ。


「威さんなんかキライ! イケズ!」


 あははと楽しそうに笑う威さんに見送られて、女湯のなかに入りました。


 女湯には、同級生の早苗ちゃんや真紀代まきよちゃんが来てましたん。


 うちが不機嫌な顔しとったんでっしゃろな。


「みやちゃん。どないしたん? えろう、ふくれとるやん」

「みやちゃんは威さんと会うと機嫌悪うなるんよねぇ。乙女心は複雑やなぁ」と、二人はからかってきました。


「そんなんやないえ。うち、威さんのことなん、なんとも思ってへんもん。威さんが変わり者やからや」


「変わり者? 東男やし、京のことはよう知らんやろうけど。うちは、ええ人やと思うわ」と、さなちゃん。


 さなちゃんは成績もよくて、大人っぽくて、美人なんどす。胸のふくらみも、うちより大きいような……悔しいわぁ。


 さなちゃんは、どうも威さんのことが気になっとるみたいなんよね。


「でも、ほら、このへんが……」

 うちは思いきって、胸のあたりを手でかざします。けど、二人は首をかしげました。


「うーん? そやねぇ。うちのお父はんより胸板は厚いわ。みやちゃん、逞しい人がええんやね」

 まきちゃんはケラケラ笑います。


 うちは、ほおが、ぼっと熱くなるのを感じました。


「そうやのうて、このへんに穴があいとるやん?」


 さなちゃんと、まきちゃんは、おたがいの顔を見あわせました。


「穴?」

「どこに?」


「せやから、胸んとこに」


「胸……?」

「みやちゃん……目ぇ、おかしいんちゃう?」


 さなちゃんと、まきちゃんの目つきが、つきささります。うちは、あわてて言いわけしました。


「えっとぉ、き、着物の……?」


「ああ。着物」

「独り身なんやもん。つくろうてくれる人がおらんのやね」


 なんとか、ごまかせました。

 でも、これでハッキリしましたな。

 やっぱり、うち以外の人には、威さんの胸の穴は見えてへんのんどす。


 なんで、うちにだけ見えるんやろ?

 もしかして、うちのご先祖に陰陽師でもおったんかな?

 威さんは狐の変化なんかもしれへん。


 そんなことを真剣に考えとったら、のぼせそうになりました。


「みやちゃん。うちら、さきにあがるえ」

 手ぬぐいで前をかくした、さなちゃんが言うたので、うちも、あわてて湯船から出ましたん。


「うちも、あがるわぁ」

「みやちゃん。顔が真っ赤やない。倒れたらあかんし、ここで、ちょっと休んでからあがりよし。ほなな。明日、学校で」


 ふぅ。さなちゃんは、ほんま世話焼きのべっぴんさんやなぁ。


「みやちゃん、気ィつけや。うちも帰るわ」と、まきちゃんも言いました。けど、去りぎわに、イケズな笑いかたするんよね。


「うちらは早うあがって、威さんに勉強、教えてもらうんよ。みやちゃんは威さんのこと、なんとも思うてへんから興味ないやろし」


 むむむっ。でも、なんやろ? うちだけ、のけもんにされると、なんや悔しい。


「うちも、すぐあがる。どこで?」

「番台に決まっとるやろ」


 威さんは、今は銭湯の下男なんてしてはるけど、きっと、ええ教育受けとるんやろね。女学校の宿題なんか、ささっと解いてくれはります。そこが、また人気なんやけど。学校の先生より教えるんが、うまいんよね。


 みんな、お風呂に教科書持ってきて、威さんに聞いたりするん。でも、威さんは風呂焚きしたり、掃除したりで、番台にいはれへんことも多いから、会えるときがかぎられとって……。


 なんで、うち、のぼせてしもたんやろ。うかつやったわ。宿題、わからんとこあったのに。


 うちが恨めしく、さなちゃんと、まきちゃんを見送って、十分ほどあとやったか。あわてて出ていったときには、番台にはもう、威さんはいはりまへんでした。


 風呂屋の旦那さんが、かわりにすわっとります。


「おっちゃん。威さんは?」

「さっき、晩飯に帰ったえ」


 銭湯は夜中の零時まで、あいとるんどす。

 せやし、キリのええとこで一人ずつご飯にするんでっしゃろな。


 うちは大急ぎで下駄をはいて、外へ出ていきました。銭湯のとなりの長屋に、威さんが住んどるんは周知の事実でした。


 長屋まで、たずねていったことは、まだないんやけど、なんとなく、この日は勢いで行ってしもたんどす。


 ええと、奥から二番めやったっけ?


 路地を入っていくと、ちょうど夕餉ゆうげ時分やさかい、どのうちからも明かりと笑い声がもれとりました。晩ごはんの、ええ匂いも漂っとります。


 うん。ここやな。うちは表札をたしかめてから、カラリと玄関の引戸をあけました。玄関は土間どす。


 それにしても、明かりがついてへんけど、留守やろか?


 こんばんはーーと、声をかけようとしたとき、うちは座敷のなかに、ぼんやりと立つ亡霊を見て、あやうく腰をぬかすとこでした。


 悲鳴をあげかけたけど、よう見ると、なんや、威さんやん。暗がりに立っとるから、オバケやと思うたわ。


「威……さん?」


 声をかけると、ギョッとしたようすで、威さんがふりかえりました。ほんでな。つるんと手で顔をぬぐいましたんや。


 うち、ドキリとしました。

 暗うて、ようはわからんかったけど、この人、今、泣いとったんと違う?


「なんだ。みやちゃんか。どうしたんだ? 年ごろの娘が独り身の男のうちなんか、たずねてくるもんじゃないぞ」


 快活に笑う顔つきは、いつもの威さん。

 でも、うちには、わかったんよ。

 やっぱり、威さんは泣いてはったんやと。


 胸のなかの女の人が、心配そうな表情で、威さんの胸を小さな小さな手で、なでとったんやもん。


 そうや。この人には家族がおれへんのやと、そのとき初めて、うちは実感しました。威さんの年で独り身なんは、深い事情があるに違いないんやって。


「威さん。うち、これから夕餉なんよ。いっしょに食べへん?」


 思わず、口から出まかせが出とりました。


 威さんは、ちょっと考えたあと、ニッコリ笑わはりました。笑顔は少年みたい。

 胸のなかの女の人も嬉しそうどす。


「それは助かるけど、悪いよ。親父さんやお袋さんは了解してるの?」

「うちのワガママは、なんでも聞いてもらえるんよ。そのかわり、うちに宿題、教えてぇな」


「なるほど。まあ、それなら。でも、三十分で仕事に戻らないと」

「ええよ。勉強は明日の仕事前に教えてくれはったら」


 というわけで、とつぜんながら、威さんは、うちの家庭教師になりましたん。




 〜その人、誰なん?〜



 威さんは月曜から金曜まで家に来てくれはります。

 威さんの仕事が始まる前の一時間ほど。


 うちに勉強教えて、それから仕事に行って、今度は七時すぎに夕ご飯、食べに来るんどす。


 最初は両親もおどろきましたけど、威さんは、きさくやし、話がうまいんどすなぁ。あちこち旅に行っとって、そんな話を聞くだけでも楽しいんどす。


 せやし、威さんは、あっというまに、うちの家になじみました。


 おかげで、うちは、あの人を観察する機会が増えました。威さんの胸の穴に住む、小さい美人さん。


 いつも見えとるわけやないんよね。

 うちは、あることに気づきました。

 その人が見えるのは、いつも威さんが、ぼんやりしとるときなんやって。


 うちのみんなとご飯を食べながら、威さんの穴のなかには、違う景色が見えとりました。


 今の長屋と変わらん粗末な家やけど、小さい美人と小さい威さんが、二人で小さい座卓をかこんで、ご飯を食べとるところ。二人で笑いながら、それは幸せそう。


 人形劇みたいなもんどすな。

 本物の威さんは、お茶の間の話で盛りあがりながら、お母はんの得意料理をおいしそうに食べとるのに、胸の穴のなかでは、別の人とお食事中。ひっそりと続く人形劇。


 あっ! あかん。今、この人ら、口と口つけよったで。

 なんやろなぁ。見とると、モヤモヤするんやけど。


「威さん! もう帰らんと、三十分すぎたえ」


 ムカムカするさかい、つい、大きな声になってしまう。

 すると、威さんの胸のなかの人形劇が消えて、なんもない穴になりました。


「あっ、そうだな。もう行くよ。今日も、ありがとうございました。じゃあ、また」

「うちも、いっしょにお風呂行く」


 うちは、たらいと手ぬぐい持って、威さんにひっついていきます。


 夜道はまっくら。

 さりげなく、威さんによりそったりして。うふふ。


「なぁ、威さん」

「うん?」


 その胸のなかの人、誰なん?

 そう聞きたいのに、どうしても聞けまへん。


 うち、気づいたんやけど。

 胸のなかに見えるんは、威さんの思い出なんやろ?

 威さんが、その人のこと考えとるときだけ見えるんやね?


「威さんは、家族、いはらへんのん?」


 かわりにたずねると、威さんがだまりこみました。

 ふりあおぐと、星空をバックに、威さんのよこ顔はさみしそう。


「……家族は、みんな死んだよ」

「……すんまへん」


「もう昔のことだ。だから、嬉しいんだよ。みやちゃんたちと夕飯食ってると楽しい。みやちゃんがお嫁に行くまでのあいだだなぁ」


 威さんは笑って、うちの頭をかるくポンポンしました。

 ほんまに子どもあつかいして。でも、イヤやない。


 遠い目をして星空を見あげる威さんの胸のなかには、また、あの人が……。





 *



 うちがマゴマゴしとるあいだに、思わぬライバルが出現しましたんや。


 威さんが勉強教えてくれはったり、夕ご飯をいっしょに食べとることが、さなちゃんと、まきちゃんに知られてしもたんどす。


「みやちゃん、ズルイわ! うちらもよせてぇな。さなちゃんも、そう思うやろ?」

「そやなぁ。威さんには、うちらも教えてもらいたいなぁ」


 ほんで、勉強会に、さなちゃんと、まきちゃんも来ることになりました。


 まきちゃんは、うちと同じで、おぼこいからええんやけど、さなちゃんは美人で大人っぽいから、威さんのあつかいが、うちらとは違うようでした。


 あるとき、二時半になっても威さんが来えへんかったんどす。三時に風呂屋があくんやから、なんぼなんでも遅いなと、長屋まで行ってみたんどす。


 長屋のなかから、威さんの声が聞こえます。

 うちは戸をあけようとして、ハッとしました。

 威さんの声にかぶさって、もう一つ声が聞こえるやないの。


 さなちゃんの声や!


 うちは立ち去ろうか、なかへ入ろうか、迷いました。

 なんで、さなちゃんが威さんの家におるん?

 何、話しとるん?


 そろぉっと引き戸を少しだけ、あけてみました。

 するとーー


 ああっ! 信じられへん! 何しとるんよ!

 威さんと、さなちゃんが接吻しとるやないの!


 うちがカッとなって、引き戸を思いきりあけようと手をかけたときです。


 さなちゃんの肩を両手でつかんで、威さんが、そっと引き離しました。


「さなちゃんは、これからの人じゃないか。君には、いくらでもふさわしい男がいるよ。帰りなさい」


「うちは威さんが好きなんどす。年なんか関係おまへん」


 さなちゃんは、ちっとも、ひきさがる感じやありまへん。このままやあかん。さなちゃんに威さんをとられてまう。


 うちが今度こそ戸をあけようとすると、急に威さんの声がするどくなりました。


「おれが愛してるのは、今でも死んだ女房だけだ。誰とも新しい家族を作る気はない」


 そう言う威さんの胸の穴には、あの人がおります。

 白無垢の花嫁衣装を着て、ほんのり、ほおをそめた、あの人が。そばには紋付袴の威さんが、ちょっと、かたい顔して立っとりました。


 今でも愛してるのは、あの人だけーー

 うちがショックで立ちすくんどると、なかから、さなちゃんがとびだしてきました。うちを見て、ギョッとしたあと、なんも言わずに走っていきました。


 威さんは、うちに気づくと、土間におりてきて、

「ごめんな。勉強は、また今度」

 そう言って、玄関の引き戸をしめてしまいました。




 〜うち、やっぱり、威さんが好き!〜




 それから数日。

 威さんは来まへん。

 うちも会いに行く勇気なかったんやけど。


 そしたら、夏休みに入って、まきちゃんが朝早くに、うちの家にとびこんできました。


「聞いた? さなちゃん、今日、結納なんやって!」

「ええーッ!」


 結納? いつのまに?

 さなちゃん、まだ十六え?

 うちと同学年なんやもん。年はごまかしてへんかったはず。


「結納? 誰となん?」


 まさか、威さんやないやろね?


 でも、まきちゃんが言うには、

「銀行の頭取の息子さんやって。さなちゃん、べっぴんさんやから、前々から話はあったんやって」


 なるほど。ほんで、さなちゃん、強引に威さんに……。


 うちは、まきちゃんと二人、さなちゃんの家にかけていきました。


「さなちゃん! 結婚するって、ほんま? 結納なんやって?」


 おさななじみの家やさかいにな。

 家の間取りは、よう知っとります。

 八畳ほどの客間に、晴れ着を着た、さなちゃんがすわっとりました。お相手は、よかった。まだ来てへん。


 さなちゃんは、うちとまきちゃんを見て、さみしそうに笑いました。


「ごめんな。女学校も今年いっぱいでやめることになったんよ。相手の人が三十になるさかい、早う結婚したいんやって。前にお母はんと銀行、行ったときに、うちのこと見初めたらしいんよ」


 むうん。三十かいな。おっちゃんやな。威さんより若いけど、要は顔やもん。顔なら絶対、威さんのほうがええに決まっとる。


「そんなん、さなちゃん、ええの? さなちゃんが好きなん、威さんなんやろ?」


 さなちゃんは、なんとも言えん顔して、うちを見ました。


「うちは、もうええんよ。威さんは頭のええ人よ。ちょっとやそっとのことで、うちみたいな小娘になびけへんわ。うちには威さんの気持ちを変える力はないんやなとわかったから」


 そう言われると、うちには、なんも言えまへん。

 さなちゃんは、うちの顔をじっと、のぞきこんできます。


「それに、みやちゃんかて、威さんのこと、好きなんやろ? うちにとられたら、腹立つやろ?」


 うん、まあ、そうやけど……って、えっと……そやなぁ。やっぱり、好きなんやろな。


 胸に穴あいとる人なんか、ほかにおれへんもんな。

 うちは、ああいう変わった生き物が好きなんやな。

 昔っから、アマガエルが好きとか、巳ぃさんが好きや言うて、さなちゃんやまきちゃんに、仰天されとったもん。


「うち、威さんが好き!」


 さなちゃんは、ほうっと、ため息をつきました。


「みやちゃんには負けるわ。うちは、あきらめるけど、みやちゃんはあきらめたら、あかんえ?」

「うん。うち、絶対、あきらめへん」


 うちは、あきれとるまきちゃんを残して、そのまま、かけだしました。もちろん、威さんの長屋にです。


「威さん。威さん! あけてぇ。あけてくれへんと、戸ぉ、けやぶるえ?」


 そしたら、なかから、大きな笑い声が聞こえてきました。寝巻き姿の威さんが、髪をクシャクシャしながら、ガラリと引戸をあけて出てきます。


「朝から、にぎやかだなぁ。みやちゃんは。どうしたんだ? ああ、もう夏休みに入ったんだろ? しばらく勉強会はお休みな」


 むむぅ。距離をとってきはったなと、うちは思いました。

 威さんは大人やし、うちが威さんを好きなことなんて、うちよりさきに知っとったんやろね。


 でも、うち、負けへんえ。

 恋は勝負や。勢いや。押して押して押しまくるんや!


「威さん!」


 ずいっと土間のなかに入りながら、うちは、うしろ手に引戸をしめます。


「みやちゃん。どうした? 顔が怖いぞ」

「からかわんといて! うち、威さんが好きや!」


 威さんは両手を腰にあてて、さて、どうしたものかと考えるようです。胸の穴に……今日は美人さん、おれへんのやね。


「……わかってるよ。だけど、おれには、そんな気ないから。悪いけど、みやちゃんも、さなちゃんも、おれから見たら、まだまだ赤ん坊だ。おれが愛してるのは死んだ女房ーー」


 うちは威さんの言葉を途中でさえぎって、


「そんなん、この前、聞いた! 威さん! ほなら聞くけど、威さんのその穴、なんなん?」

「はっ?」


「威さんの胸、こない大きい穴あいとるやん」

「はっ? 穴?」


 とまどう威さんの胸の穴を、うちは叩きました。

 あれ? 叩いた感じは穴やない。

 でも、ここはもう押しきるしかあれへん!


「ここに穴、あいとるやない。威さん、ほんまは、さみしいんやろ? 家族がほしいんやろ? せやから胸に風穴あいとるんやろ? 一人じゃイヤやって、言うたらええやん!」


 何度も何度も、威さんの胸を叩きながら、うちは叫びましたん。言うとるうちに、なんでか、うちのほうが泣けてくるんどすなぁ。


 わあわあ泣いとると、威さんは笑いながら、うちの頭をポンポンしてくれました。


「ありがとう。みやちゃんは優しいなぁ」

「そんなんで、ごまかせへんえ。うちと結婚して!」

「それはムリだ。年が離れすぎてる」


 強情やなぁ。どないしょうか、もう。押し倒したろか。


 そのときでした。

 おかしそうに笑う威さんの胸の穴のなかに……。

(あっ! うちや)


 うちが威さんのなかにいて、泣いたりわめいたりしながら、威さんの胸をポカポカ叩いとります。


 これは、つまり、威さんが、うちのこと考えとるってこと……?


 どうやら、うちは威さんの胸に侵入することができたみたいどす。





 *



 その後どすか?

 二年後、うちと威さんは夫婦になりました。くどきおとすんは大変でしたけどな。もう、ほんま強情なんやもん。


 子どももできて、孫もできて、幸せな一生でした。

 威さんに、もう一度、家族を持たせてあげることができた。それだけで満足どす。


 威さんの胸にあいた穴を埋めることはできひんかったけど。


 今でも、ときおり、前の奥さんが穴のなかにおりますけど。


 でも、うちは幸せなんどす。

 だって、威さんの心をのぞく窓のなかには、うちの姿が、いっぱい……。

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