第二話 五条と七条のあいだ
第2話 五条と七条のあいだ
京都の地下鉄烏丸線には、六条駅がない。
五条と七条にはあって、六条はない。
子どものころから、不思議だった。
祖父に聞いてみたことがある。
「じいちゃん。なんで、六条には駅がないの?」
「うーん。なんでかな。ばあちゃんに聞いとけばよかったな」
ちなみに僕は小一のときに両親を事故で亡くした。祖父にひきとられ、兄の猛と三人で暮らしてる。
祖父も生家は東京。京都生まれでも京都育ちでもない。
したがって、京都のことは、それほど詳しくない。
京都生まれ京都育ちの祖母は、すでに鬼籍の人だ。
疑問に思いながらも、ふつうに乗っていた。
地下鉄は、よく使った。
祖父の家が五条にある。七条通りの京都駅まで、地下鉄だと一駅だ。買い物とか、JRへの乗り継ぎに、京都駅へ行くことは多い。
問題の六条は、その五条駅と京都駅のあいだだ。
あれは、高校一年のときだったろうか。
僕は学校帰りに友達と、京都駅まで遊びに行った。
ポルタで本やCDを見て、Tシャツを一枚、買った。おやつに立ち食いの、うどんを食べた。
帰りは、友人は近鉄だ。
僕は一人で地下鉄に乗って、家に帰る。
帰宅ラッシュで、車内は混雑していた。
一駅なので、僕はドア前を陣どる。
次の駅で降車した。
ホームに降りたとたん、何かが違うなと感じた。
いつもの、なれ親しんだ五条駅じゃない。
なんていうか、暗い……。
地下鉄なんだから、ホームは、どうしたって人工照明だ。それにしても、いつもより暗い。
第一、人がいない。
ホームに降り立ったのは、僕一人だ。
そんなわけあるはずない。
五条通りはビルやマンションも並びたつ、にぎやかな場所である。
なんだ、コリャ?
降りる駅、まちがえたか?
一駅なのに?
しょうがないので、次の列車が来るのを待った。
だが、来ない。
帰宅ラッシュ時なんだ。
五分置きには来るはずの列車が、待っても待っても、いっこうに来ない。
僕は心細くなった。
外に出よう。駅前なら、きっと近くにバス停がある。なければ、このさい、タクシーでもいいや。
地下鉄のホームは、どこからともなく、冷たい風が吹いていた。これ以上、その場にいることが、いたたまれなくなって、僕は階段をさがした。
階段はあった。というより、エスカレーターが。でも、止まってる。ますます、気持ち悪い。
僕は恐る恐る、止まったエスカレーターをのぼっていった。すぐに改札に出た。が、改札も無人だ。しかも、今どき、自動改札じゃない。
おかしい。どう考えても、おかしい。
烏丸線で、自動改札じゃない駅なんてあるのか?
それも、京都駅から、たった一駅の場所に?
しかし、無人だ。
こっそりと改札をくぐりぬける。
そのとき、背後で音がした。
カランと、空きカンでも蹴るような。
僕は、ふりかえった。
薄暗い照明のもと、誰もいない構内。
音をたてるようなものなんて、ない。
(なんだったんだろう……?)
一分くらい、かたまったまま、見つめていた。
しかし、とくに、おかしなものはない。
僕は、ほっとして、また前を向いた。
地上へ出る階段が、すぐそこにある。
急いで、その階段をかけあがった。
背後から何かが追ってくるような気がして、しょうがない。
外の光が見えてきた。
もう日没だ。
空が真っ赤に焼けている。
きっと、家路を急ぐ人で、ごったがえしてるはずだ。
早く、人のなかに、まぎれこみたい。
息せききって、階段をのぼりきった。
がーー
外に出たとたん、僕は絶句した。
(なーーなんだあっ、これ!)
そこは、五条じゃなかった。
いや、もしかしたら、五条なのか?
ていうより、問題は、そこじゃない。
これ、ほんとに……現代か?
なんか、古い町屋が、どこまでも続いて、道なんか舗装されてない。ビルも電柱もコンビニも、見なれたものが、いっさいない。
いつもなら建物にジャマされて、見えるはずのない北山が見える。
人影は少ないものの、遠くに、ぽつぽつとあった。
しかし、その人たちの着てるのが、みんな、着物だ。
ああ、やな夢、見てるなぁと思った。
きっと僕は、まだ地下鉄のなかだ。
立ったまま、うたたねしてるに違いない。
ちょっと、はしゃぎすぎちゃったかなぁ。
どうしよう?
とりあえず、家のほうに向かってみるか?
考えていると、なんだか、気配が変わった。
どっかから、大勢の足音が聞こえる。
こっちに向かってくる。
なんとなく、隠れたのは本能だったろうか?
近くの家の軒下に小さくなって、通りをながめた。
近づいてくるのは、やっぱり着物の男たちだ。
腰に刀をさしてる。侍だ。
まんなかに、大きなカゴをかついだ人たちがいる。
最初、暗いから、鳥でも入ってるかと思った。
だが、よく見ると、人だ。
白い着物をきた男が一人、カゴのなかに入れられている。
ギョッとした。
なんで、人が、あんな鳥カゴみたいなものに入れられてるんだ?
しかも、あの白い着物って、死装束じゃないのか?
カゴのなかの男と、僕の目があった。
寒気がした。
男が、にんまりと薄笑いしたからだ。
相手はカゴのなかで、僕に手出ししようがないのはわかってる。なのに、異様な威圧感を感じた。
しいて言えば、見つかってはいけないものに、見つかってしまった感じ。
通りには、人が集まってきていた。
着物をきた、妙に影っぽい人たちだ。女の人なんか日本髪をゆってる。
罪人やーーという、ささやきが、どこからか聞こえる。
ーー罪人やーー
ーーこれから、処刑されるんやーー
ーーまた首が、さらされるんえーー
そうか。あれは、処刑場へつれていかれる罪人なのか。
これから、処刑が始まるのか。
僕は息を殺して、行列が通りすぎるのを待った。
それにしても、ずっと、まとわりついてくるような視線を感じる。あのカゴのなかの男が、僕を見ている。そんな気がする。
アイツは、なんで、僕ばっかり見るんだろう?
僕は視線を地面にむけたまま、動けない。
やがて、行列は通りすぎていった。
ほっとした。
すると、足元に何かが、ころりと、ころがってきた。
マリ? 手毬か?
いや、違う。
手毬が、あんなに汚いものか。
なんか、白っぽい毛だらけの丸いものだ。
そう思ううちにも、ころころと、それは僕のところまで、ころがってくる。
視界に入った瞬間、僕は自分の口から、「ひッ」と変な声がもれるのを聞いた。
それは、白髪頭の人間の首だ。
顔は、さっきの罪人。
目が赤い。血の色だ。
凍りついて、それから目が離せない。
視線を釘づけにされてしまった。
自分の意思では、そらせない。
白い髪のあいだから、何かが生えてくる。
にょろにょろ、ニョキッーー
ツノだ。
頭がいをやぶって、二本のツノが……。
にいッと、そいつは笑った。
口のなかも、真っ赤だ。
「鬼ごっこ、しょうか……」
ねばっこい声で、そいつは、ささやいた。
僕は悲鳴をあげて、逃げだした。
見知らぬ街並みを、めくらめっぽう走りだす。
うしろのほうで、高笑いが聞こえた。
ちらりと、ふりかえる。
巨大な黒い影が、通りのまんなかに伸びあがるところだった。さっきの、あの生首が、ころがっていたあたりだ。
影は、完全に鬼だ。
僕は夢中で走った。
細い通りを、いくつも、まがった。
黒い影は見えなくなった。
人影もない。
チョウチョが一匹、視界をよぎる。
その飛翔さきを目で追うと、町家のあいだに小さな神社があった。
そこの沈丁花の植えこみを乗りこえ、椿の木の下に、もぐりこむ。
ひざのガクガクがとまらない。
僕はポケットから、ケータイを出した。
まだ、このころ、持ってるのは、ガラケーだった。
手も、ふるえている。
何度か、違う数字を押しながらも、自宅に電話する。
(猛。助けて。早く出てよ!)
僕は必死に兄を呼んだ。
しかし、いつまでたっても、つながらない。
もう涙が出る。
そのとき、とつぜん、身の毛が、よだった。
手のさきから二の腕にむかって、ぞおッと鳥肌が立っていく。
僕は自分の口を手でふさぎ、泣き声を抑える。
さっき、まがってきた通りが、沈丁花の茂みのあいだから見える。
何かが、そのまがりかどの向こうにいる。
大きな黒い影が見える。
頭に二本のツノのある、かたびらのようなものを着た、巨大な……。
ダメだ。死ぬんだ。
僕は、ここで、あいつに見つかって、殺されるんだ。
諦觀(ていかん)のあまり、ぼうっとした。
時間の観念も消えた。
赤い夕焼けが、いつのまにか、うら悲しい月夜になっている。
変だな。あのあいだに数時間がすぎたのか?
そんな、どうでもいいことが頭に浮かぶ。
そのとき、椿の花が、ぼとんと落ちた。
見えない刀で斬られたように、花首ごと。
その音は、息のつまるような静寂のなか、思いのほか、ひびいた。
影が、こっちを向いた。
「見つけた……」
アイツが笑ってる。
影の口が裂ける。
すっと、一歩、近づいてきた。
すると、誰かが僕の手をつかんだ。
ハッとした。
アイツが、たった一瞬で、ここまで瞬間移動してきたのかとすら思った。
が、目の前に立ってるのは、女の子だ。
十五、六。僕と同い年くらいの、おさげ髪で黄色い着物をきた少女。
「こっちえ」
少女は僕の手をひいて走りだす。
「ど、どこに行くの?」
「あんさん。こないなとこ、おったら、あかん」
「え? でも……」
アイツが追ってくる。
裂けた口をあけ、刀をふりあげ、もう、アイツの鉤爪の手が、僕の肩に届きそう。
少女が、ソイツにむかって、ふうっと息をふきかけた。
鬼が、ひるんだ。
毒でも、かけられたみたいに、おたけびをあげる。
ふわりと、僕と少女の体が浮いた。
黄色い羽の蝶々みたいに、少女は振袖をたなびかせ、空高く舞いあがる。
なんだか、少女が急に大きくなった。いや、僕が小さいのか?
僕は、いつのまにか、少女のふところに入っていた。
「これなら、見つけられへんやろ? うちが、つれてったるさかい、ええ子にしとってや」
「うん」
なんだか、あったかい。
なつかしいような心地。
つかのま、眠っていた。
ーーええ子やな。薫は、ええ子。じいちゃん、にいちゃんと、仲ようしよしーー
ーーうん。ぼく。じいちゃんも、にいちゃんも大好きーー
ふいに、目がさめた。
そうとしか言いようがない感覚だ。
目の前に、地下鉄の降り口がある。
誰かに背中を押された。
「早う行きや。鬼が来えへんうちに」
少女の声が、すうっと遠くなった。
僕は急いで、階段をかけおりた。
しかし、長い。この階段、こんなに長かったか?
全力で走ってるのに、おりても、おりても、さきが見えない。
背後から、グルグルと、獣のような、うなり声が聞こえた。うなり声は、みるみる、迫ってくる。
アイツだ。アイツが、すぐ、そこまで来てる。
足がふるえた。階段をふみはずした。
ダダッと、五、六段ほど、すべりおちた。
しかし、痛みも感じない。感じる余裕がなかったのかもしれない。
改札口だ! 改札口が見える!
そのまま、とびはねるように起きあがり、無人の改札口へ、かけこんだ。
アイツの足音が止まった。
ふりかえると、アイツは改札の向こうに立っていた。
鉤爪で、悔しそうに、空間をガリガリ、ひっかいている。そこに見えないカベがあるように。
(助かっ……た?)
ホームへおりた。
ちょうど、車両が入ってきた。
ひらいたドアに、すべりこむ。
列車が走りだす。
僕の意識は、そこで、とだえた。
*
「ーー次は五条。五条駅に到着します」
車内アナウンスが、僕の眠りをやぶる。
僕は満員電車のなかだ。
車両は五条駅に入った。
ひらいたドアから、後続人に押しだされるように、ホームへおりた。
ぼうっとしながら階段をあがり、地上出口に立つ。
「かーくん! こんな時間まで、なにしてたんだ! 心配させて」
いきなり、巨大な影が僕に抱きついてくる。
大丈夫。これは、兄の猛だ。
超絶イケメンなんだが、ブラコンすぎるのが、玉にきず。
「ええと……なにしてたんだろう」
「何って、電話かけてきただろ? 出たとたん切れるし、なんかあったかと思うじゃないか!」
あたりは、すっかり真っ暗だ。
ケータイを見ると、おっと、十一時をすぎている。
僕は五時間以上も地下鉄に乗ってたのか?
「うん。なんか、いろいろあって……疲れた」
猛は真顔で、僕をのぞきこんだ。
「顔色悪いぞ? ほんとに大丈夫か?」
「うん。たぶん……兄ちゃん。うちまで、オンブしてよ」
「はあっ? かーくん。なに言ってんだ?」
僕は、それきり意識がない。
気がついたときには、家のなかだ。
布団に寝かされていた。
おそらく、兄が、なんとかして家まで、つれかえってくれたんだろう。
僕は三日ほど、熱をだして、寝こんでしまった。
あの地下鉄でのことは、誰にも話してない。
話しても、きっと信じてくれないし。
今では、あれは病気が見せた夢だったんだろうと思ってる。
ただ、夢ですますには、つじつまのあわないことも、いくつかあるが。
たとえば、時間の歪み。
地下鉄は市バスじゃないんだ。百万遍みたいに、同じ場所をグルグルまわってるわけじゃない。
地下鉄のなかで五時間もすごすなんて、どう考えても、おかしい。
それに、猛にかけた電話。
通話履歴は九時すぎになっていた。
地下鉄に乗ってるはずの時間だ。
僕は寝ながら家に電話したのかって話。
ほかにも、いろいろあるが……。
「ねえ、猛。地下鉄には、なんで六条に駅がないの?」
それとなく聞いてみた。
あっさりと、猛は言った。
「六条は道が細いから、わざわざ駅作るほどの通りじゃないんだよ」
「それだけ?」
「それだけ」
兄は不満げな僕を見て、白い歯を見せて笑う。
「なんだよ。怖い話でもしてほしいのか? じゃあ、六条付近なら、六条河原かな。昔は、あそこで武将なんかが斬首されたんだってよ」
ころりと足元に、ころがってきた、鬼の首……。
「怖い話。もういいです」
「エンリョするなよ。夜中まで語ってやるぞ」
「いらないよ。バカ! 猛のバカー! しつこいとキライになるからね」
「な……泣くなよ。悪かったって」
しめしめ。ウソ泣きだっての。
わからないことの多い事件だった。
でも、ひとつだけ、わかってることがある。
それは、ひさしぶりに、ばあちゃんの着物を和ダンスから出して、虫干ししたときのこと。
「あれっ! この振袖!」
チョウチョの模様の黄色い振袖。
あの少女が着てたものだ。
「ああ。それはな。ばあちゃんが若い時分に着てたらしい」と、猛。
「ばあちゃんは、それが一番、お気に入りだったんだってさ」
僕が生まれる前に亡くなった、ばあちゃん。
だから、あのとき、なつかしい気がしたのかな。
あの人の胸に守られていたとき。
遺影のばあちゃんは、今日も笑ってる。
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