第689話 ガトーショコラ
「いつ出来るんだ?」
既にそわそわしているリンゼは、果たして焼き上がるまで待てるだろうか。
「うーん、焼き上がるまで結構かかるよ。その間何する? お昼寝はどう?」
お昼寝したら多分あっという間だし、きっと時間が足りないくらいだろう。寝過ごしたって、焦げないよう管狐部隊がなんとかしてくれる。
そう思うと途端にふわぁと小さなあくびが漏れた。断じて眠かったわけじゃないのに。
「……お前、どこで寝るつもりなんだ」
「ここ」
少し気温は低めだけれど、その分潜り込むお布団は心地いいよ。風も穏やか、地面も乾いている。
ああ、しまった。リンゼは星持ちだから地べたに座るのすらダメなんだっけ。だけど星持ちさんだって野営はするんだから、街中じゃなければ許されるだろう。
お昼寝だと思えばますます意識がとろとろし始めて、せめてリンゼが眠れるようにと土魔法でキングサイズのベッド台座を用意する。スプリングなんてものはないけれど、お布団さえ敷けばベッドと言えるだろう。
「さあ、どうぞ」
オレの活動限界が近づいている……視界が半分になってきた。さっさとお布団を敷いて自ら潜り込み、隣をぽんぽんとやった。早く入ってね、片側のお布団がめくれているとすうすうするもの。
リンゼが何か言っている。きっと何かしら怒ってるんだろうと思うけれど、とりあえず起きてから聞くことにした。
「――きゅっきゅう!」
出来上がり! の声が聞こえて、思いの外スッと意識が浮上した。きっと、辺りに漂う魅惑的な香りも一役買っていたんだろう。
大きく深呼吸すれば、お口の中が既に甘くなってくる気がする。
目を開けるのが惜しくて微かに身じろぎすると、腹の上に乗っていたチャトが下りた気配、そして頭に乗っている何かが動いた気配がした。
何だろう、これ。少しくすぐったい。
そうっと目を開けると、隣には足を伸ばして寛ぐリンゼ。結局眠らなかったんだろうか、真剣な顔で小さな本を読んでいる。
オレの頭に乗った片手は、オレがシロたちにやるように毛並みを――じゃなくて髪をいじっている。そう言えば、リンゼは以前もオレを撫でてくれていたね。寝ている時限定の優しさなんだけども。
滑らかな手がするりとほっぺや顎を撫でて、思わず首をすくめる。
「あっ?!」
オレが起きたことに気付いたのか、リンゼは飛び上がるように手を引っこめこちらを向いた。
「おはよう、リンゼ。何読んでるの?」
その驚きっぷり、もしやホラー小説でも読んでいたんだろうか。
くすくす笑って見上げると、ものすごく視線を彷徨わせて放り投げた本を拾い上げている。
何と書いてあるかは分からなかったけど、多分ホラーではなさそうだ。
「……」
視線の合わない彼を不思議に思いつつ、大きく伸びをして身体を起こした。
「ああ、気持ちよかった。リンゼは寝なかったの?」
せっかく大きなベッドにしたのに。まあ、寛いでいたようならいいか。
寝起きのぼうっとした思考を楽しんでいると、調子を取り戻したらしい紫の瞳が、じろりとオレを睨んだ。
「俺まで寝たら、幻惑が切れる」
「あれ? 幻惑かけてたの?」
リンゼの得意魔法だけど、今ここでかける必要あるだろうか。大した魔物が来るような場所でなし。
「お前が! こんなところにベッドなんて出すからだろうが! 人に見られたらなんて思われるか!」
「気持ち良さそうだなって思うんじゃない?」
何か問題が? あくびしつつ小首を傾げると、またもやほっぺを引っ張られてしまったのだった。
ベッドはお気に召さなかったらしいリンゼだけど、こっちには大いなる期待を感じる。
気を取り直して、ベッドの代わりに小さなテーブルセットを用意した。
「さあ! 出来はどうかな~?」
「きゅっ!」
今回は初お菓子なので、ベテラン管狐のウリスたちが担当してくれたようだ。自信満々に立ち上がった耳としっぽが頼もしい。そのうちコック帽なんか用意してもいいかもしれない。
既にいい香りが漂っているけれど、オーブンを開けた瞬間の、この熱と香り。
「うん、いい焼き具合だと思うよ! ありがとうね!」
熱々の型を取りだしたところで、いつの間にか背後にいたリンゼにぶつかった。
「いい匂いがする……」
「そうでしょう? でも熱いから危ないよ!」
苦笑してキッチン台に大きな型を置き、そろそろと魔法であら熱を取った。
今回は少量ずつ食べられるよう、大きな四角い型で焼いてみた。これを一口大のキューブ状にカット、粉砂糖を振れば完成だ!
「はい、どうぞ! ガトーショコラ(モドキ)だよ! 待ってね、一緒に食べよう。オレも初めて食べるから!」
失敗していたらごめんね、と言いつつ急いで腰かける。
オレの真似して手を合わせるリンゼに笑って、いただきますと声をかけた。オレがいつもやるから、食事の合図だと彼も知っている。
いそいそフォークをあてがうと、生地が思ったよりしっかりしていることに戸惑った。生地を冷まして間もないし、チョコレートが入っていないからもっとパサつくかと思ったのに。
一口で食べられるキューブをさらに半分に。断面は普段作っていたガトーショコラよりも、みちっと生地が詰まっているみたい。
「あれ……割としっとり?」
実は生焼けだったりしないよね、と恐る恐る口へ入れて驚いた。まるで生チョコケーキみたいな食感。せっかく立てたメレンゲは一体どこへ行ったんだろうか。だけど――
「おいしい!」
ほっぺを押さえてぱあっと笑みを浮かべた。
随分久しぶり。まだ後味は苦みが残るけれど、とろけるようなこの食感、鼻を抜けるこの香り。どすんと重く甘い堂々たる存在感。
「チョコレート……懐かしい」
もう半分も大事に味わって、無言で食べているらしいリンゼへ視線をやった。
「あっ! ちょっとリンゼ! 小さくした意味がないでしょう!」
皿に上品に盛っていた分はとうに消え、型に残っていたガトーショコラが次々リンゼの口に消えている。苦みを誤魔化すために、結構な甘さがあるのに! そんなに食べたら確実夕食に響くよ!
慌てて追加の2個だけ皿に乗せ、恨めしげな視線を振り切って残りは収納の中へ避難させた。
「これ、レシピはあるのか?」
リンゼは残った2個をちびちび削りながら、上目遣いでこちらを窺った。
レシピはあるけど、カカオパウダーはプレリィさんの秘伝だ。
「ん~~ナイショ! オレの秘伝のレシピだよ」
聞くなりあからさまにしょんぼりした彼に、くすりと笑って続ける。
「だから、食べたい時はオレを呼んでよ! 口実があれば、オレを呼べるでしょう?」
だってリンゼは、用件がないときっとオレと会おうとしないもの。そんな悠長なこと言ってたら、すぐに大人になっちゃうよ。
「そうか、この味を知っていればアッゼ様やミラゼア様だってきっと――いや、お前、俺が会いたがっているみたいに言うな!」
「そんな風に言ったっけ? え、でも会いたいでしょう?」
当然そうだと思っていたオレは、ちょっと驚いてリンゼを見た。
「別に――!!」
何て言ったか分からない。残ったガトーショコラを一口に詰め込んで、もがもが呟いたリンゼはそっぽを向いたのだった。
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