第663話 いっぱいに込めて
これならきっと、美味しくなる。それに、御神酒に相応しいものになる。
これは、ルーだけに渡す御神酒。
だから……いいよね?
オレはちらりとルーを振り返り、耳しかこちらを向いていないのを確認した。
よし、とびきりの御神酒にするからね!
祭壇に瓶ごとお酒を置いて跪き、祈るように手を組んだ。何事もまずは形からだ、なるべく神聖な雰囲気を出した方が、きっとうまくいく。
置いた瓶にはこつんとおでこと組んだ手を触れさせ、静かに目を閉じる。
ふわり、とまぶたの向こうが柔らかな光を帯びた。オレ、生命の魔素を高めると実際に光をまとっているんだな。
おいしいお酒になりますように。
ルーの身体を癒やすお酒になりますように。
ルーの、心を癒やすお酒になりますように。
おいしいものは、きっとその心を満たしてくれる。
オレにはできないけれど、オレが作るものにはきっとできるんだよ。
だから、オレはルーにおいしいものを食べてもらう。飲んでもらう。
隙間があるなら、いっぱいおいしいものを詰め込んであげる。
穴が空いていたら、おいしいもので塞いであげる。
それは、きっと数少ないオレがルーにしてあげられること。
生命の魔素を飽和させたら、ただのお水だって美味しくなったし、回復の効果があった。だから、きっとお酒だっておいしくなるに違いないんだ。
生命の魔石を作る時のように、一心不乱にお酒に魔力を注ぎ込む。お酒の中には元々オレの魔力が漂っているから、とてもやりやすい。普通のお酒ならこうもうまく注げないだろう。
お酒に溶け込んだオレの魔力と、外から流し込む魔力が手を繋いでくるくるまわる。
オレみたいな只人の魔力でも、神獣であるルーの力になれるかもしれない。それはなんて恐れ多くて嬉しいことなんだろう。
ルーは、強いから。お守りの時みたいに、守ってねって願うのも違う気がして。
ただただ、自然と溢れる思いを込めた。びっくりするほど魔力は吸い込まれていくけれど、ほんのり笑みが浮かぶ。
――大好きだよ。嬉しいよ。ルーが、好きだよ。
伝わるだろうか。魔力と共に注がれる想いは、お酒を美味しくしてくれるだろうか。
まるで召喚する時のように魔力を失いながら、オレはルーのことばっかり考えて体中をいっぱいにしている。
注げば注ぐほど、ルーのためになるような気がして。だから、すごく幸せだ。こんなにも朦朧として汗が流れるけれど、欠片も嫌じゃないよ。
だから、止めないでいて。
ルーが、そばにいる気がする。きっと、これをやめさせようとしている。
――ユータがやりたいなら、ラピスは止めないの。
『ルー、もう少し待ってね。あのね、これはどうしてもゆーたがやりたいことだから』
オレと繋がるみんなが、心配の気配を濃くしながら見守ってくれている。
「あ……」
瞬間、キン、と硬質な音が響いた気がした。
まるで夢から醒めるように、混濁していた意識が戻った。
「完成……?」
生命魔法水の時にはなかった感覚がした。まるで最後のピースをぱちりとはめたように、これで完成した……そう感じる。
開いた目の前が眩しくて瞬いた。
「あれ? ……うわ」
これ、ちゃんとお酒だろうか。飲めるよね……?
回復薬もそうだったから、多少はこうなるだろうと予想はしていたけれど、ここまでとは。
あまりにも光り輝くものだから、かえって胡散臭い。
お酒もお水も生命の魔力飽和水を作るのに大差ないと思っていたんだけど、とんでもなかった。
注いだ魔力量が雲泥の差だ。お酒だからなのか、オレが作ったお酒だからなのか。とにかく、ちょっと他所には出せないものに違いない。
そっと視線を動かすと、シロたちに止められていたルーが半ば呆然とオレを見ていた。
「あの……これはね、ルーのお酒だから! ルー以外にはあげないお酒なの。だから、大丈夫! 全然問題ないよ!!」
怒られる前に言い切ってにっこり笑う。
「全然、問題ない。大丈夫!!」
さらに重ねて極上の微笑みを浮かべた。
さ、さあ! とにかく御神酒だよね。さっさと注いでしまおう。飲んでしまえばもうルーだって共犯みたいなものだ。
もはや色すら飛んでしまって、光そのものみたいに見えるお酒をそうっと杯に注ぐ。
さすがに、毒ではないはず……。含まれているのは生命の魔素だし。
とっ、とっ、とっ……。
口を切ったばかりの瓶から、艶めかしい音がする。
それほど大きくはない瓶だから、オレにだって上手に注げる――と、思ったのだけど。
ぐらりと視界が傾いて、ハッと瓶の口を上げた。これ、零しちゃダメだ! 色んな意味で。
崩れる体勢の中で瓶の栓をしっかり閉めて抱え込む。絶対、落とさないんだから!
瓶を守ってひっくり返ろうとした小さな身体が、スッと危なげなく支えられる。
「あ……ルーありがと! オレ、ちょっと魔力使いすぎたかも」
お酒を飲むからだろうか、ルーはいつの間にか人型をとっている。オレを腕の中に置いたまま、その金色の視線はじっと輝く瓶に注がれていた。
「……ルー?」
もう一度声を掛けてやっと、顔を上げたルーと目が合った。
「てめーは……。一体何を作りやがった」
ただでさえ鋭い瞳が、眉間にシワを寄せて牙を剥く獣みたいになっている。
「お酒だけど……?」
さっきから、そう言ってると思うんだけど。
「あのね、オレが踏ん……えーと、ブドウから作ったワインなんだよ! 妖精の里でチル爺たちと御神酒を作ったの。ちゃんと禊して、お祭りで作ったんだから! この間は、出来上がった御神酒を受け取った帰りだったんだよ」
「……そういうことじゃねー」
ルーはこれみよがしな長いため息を吐いて、額を押さえた。
気持ちいい。魔力がすっからかんになった身体が少しずつ楽になってくる。
立てた片膝にもたせかけるように支えられ、ルーの心地いい魔力がじわじわ沁みる。きっとルーはオレを抱えていることを意識していないんだろう。もっと他のことに気を取られているみたいだから。
だけど目を閉じると寝てしまいそうで、オレは必死に睡魔に抗った。
「じゃあ、どういうことなの? とにかく、オレはルーのために御神酒を作ったんだよ! きっと美味しくできたから、飲んでみて?」
ルーはお酒が好きだし、おいしいものが好きだもの。断られる可能性なんて微塵も考えずにふわりと笑った。
「……これを、俺に飲めと言うか?」
燦然と煌めく杯をじっと見つめ、低い呟きが聞こえた。
想定外の台詞に、ぱちりと瞬いて端正な顔を見上げる。
「え、これって飲んじゃダメなもの?! 普通のお酒じゃないの?」
「てめーの目にはこれが『フツーの酒』に見えるのか?」
……見えません。だけど、そういうことじゃなくって!!
だけど、そうなの? 飲めないものなんだったら――仕方ない。祭壇に飾っておくだけでも御神酒としての役割は果たしているような気がするし。
ただ、残念だけど。
そう、残念だけど。
気怠い身体が、急に重くなった気がする。
「……そっ、か。じゃあ、しょうがないね。ちょっとだけ飾って、お祈りだけしよっか」
急いで口角を引き上げると、動かない身体を叱咤して腕の中から出ようとした。
と、もがいた身体が前屈みになったルーの胸板と腕に挟み込まれる。
ぐっと伸ばされたもう一方の腕が、金の杯に伸ばされていた。
「誰も、飲まないとは言ってねー」
大きな杯を支え、金の瞳が挑戦的に細められる。にやりと笑った口元に微かに牙が覗いた。
「え、でも、それ飲めないんじゃないの?! 大丈夫なの?!」
無理してほしいわけじゃない。慌てて手を伸ばそうとしたオレを押さえ込み、曇りのない杯に薄い唇があてがわれる。
静かに傾けられた杯には、目を丸くするオレが映っていた。
こくり、こくり、と動いたのど仏を呆然と見つめる中、ルーはほう、と吐息を零した。獣らしく唇を舐めた舌が、眇められた瞳の煌めきが、その味を十二分に伝えてくれる。
「うまい」
つい、目を見開いた。しわしわになっていた胸の内を、金色の風が渦を巻いて満たしていく。
漏れた台詞に気付いているのかいないのか、ルーは誘われるように再び口をつけ、杯を干してしまった。
「ルー……? 大丈夫?」
もしかしてお酒、すごく度数が高くなっていたりしないだろうか。
だって、あの金の瞳がこんなにも陶然として。
そして、気のせいかと思っていたけれど、そうじゃない。
神獣の気配が、ぐんと濃くなった。
直視するのを躊躇うような存在感を、全身に受け止めて見上げる。大丈夫、オレはちゃんとルーを見つめていられるよ。
とても綺麗。本当の神様みたいだよ。
良かった。きっとこれは身体に悪いわけじゃない。安堵と共に力を抜いた瞬間、思いも寄らない力で全身が締め付けられる。
突如掻き抱かれて、息が止まるかと思った。
近すぎて何も見えないけれど、ただ、温かい。
「……色々、込めすぎ、なんだよ……てめーは」
低く掠れた声は、小さくオレの身体に響いたのだった。
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近況ノートに小話(全体公開分)投稿しました。
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