第640話 感覚派

「や、やめないか、君、分かっているのか? 私はバルケリオスだぞ? 私がどうなってもいいのか?! あ、動くのもだめ! 動かず速やかにその場を退きたまえ!」

『無茶言うわねえ……』

ひたすら早口で紡がれる台詞に、呆れた声が混じる。

「ふふ、君達の噂、私の耳にも届いているぞ。その年で、全くすごいものだ」

メイメイ様が、傍らの様子を一切気にすることなく穏やかな笑みを浮かべた。

「えっ? 噂?!」

「どんな噂なんだ――ですか?!」

オレとタクトが食いつくと、メイメイ様は左手の人差し指を唇に当て、意味深な流し目をくれる。

「たった3人のパーティが、2つの村を救い、ゴブリン統率者2体を倒した。どうも、まだ子どもらしい……ってね。君たちだろう? さすがだ」

メイメイ様が柔らかく目を細め、オレたちは誇らしくなって胸を張った。


あれから、報告を担う人を連れて王都のギルドへ戻り、そこでオレたちの任務は終了だ。あとは、報告を受けたギルドが周辺のゴブリン狩りを強化したり、人員の派遣などしてくれる。

「頑張ったよ! 助けられて、本当に良かった」

「噂かあ! へへ、俺にもふたつ名つかねえかな?!」

つい緩んでしまうオレたちの表情を眩しげに眺め、メイメイ様の大きな手ががさりとオレたちを撫でる。まるで木肌のようにゴツゴツと固い手の平だ。

ちなみにその反対側の手は、固定されたように動かない。いくらバルケリオス様が逃げ腰になろうとも、その首根っこを押さえる手はビクともしていない。メイメイ様、身体強化は得意じゃないって言っていた気がするんだけど……じゃあ、それは地の筋力?



「あ、あ、やめたまえ! 跳ねるのはナシだ、感触が伝わ……ウッ! 揺れてもだめ! 私が吐いてもいいのかね?!」

『と、言いつつ吐きそうになることはなくなったわよねえ。やっぱり慣れるものなのね』

バルケリオス様の膝の上で、モモがふよふよと揺れている。魔物減感作療法もだいぶ進んでいて、触れるところまで来ている。結局のところ、彼はモモが一番苦手かもしれない。確かに、スライムは魔物だもんねえ。

「聞きましたか、バルケリオス様。このように幼子が頑張っているのです、あなたも頑張るところですよ」

あくまでメイメイ様の声は優しい。声は。

「私はもう過去に頑張ったからいいと思わないかね? そう、むしろ彼らより何十年も頑張ったのだから! 幼子はまだせいぜい数年しか頑張ってない! 私の方が頑張って――痛い! メイメイちゃん、私の頭が飛び散る!」

「ふふ、大丈夫ですよ。飛び散らない程度の加減は得意です。さあ、幼子に大人げなく対抗せずに頑張りましょう」

首根っこを押さえていた手が、今度はバルケリオス様の頭をぎりぎりと締め付けている。ある意味メイメイ様は彼を崇拝しているから……絶対にできると信じることは、負担にもなるんだなあ、なんてまるきり他人事の顔で眺めた。


「幼子って、ユータだけだろ。メイメイ様は俺たちくらいの時って、どんな感じだったんだ?」

思わぬ質問だったらしいそれに、メイメイ様はキョトンとして右手の拘束を緩めた。バルケリオス様がそっとタクトに親指をたて、いい笑顔をしているのが見える。

「ふむ、私が幼い頃か……。貴族であったからな、割と早くから才能を見つけられて騎士団に入ったよ。7歳くらいだったか、何も知らなかったからな……所属した隊の副隊長を叩きのめしてしまってな」

「すげえ!! 俺も頑張ったらできねえかな! メイメイ様みたいな必殺技がほしいぜ!」

タクトの目はきらきらと輝いているけれど、メイメイ様の魔法剣『ドラゴンブレス』は人間相手に使える技ではないよね。

「ふむ、魔法剣は何より気合いと強い思いが必要だ。呪文など放っておけ、それよりも熱く滾る思い、これだ! 素直な怒りを剣に乗せて放つのだ!」

へえ、オレは『イメージ』だけど、メイメイ様は『感情』なんだな。オレにはサッパリだけど、タクトにはそっちの方が合ってるのかもしれない。

感覚だけで分かり合っている様子の二人を眺め、これはオレが教えられないな、と笑ったのだった。



「今回はね、統率者が2体も出現する異例の事態でね――」

丁寧に上から下へとブラシを滑らせながら、オレはいつものようにたくさんおしゃべりをする。くたりと横たわった獣は、既に返事すらしないけれど、長いしっぽがぱたり、ぱたりと機嫌良く草を叩くから、きっと眠ってはいないんだろう。

十分にブラッシングした毛並みは、光を反射して眩いくらい。ことりとブラシを置けば、ルーの耳がピクッと動いた。

逸る気持ちを抑えて深呼吸すると、一片の乱れもなく整えた毛並みを見渡し、こくりとつばを飲む。

さて……では満を持して!


いただきます、と言わんばかりの心境で飛び込んだ。その、整えきった漆黒の毛並みへ。

「っんん~~至上の幸福!」

ああ、この新雪に飛び込むような背徳感もたまらない。敢えて乱すように両手で被毛をかき回し、柔らかな毛並みへ顔を擦りつけた。オレが整えたんだから、オレが乱してもいいの!

めいっぱいルーを撫で回し、心ゆくまで堪能した頃には、全身を使いすぎて呼吸が乱れるほど。

「……俺を撫で回すのがそんなに楽しいか?」

やっぱり起きてた。いいや、これだけ好き勝手やれば寝ていても起きるだろう。金色の瞳からは、ものすごくぬるい温度を感じる。オレが毎回飽きもせず撫で回すもんだから、すっかり諦観の表情だ。

「すっごく!!」

当然、満面の笑みで答えてぱふりと顔を落とした。これが楽しくなくて一体何が楽しいと言うのか。

即答したオレに、ルーはわずかに狼狽えたように視線を彷徨わせてそっぽを向いた。

これは、もっと撫でてもいいという許可に違いない。いい加減にしろとは言われなかった。


えへ、と頬を緩め、目の前にあった前肢へ手を滑らせる。

柔らかな毛並みの向こうに、しっかりと固い凹凸を感じる。身体の方は皮が柔らかいと言うべきか、ここまでゴツゴツした印象を受けないので不思議だ。中々触らせてくれない部分代表、末端三部分は耳・足・しっぽ。ここは隙を見て狙っていかなくてはいけない。

今日は機嫌がいいのか、肩から足先まで手を滑らせても逃げない。

筋肉、骨、腱、手の平に感じる、生き物の美しい造形。足先の短い毛まで、柔らかい。

「やめろ、しつこい」

何度も撫で下ろして、ついに怒られた。手の平の下にあった前肢がひょいと遠ざけられてしまう。


「あ……ねえ、どうしてダメなの?」

不満を込めて唇を尖らせると、後ろから長いしっぽがオレの頭を叩いた。

「ヒトの形で考えてみろ」

フン、と鼻を鳴らされ思い浮かべてみると、人型ルーの手をさすさす撫でさする幼児。うーん、確かに頭や背中に比べれば変な絵面ではあるけれど。

「分からないよ」

いいじゃない、腕を撫でるくらい。さすがに、それだと耳は微妙かな、とは思った。

見上げた瞳が、言ったな? と言わんばかりににやりとする。


途端、金の光と共にルーの身体が縮んだ。

「どうだ?」

目の前には、あぐらをかいた美青年が金の目を細めて腕を突き出している。

「どうぞってこと?」

じゃあ、とあぐらの上に座って背中を預けると、その腕を抱え込んだ。獣の造形が美しいと思っていたけれど、こうして見るとヒトの造形だって美しい。

脱力している割に、弾力のありすぎるくらい固い腕。骨があって、筋があって、血管が走っている。

小さな指で太い血管をなぞっていると、勢いよく腕を取り返された。

「もう降参?」

どうぞって言ったんじゃなかったの? くすくす笑って仰のくと、むすっと口を結んで不機嫌な顔をする。

「……寄越せ」

何を? と思ったら、ぐっと背中に重みがかかり、荒っぽく腕を掴まれた。ルーの大きな手に掴まれていると、オレの腕はまるでおもちゃみたいだ。


「どうぞ?」

明らかに仕返しと言わんばかりの瞳を余裕で見上げた。オレは、撫でられ慣れているもの、全然平気――

「ぶふっ! ちょ、く、くすぐったい!! うふっ、あははは!」

あろうことか、ルーは触れるか触れないか、つうーっとオレの腕に指を滑らせ始めた。あまりのくすぐったさに悶絶して腕の中から抜け出そうとするものの、後ろから抱え込まれた姿勢ではかなわない。

「……フン、降参か?」

「だって、ズルっ……あははっ! 卑怯ーっ! も、こうさんー!!」

オレは絶対こうじゃなかったよ!! 大人げないったら! 

ようやく解放されたオレは、いかにも満足そうな美青年を思いきり睨み付けたのだった。

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