第十一話 雨の夜、桜の下で

第11話 雨の夜、桜の下で

 〜雨がやんだら……〜




 雨が降っていました……

 満開の桜を無残に散らしていきます。


 その日、わたしは塾の帰りが、いつもより遅くなりました。近道の小さな天神さんのなかを通ったとき、あたりは、まっくら。人影もありませんでした。


 いつもは夜桜のきれいな穴場スポットだけど、今夜だけは、なんだか、薄気味悪い……。


 そんなとき、とつぜん、稲妻が走りました。


 桜の木のもとを一瞬、青白く照らします。


 わたしは思わず、悲鳴をあげました。

 雷が怖かったわけじゃありません。

 稲光のなかに、人の姿が浮きあがったからです。


 それが、なんだか、とても恐ろしいものに見えました。


 なぜなら……。


 ぼうぜんとする、わたしの肩を、後ろから、誰かがたたきました。わたしは、もう一度、悲鳴をあげました。


「ごめん。ビックリさせた?」

 その声を聞いて、また、ハッとします。


 ふりかえって、三回めの小さな悲鳴をもらします。

 でも、今度の悲鳴は、嬉しい悲鳴というやつ。

 それは、一年のときから、あこがれていた、一学年上の先輩でした。


「東堂先輩」

「おれのこと、知ってるんだ?」

「知ってますよ。だって……」


 ずっと、見てたからーーとは言えないので、とりあえず、


「だって、先輩は有名だから。全校生徒が知ってると思いますよ?」


 それは、ウソじゃない。


 アイドルみたいなキレイな顔立ち。成績もトップクラス。さらに、柔道部、剣道部、空手部を掛け持ちで、どれも府内ベストスリーに入るというスーパーマン。


「君は、えっとーー二年の子だよね?」

「宮原です。宮原さやか」

「そう。宮原」


 先輩は急に、わたしのさしたカサのなかに入ってきました。そして、じっと、わたしの顔を見つめます。


 なんだろう。告白されるんだろうか、なんて考えてしまうほど、ドキドキした数秒間です。


 でも、先輩の言ったのは、ぜんぜん別のことでした。それは別の意味で、ちょっとドキッとする言葉でしたが。


「宮原。さっき、悲鳴あげたよね? なんか、見えた?」


 恋のドキドキが、すっと、また少し薄気味悪いドキドキに変わっていきます。


 そう。たしかに、見ました。

 とても奇妙なものを。


 桜の木の下で血を流す人影……だったような?

 桜の幹に、もたれるようにして、眠るような表情にも見えたけど。


 わたしは答えに困りました。


「……べつに、なにも」と、答えるまでに、数分はかかりました。


 ごまかすために、わたしは言いました。


「先輩こそ、ここで何してたんですか? 髪、ぬれてますよ?」


 もしかして、さっき稲光のなかに見えたのは、東堂先輩だったんだろうか?


 何かの見間違いで、あんなふうに見えただけで?


「雨やどりだよ。急に降りだして」


 境内にあるお稲荷さんの鳥居。これが桜の木の木陰になっています。東堂先輩は、ここで雨がやむのを待っていたようです。


「宮原、五条方面行くなら、送ってくれる?」

「いいですよ」


 喜んで、アイアイ傘です。

 先輩と、こんなふうに二人で話せるなんて夢のよう。そのあとの数分は、たぶん、一生の思い出になる、ひとときでした。


 わたしのマンションの前につくと、「じゃあ」と言って、先輩は、かけだしました。


 わたしは思いきって、ひきとめます。

「待って。このカサ、使ってください」


 先輩は引きかえしてきて、また、わたしの顔をのぞきこみました。


「ありがとう。じゃあ、借りるよ」とカサを受けとり、かがみこんできます。


 キスされたら、どうしよう。いや、いっそ、好きだって言っちゃう?ーーなんて考えてたのに……。


 先輩は、やさしい声でささやきました。


「宮原は、もう、あの神社には行かないほうがいいよ。とくに、十年後の今日は」


 ハッとしました。

 さっき見た幻影が、脳裏に、よみがえります。


 もしかして、先輩も見えたんだろうか?


 そういえば、東堂先輩には、ちょっと、おかしなウワサがある。


 占い……ってほどじゃないみたいだけど、助言が、よく当たるとか。先輩の助言を聞いて、事故をまぬがれたとか。テストのヤマカンは百発百中だとか。


 たとえば、もっと霊的な力で、死んだ人が見える……とか?


 そのせいなのか、わからないけど、東堂先輩の笑顔には、どことなく物悲しいような、かげりがある。


 女の子は、みんな、そこに惹かれるんだけど。


 わたしが聞きなおそうとしたときには、先輩はもう走りだしていました。


 次の桜の季節、東堂先輩は高校を卒業していきました。けっきょく、わたしは告白することも、あの夜の話もできませんでした。




 *


 あれから、十年たちました。


 わたしは普通のOLになり、平凡に暮らしています。


 去年の春に、大学時代の友人と再会しました。今の彼です。


 わたしたちは来年、桜の咲くころに結婚しようと約束しました。つまり、今年の春に。


 約束の日の前日、わたしは彼に呼びだされました。あの神社です。雨の夜、夢のような数分をすごした、あの思い出の場所。


 桜が咲いています。


 十年前のわたしが好きだった、少し怖いような夜桜……。


 桜の木の下で、彼が待っていました。


「どうしたの? 急に」


 わたしが声をかけたとき、ぽつぽつと雨が降り始めました。遠くで、カミナリも鳴っています。みるみるうちに、雨は激しくなってきました。


 まるで、あの日の再現のように。


 わたしは桜の木に近づいていきました。


 稲妻が光りました。


 彼の顔が青ざめて見えます。


 雨のせいで、彼の髪は、うねっています。天然パーマなのです。


 そんなところが、東堂先輩に似てるなと思いました。ほかは、とくに似たところはないのですが、ぬれた髪は、十年前の、あの雨の夜の先輩を思いだします。


 わかっています。


 たぶん、わたしは今でも、先輩に、あこがれています。だから、どことなく先輩に似ている人に惹かれるのでしょう。


 だから、悪いのは、わたし。


 彼を苦しめたのは、わたしなんだと思います。


 今日、この場所に来ることが、どんな意味があるのか、もう、わたしには、わかっています。


 十年前には、わからなかったけど……。


 これが運命なら、わたしは甘んじて受けなければならないのです。


 わたしが近づいていくと、彼はポケットからナイフをとりだしました。ああ、やっぱりと思いました。


 しかたありません。


 結婚二週間前になって、別れようなんて言えば、誰だって腹が立つでしょうから。


 わたしは恨まれて当然なのです。


 十年前のあの日、わたしが見たのは、桜の下に、よこたわる、血まみれのわたしでした。


 写真のように、はっきりと。


 彼がナイフをふりかざします。


 わたしは目をとじました。


 これで、あの日に帰れる……


 もしかしたら、わたしは、それを望んでるのかも?


 ところが、そのときです。


 雨音が乱れました。


 激しく水の、はねるような音がして、彼が、うなり声をあげました。ふりかざされたナイフは、いつまでたっても、おりてきません。


 わたしは目をあけました。


 桜の下に、二人の人がいます。

 一人は、彼。

 でも、その彼の腕をとって、おさえているのは?


 稲妻が走りました。

 青い閃光のなかに、その人の姿が、くっきり浮きあがりました。


「東堂先輩……」


 先輩は彼の手からナイフをもぎとりました。そして、わたしをふりかえります。


「近づくなと言ったろ? こうなるのは、わかってたはずだ」


 先輩は、おぼえていてくれたのです。

 わたしのこと。

 あの日、わたしたち二人で見た幻影を。


(とっくに忘れられてると思ってた……)


 涙が、あふれてきました。

 わたしは先輩にすがりついて泣きました。


 先輩にとっては、ただの親切かもしれない。けど、それでもいい。この人のなかに、この十年、わたしは生きていた。記憶のかたすみに。それが嬉しかったのです。


 そのあと、警察が来て、いろいろ聞かれました。


 先輩は、ぐうぜん通りかかったんだと言ってました。わたしも、だまっていました。


 十年前に、今日のこの日を見たんだなんて言っても、誰も信じてくれないでしょう。


 去るときに、先輩は、そっと、わたしに渡してくれました。一枚の写真です。デジタルの日付は、十年後の今日です。


 わたしは、その日も、ここの桜のもとにいました。

 小さな女の子の手をひいて笑っています。とても幸せそうです。


 そうか。これが、次の十年後のわたしなのか。

 なら、もうちょっと、がんばってみようか。


 子どもの父親が誰なのかは、わかりません。

 それは、先輩ではないのかも。


 でも、こんなふうに笑っていられるのなら……。

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