第668話 まずは常識枠
手の平で丁寧に丁寧に石けんを泡立て、生クリームのようなぷるぷる泡をこんもりと作って振り返った。
「ラピス、いいよ!」
「きゅっ!」
答えたラピスが、勢いよくお湯の中に突っ込んで水しぶきが上がる。何もそんなに潜らなくたっていいのに。
ずばっと飛び出してきた小さな身体は、さらにひとまわり小さく縮んで頼りなさげだ。見た目だけは。
「もう~ラピスもうちょっとそっと出入りしてよ~」
「どうぜ風呂入ってんだから、別によくねえ?」
飛び散った水しぶきに不満げなラキと、そんなこと気にも留めないタクトが湯船で寛いでいる。
無事にラキを引っ張り出して、やっとお風呂に入ったところだ。結局、大魔法については何ひとつ進んでいない。
わくわくと待っているラピスは、手の平に乗せると心得たようにきゅっと目を閉じ耳を伏せた。
温かい泡でそうっと小さな身体を包み込むと、きつねから羊に変身したみたい。そのまま軽くわしゃわしゃとやって、はい終了!
「終わり! あっ、ラピス湯船に飛び込んじゃダメだよ!」
もこもこミニ羊がぱちりと群青の瞳を開け、オレの用意した桶にダイブする。
『ちょっと主ぃ! 俺様に泡がついたんですけど! あっ、アゲハ食べちゃダメ!』
『だめ? あまあまのくいーむ』
両手に泡をつけたアゲハが、今にもそれを口に入れそうになっている。慌てふためいて止めにかかるチュー助は、ちゃんとお兄ちゃんだね。
『違う違う、これは石けん! クリームじゃないの! ほら、こうしてごしごしするやつだぜ!』
『あえは、おりょうりさえてる?』
『だからーこれは石けんなの! アゲハは食べないぜ!』
どうやら二人は洗いっこするみたいなのでそっとしておいて大丈夫かな。
ティアは既に茶碗の中で目を閉じて寛いでいるし、モモは湯船で浮かんでいる。そもそも洗う必要はなさそうだ。蘇芳は今日は洗わない日らしいので出て来ないし、チャトはお風呂嫌いなので当然いない。
「じゃあ、シロ! お待たせ!」
「ウォウッ!」
喜び勇んで飛び出してきたシロの存在で、浴場が随分狭く感じる。
さっそくお湯をかけると、振られたしっぽでビシバシ水滴が散った。
「ちょっとシロ、それ止めて~!」
「あはは! 俺も一緒に洗ってやるぞ!」
洗浄魔法を使ってもいいけど、シロはルーと違って洗われるのが結構好きだから。だから、オレも泡まみれになって洗う。果たして召喚獣にお風呂が必要なのかどうかは置いておいて、ブラッシングと同じコミュニケーションとリラクゼーション、だよね。
ざばり、ビタビタと背後から音が響いて、ぬっと腕が突き出された。日に焼けてオレの倍はあるだろう腕は、それでも大人と比べれば細い。
「こうか? シロ、こんなもん?」
『うん! 気持ちいいよ!』
タクトが参加してくれたことが嬉しい、しっぽがそう言っている。だから、当然……。
「もう~泡だらけだよ~!」
苦笑したラキがいつの間にか側へ立って、一緒にシロへ手を伸ばしていた。
振り返ると、湯船はすっかり泡が浮いてしまっている。
「じゃあ、後でもう一回お湯を入れ直す?」
「いいじゃねえか、泡風呂だってあるんだから! 俺らもアワアワになってそのまま入ろうぜ!」
わあ、それは何だか悪いことをしているみたいで楽しいかもしれない。
「うん! じゃあ、オレたちもいっぱいアワアワになろう!」
「いいけど、後でちゃんと流してね~?」
それはもちろん、最後にシャワーを浴びちゃえばいい。
3人がかりでシロを洗って、オレたちは巨大羊になったシロに飛びついた。一石二鳥、シロに抱きついたりすりすりすれば、自動的にオレたちの身体もきれいになるって寸法だ。
「うお~! これすげえ! めちゃくちゃ気持ちいいな!」
「ホントだ~! 最高の洗い心地~!」
ふふ、2人も知ってしまったね。シロの極上毛並みで洗う心地よさを。これもあるから、大変だけど毎回シロとお風呂に入るのは最高なんだよ。
「ユータ、オレもわしゃわしゃってやってくれよ!」
伏せたシロを枕に横になり、タクトがオレを呼ぶ。首を傾げたけど、どうやら頭を洗ってくれってことだろうか。
ほほう、それならみせてあげよう! フェンリルやカロルス様さえ陥落するオレの洗髪テクニックを!
オレはフンス、と鼻息も荒くタクトの髪に取りかかった。
濡れて色濃くなった髪は、ますますオレンジ色に見える。シロともルーともカロルス様とも違う髪色が新鮮だ。少し固めの太い髪が、人間らしいなあなんて思う。
「おお~……すげえ。シロいつもこれなのか、いいなあ」
心底羨ましそうな声に鼻高々だ。そうでしょう、これとブラッシングには自信があるんだから!
『すごいでしょう! ゆーたが洗うとすっごく気持ちいいんだよ!』
シロまで得意げに鼻先を上げ、そうなると堪らなくなったラキもごろりと横になった。
「じゃあ次、僕も~! ユータは僕が洗ってあげるから~」
「いいよ! 洗ってくれるの?」
それは結構楽しみだ。何せカロルス様もルーもオレを野菜みたいに洗うから。
きっとラキの繊細な手指は、美容師さんみたいに上手に洗ってくれるだろう。
泡風呂と化した湯船に浸かり、オレたちは縁に後頭部を乗せて寛いでいる。
人に洗ってもらった頭は、いつもよりスッキリするような気がして心地いい。
「お前、こういう仕事もできそうだよなー」
「髪を洗う仕事? ラキだって上手だったよ!」
「そう~? じゃあ僕もそういう仕事できそうかな~?」
「お前はちょっとな……目ぇ閉じてんの怖ぇえし」
え、オレ何も考えずに目を閉じてたけど。ラキが無詠唱でタクトの上に水を降らせるのを見ながら、こんなところでも魔法の成長ってみられるもんだなあ、なんて呑気に考える。
無詠唱、か……。
当然、大魔法も詠唱が必要で。もしかして新たな魔法を使うなら、そこから考えなきゃいけないってことに……。
「――やっぱり、教科書に載っているやつにした方が無難なのかな」
ため息と共に呟くと、お湯を掛け合っていた2人がこちらを向いた。
「ああ、大魔法のこと~? ユータなら途方もないやつを出してくると思ったけど~」
「お前すげーの知ってんだからさ、トクベツなやつにしようぜ!」
うーん、クラスメイトの反応だってきっとこんなものだろう。
「だけどオレ、見たこともないし分からないよ」
「だから、他の人に聞いたら~? ユータ、知り合い多いでしょ~?」
そうだった! 確かに、聞ける人はたくさんだ。妖精さんに聞いたらダメだろうし、まずは……常識枠ということで執事さんかな?
善は急げとお湯から飛び出したオレは、周囲を巻き込んでお湯の豪雨を降らせ2人からブーイングを浴びる羽目になったのだった。
「ただいま! 執事さん……いた!」
ロクサレン家に転移して、幸先良くお目当ての人物を見つけて飛びついた。
「おかえりなさいませ。おや? ユータ様身体が熱くはないですか? もしやお熱が――」
「ないない! 今お風呂に入ってたの!」
心配そうに下げられた眉が、安堵と共に元の位置へ戻った。だけど、そっと頬に添えられた手は随分冷たく感じる。
「執事さんこそ、寒い? 冷たいんじゃない?」
「ふふ、私はいつもこんなものですよ」
少しでも温めてあげようと首筋にぎゅうっとしがみついて身を寄せる。もしかして、氷系の魔法が得意な人は体温も低いんだろうか。
「ユータ様? 私に用事があったのでは?」
ぽんぽん、と背中を叩いて苦笑され、ハッと顔を上げた。
「そう! オレ、執事さんに聞きたいことがあって。あのね、大魔法のことを教えてほしいの!」
「大魔法、ですか……」
渋い顔は、何を考えているか一目で分かる。
「違うよ! オレじゃないの、クラスでやるの!」
「ああ、魔の祭典ですね。おや、ユータ様は来年ではなかったですか?」
「そうなんだけどね、4年生が少ないからオレたちが出ることになったの」
にこっと笑みを浮かべると、執事さんが複雑そうな表情を浮かべて額に手を当てた。
「そうですか……。どうすべきか、話し合わなくてはいけませんね。参加となると実力を隠しきるのは難しい。知らしめて周囲に恐怖を植え付けるべきか……」
え、なぜ恐怖を?!
低い呟きを拾って驚愕するオレを尻目に、執事さんは難しい顔をしていたのだった。
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もう発売日になりますね!き、緊張しますね!!(私だけ)
SS情報等また近況ノートに書いたのでご覧下さいね~!
ちなみにひつじのはねは気付けばTwitterフォロワーさんが2桁レベルで減っていて悲しみの今日でした。なぜ……最近割と頑張ってるのに……むしろそれがダメ?!
皆さん……フォローひとつで救えるひつじのはねがここに……
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