第688話 選択肢
広い店内は、思ったよりずっと美しく整えられている。
街中で見かける食材店と明らかに違う雰囲気に少々戸惑って見上げた。
「ねえここ、普通の食材店?」
きゅっと握る手に力を込めると、リンゼが首を傾げた。
「どういう意味だ? 普通の店にしか見えないだろ」
そうだろうか。だってほら、床に置かれているものがないよ。木箱からこぼれ落ちた葉っぱや、隣同士が混ざり合ってどっちがどっちの値段なんだか分からなくなっている、なんてものもない。
お澄ましした野菜が幾何学的にきちっと並べられて、これはもしや内装の一種だろうかと思う。
「なんか、すごく……高そうなお店」
「は? 高そうってお前、星持ちだろうが」
その言葉でハッと気が付いた。もしかしてリンゼ、星持ちが行く高級店に連れて来てくれたんじゃないだろうか。ああ、そうかリンゼの『普通』はこっちだもんね。
「そこらの屋台とか、通り沿いのお店で良かったんだよ……」
「そんなところに馬車で乗り付けられるか。構わないだろう、品揃えはこちらの方がいい」
フン、と鼻を鳴らす彼は、大した興味もなさそうに店内を見回した。
「確かに! それに、リンゼが食べるものはこういうところで買った方がいいよね! ねえ、何が好き?」
見たことのないものがあるかもしれない。いや、絶対にあるだろう。途端にウキウキしだしたオレは、弾む足もそのままに物色をはじめた。
「別に……何でも食う」
「嫌いなものはないの?」
「ない。あったけどなくなった」
ほんの少し陰った表情で察する。そうか、森で食いつないでいたんだもの。好き嫌いなんて言えるはずなかったよね。
オレはことさら大きく笑ってオレより大きな手を握る。
「へえ、リンゼ偉いね! あのねえ、カロルス様なんて苦手なものがいっぱいあるんだよ!」
「そうなのか?!」
意外そうに目を見開いて、どことなく嬉しそうな顔をする。カロルス様の格好いい面しか見ていない彼らからすると、弱点があった方が身近に感じるんだろうか。
「そう! でも、残したりしないのは偉いと思うよ」
「お前が偉そうに言うな」
オレは基本的に好き嫌いはないもの。オレの方が偉いんだから、偉そうで問題はない。
そんな何気ない会話をしつつ店内を巡っていて、問題がひとつ。
「わ、綺麗な赤! 果物かな? 甘そうに見えるけど……」
オレの握り拳ほどの赤く透けるような……実? だけど香りはさほどしない。
「それは野菜だ。甘くはないと思うぞ」
そう、見覚えのないものが多すぎて、どんな分類にあたるものか全然分からない。
オレはぐるりと店内を見回して、次いでオレのお財布と貯金の中身を確認した。
ふむふむ、うん……? なんか思ったより貯金額が大きい。
まあ、冒険で使うものは基本パーティ貯金で賄うし、オレが個人的に買うのは食材だけ。それも、野外で自分で採ってくるものも多い。そりゃあ貯まっていくだろうね。
ひとつ頷いて、にっこりとリンゼを見上げた。
「――わ、これも見たことない! 固いけど、食べ物なんだよね?」
石のように固い外皮に覆われた果実をしげしげと眺め、これもカゴへ放り込む。
「お前、本当にいいんだな?! こんなにどうするってんだよ!」
ガラガラと手押し車を推しながら、リンゼがもう何度目かになる確認をした。
「いいよ! 一通り買ってジフとかプレリィさんに見てもらうから! いいものがあったらまた買いに来る!」
そう、オレは悩むのを放棄した。これ全部下さい、は無理だけど、オレが珍しいと思う食材くらい全部買えるだろう。いくら高級店でも食材だ。ちなみに、ショーケース風の場所へ1点ずつ並べられているようなものは見ないふりをした。あれは断じて食材のお値段ではない。
「ねえ、リンゼは何が食べたい?」
好きなものを聞いても色よい返事をもらえなかったので、質問を変えてみた。嫌いなものはなくても、好きじゃないものを敢えて作りたくない。
「別に、なんでも……」
言い淀む顔は、なんでもよくはなさそうな気がする。
「何か食べたいものがあるんでしょう?」
「……お前、の菓子、が美味かったから……」
飯も美味かったけど、と呟いたリンゼはきまり悪そうにそっぽを向いた。
「なるほど! じゃあ、お菓子系だね。甘いのかな?」
こくりと素直に頷いた彼に微笑んだ。そりゃあ、久々に食べた甘味は美味しかっただろうな。
「じゃあ、ひんやりとあったかい、どっち?」
「あったかい」
さっき冷たいの食べたもんね。オレは頭の中に浮かぶお菓子を消去法で絞っていく。
「えーと、固いのと柔らかいの、どっち?」
「……柔らかい」
ちら、と視線がオレのほっぺに行った気がするのは気のせいだろうか。囓りたいとよく言われる、魅惑のほっぺらしいですが。実際カロルス様はよく囓る。
「ん~だけど小さい方がいいよね?」
おやつでお腹いっぱいになっちゃうと良くない。固いのを選ぶなら新作クッキーにしようかと思っていたけれど、柔らかい方か。リンゼはタクトみたいに食べないから、小さくカットして余る分はタクトたちに持って帰ろうかな。
だけど、ふと心配になって紫の目を覗き込んだ。
「あのさ、色は黒なんだけど……大丈夫?」
日本ではどんな色のお菓子が出てきてもさほどビックリしないけれど、この世界に住んでいると大体お菓子の色は決まってくる。真っ黒なんて炭になるほど焦げたものくらいだろう。
「美味いなら別に……黒は嫌いじゃ――お前っ、菓子の話だよな?!」
そりゃそうですけど……? オレは急に目を剥いたリンゼにきょとんと瞬いて頷いた。
「そ、そうか。ならいい。で、決まったのか?」
咳払いするリンゼに、ちょっと思案してにっこり笑った。オレはパティシエじゃないから、そんなに色んなお菓子は作れない。初めてと言われると難しいけど、これなら初めてと言っていいんじゃないかな?
「――お前、散々あの店に居座って、俺に使うのはそれだけなのか」
半ば呆れた視線にちょっと肩をすくめて笑う。だって、見知ったものでなきゃ作れないもの。
「でも、ちゃんとあの高級店で買った材料だよ!」
本当はストック分が収納に山ほどあるけれど、リンゼ用に新たに買ったんだから!
卵と、お砂糖と、小麦粉、バター。だけどいつものお馴染み材料にひとつ違う、黒い粉。
そう、プレリィさんに分けてもらったカカオパウダー! これを使ったお菓子は、まだ作っていないもの。
オレたちは町の外まで馬車で出て、そこに寛ぎスペースを確保している。
なんせ魔族の国だもの、少々派手に魔法を使ったって目立たない。多分。
鼻歌を歌いながらボウルをかき混ぜるオレの手元へ、リンゼの目が釘付けだ。ふふん、すごいでしょう。これはオレの神器だよ!
ラキ特製の魔道泡立て器。こんなことのために魔道具を作り上げるなんて、と言われてしまったけど、本当に神器だ。これさえあれば、オレはジフがいなくてもホイップが作れるし、こうしてメレンゲだってできる。見たかね、所詮筋肉よりも頭脳と技術なんだよ。まあ、オレの頭脳でも技術でもないけど。
「魔道具を……料理に……」
どうやらリンゼもその他大勢と同じ感想を抱くらしい。こんなに便利なのに……。
泡立てる、混ぜる、入れる、その全てにリンゼの視線がついてくる。子猫みたいに丸い目で一心に見つめられ、くすりと笑った。お菓子作りは、案外見ているのも楽しいらしい。
「さあ、あとはこれを焼き上げるんだよ」
「これを……? ほとんど液体じゃないか。香りはいいが……ショクラ? 苦いよな?」
食べられるものになるのかと、眉間にシワを寄せて鼻を寄せる。ココアのいい香りがするでしょう?
リンゼにとってもいい匂いなら良かった。
「ふふっ! 焼いたらちゃんと液体じゃなくなるよ!」
半信半疑のリンゼの前で、そっと管狐オーブンにそれを入れる。
じっとオーブンを見つめる紫の瞳は、焼き上がる頃にはきっと期待に満ちている。辺り一面にはいい香りが広がって、今か今かと待ちわびるに違いない。
さあ、ガトーショコラが焼き上がるまで何をしよう?
オレはにっこり笑ってエプロンを外した。
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