第632話 それぞれの始まり
ゆっくり接近していたゴブリンたちの速度は、村に近づくにつれ速くなってきた。
もう光源を怖がることもなく、目の前のご馳走に向かって駆け出しているのが目に見えるようだ。
カァン、カァン、カンカン。妙なリズムで鳴る半鐘は、おそらく襲撃と避難を促す合図なんだろう。
広場を飛び出したオレは、途中遭遇した警備隊の人にも避難を促していく。
「ゴブリンの大群が来るよ! 中央に集まって!」
「大群?! し、しかし村を守らなければ……」
戦闘訓練などしたこともない即席警備班の人たちは、明らかに腰が引けつつ踏みとどまろうとしている。オレはその背中をぐいぐい押して中央の方を指さした。
「シールドにみんな集まってるんだよ?! そこを守って!」
「そ、そうか!」
これなら、素直に従ってくれるだろう。幾分安堵した顔で駆け出す彼らを見送って、再び他の人たちへ声をかけるべく走り出した。
オレの足では、ゴブリンが到着するまでに村中をまわるなんて無理だ。
いつも足を担ってくれるシロもいない。だけど、大丈夫。オレには足がなくても翼がある。
『……乗ってもいい』
ふわ、とオレから抜け出した光が併走するチャトになって、さあとばかりに翼を下げてみせる。
「ありがとう!」
飛び乗った途端、くんと重力がかかって、オレとチャトは雑多な村内から広く暗い空へと舞い上がった。
ヒュウヒュウと鳴る風には、まだゴブリンの臭いは感じない。
だけど、一旦高度を上げたオレたちの目には、今にも村に到達しようとする赤い点々がびっしりと見えた。瞬く赤い瞳は、こんなにも生々しく欲望を感じさせながら、まるで機械みたいにも思える。
「どうして、こんなにたくさん……」
統率者とやらが生まれるほどの群れなら、たしかにこの数がいてもおかしくないんだろうけれど。でも、今まで散発的だった襲撃がこうも総力戦になった理由はあるんだろうか。
オレは答えの出ないことを考えつつ、村の外周から中央へ向かって旋回するようにみんなへ声をかけてまわった。無駄に怖がらせないよう、チャトの周囲にはライトを3つも浮かべている。
「ユータ!」
あと少し、と中空を滑るように飛んでいると、下から声が掛かった。
「そのままで~! 僕たちも走るからそのまま話して~」
「おい?! 走ってんの俺だけど?!」
眼下では、どこかで合流したらしい二人が走って……いや、タクトがラキを抱えて疾走していた。
知らず、肩の力が抜けて顔が柔らかくなった。
「ラキ、タクト! ゴブリン、大群になってやって来てる! 中央にシールドを張ってるから、みんなをそこへ集めたいの! 残った警備班がこの先に1グループ、村の反対側にもう1グループ! こっち側を任せていい?」
「大群?! だからこんなに首がゾワゾワすんのか。とりあえず分かった!」
「僕たちも一緒に中央に向かうね~?」
手を振るオレの身体が大きく傾いて、ばさりと鋭く羽音が鳴った。急旋回して村の反対側へ向かうチャトにしがみつき、ありがとうと柔らかな毛並みを撫でる。気まぐれなふりして、なんだかんだ本当に必要な時はちゃんと頼らせてくれるんだね。
「これなら、間に合うね!」
着々と村を囲みつつあるゴブリンを感じながら、オレたちも負けじと翼をはためかせたのだった。
* * * * *
白銀の草原で大の字になり、一匹のねずみが空を見上げている。
完全に脱力した四肢、緩みきった顔はよだれさえ垂れそうな有様だ。小さな視界に映る空は徐々に青から薄紫へと変わり、空を行く鳥が黒々とシルエットを濃くしはじめていた。
『……なーシロぉ、敵はまだかー』
『大丈夫、ゴブリンのニオイはずうっとするけど、濃くなってないよ~』
『全然、大丈夫じゃなぁーい! 俺様、活躍するために来たのに……このままじゃペット枠で終わってしまうぅ~!』
シロの背中でだらけたまま、チュー助は小さな手足をばたつかせた。
理解ある村長のおかげで伝言を届ける任務は成功、あとはゴブリンが来なければそれでよし。ただ、チュー助だけはそれでは納得いかないようだったけれど。
徐々にオレンジ色に傾くお日様に白銀の毛並みを染めながら、シロはのんびりと寛いでいた。
『ゴブリンが来たところで、チュー助は活躍しないんじゃないかしら……』
傍らで弾むモモの呟きは、幸い繊細なねずみには届かなかったらしい。
『ねえ、もしゴブリンが来たら、ぼくがやっつけたらいい?』
ふぁささっと振られたしっぽを横目に、モモが思案する。
『私たちが前に出て戦うのは、最終手段でいいんじゃないかしら。シールドは張っておくし、村人が自分たちで撃退できるならそれでいいと思うわ』
『よくない! それは断じてよくないと思う!』
だらけたままのチュー助が、相変わらず手足だけばたつかせてそんなことを言う。
『わかった! じゃあ――あ、来た。じゃあ、ぼくはここでのんびりしていればいいね!』
ころりと身体を倒したシロの背中から、チュー助もころりと転がって草の上に落ちる。
『そうね、ここで――……じゃなくて、来たの? ゴブリンが?』
『そう~』
慌てて尋ねれば、呑気な声が返ってくる。シロはすっかりリラックスモードでピス~と鼻を鳴らした。
『ちょ、ちょっと待って、シロ、のんびりはやめ! みんなに知らせなきゃいけないわ。ええと、そう、ゴブリンたちの方を向いて吠えてみて! あくまで犬っぽくね!』
『そうなの? わかった!』
テテッと駆けたシロが、所々綻びのある村の柵までやって来ると、なるべく皆を驚かせないように抑えた声で吠え始めた。
「ウォウ、ウォウウォウッ!」
前肢で弾みながら吠える大きな犬は、すぐさま人の目を集め、不安を内包したざわめきが広がっていく。
「冒険者の犬だろう? 賢いって聞いたぞ。こんなに吠えるなんて、やっぱり……」
「村長は?! 子どもたちを中央へ!」
にわかに慌ただしくなった村内で、役目を果たしたシロは再び大人しくお座りして柵の外を眺めていた。
『村のひと、どのくらいのゴブリンならやっつけられるかなあ? 一人1匹やっつけたら簡単に勝てると思うんだけど』
『甘いぜシロ、村の人のほとんどは戦えないんだぜ! 女子どもやジジババはまず無理だな!』
『そうなの? でもゆーたたちも、まりーさんもひつじさんもいっぱいやっつけられるよ?』
不思議そうに首を傾げたシロに、チュー助が言葉に窮する。ロクサレンの悪影響はここにも出ているようだ。
「いたぞ! ゴブリンだ!!」
見張りの悲鳴のような声が響き、手に手に武器となるものを取った村人が集まってきた。
シロがしっかりとゴブリンたちの方を向いているおかげで、草間に潜む姿が早々に発見されたようだ。
『シールドはバッチリよ。亀の名において、決してゴブリンを入れたりしないわ!』
力強く跳ねたモモに、チュー助がきらきらした視線を送っている。その背中には、再び眠るアゲハが背負われていた。
一方、身を潜めて近づいてきたゴブリンたちは、すっかりバレていることに気がついたらしい。これ幸いと言わんばかりに飛び出すと、嬉々として雄叫びをあげる。
ごくり、と誰かの喉が鳴った。
『いけーっ! ゴブリンごときに怯むんじゃない! そこだ、こら、下手くそめー! 無理なら下がれ、シールドに入れっての!』
張り上げるチュー助の声も、必死の応戦の中に消えていく。
あからさまでないよう村のやや内側へ張られたシールド、戦闘はその内外入り乱れて始まった。村人は時折ゴブリンが弾かれる光景に訝しげにするものの、慣れない戦闘中にそれ以上考える余裕はなさそうだ。
『30匹、もう少しいるかしら……ちょっと多いわよね』
『ねえ、これ大丈夫かな? 怪我、してるよ。ぼく、もう行っていいよね?』
シールドに守られつつ思いの外苦戦している様子に、シロは不安げに水色の瞳を揺らして立ち上がった。途端、三角の耳がぴくりと動いた。
「わ、うわあっ?!」
「「ダグ!!」」
『あっ、あのガキめ!』
色んな声が重なって聞こえたその場には、尻をついたダグの強ばった顔があった。そして、庇おうと前に出たリプリー、そちらへ視線を向けてしまったコーディが。
それぞれが、それぞれに冷たい気配を色濃く感じた短く長い一瞬。白銀の風は全ての間を抜けた。
「…………え?」
3人の見開いた目に映っていた、最後になるはずだった光景には、続きが生まれた。
かき消すようにいなくなったゴブリンたちに、崩れ落ちた3人が目を瞬かせて前に立つ獣を見上げた。
静かに燃える水色の瞳がちらりと3人を振り返り、にこりと笑ったようだった。
『ぼく、行くよ。みんな、危ないと思うから下がっていて』
沈む日の中、輝く白銀のフェンリルが静かに戦闘の場へ足を踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます