第621話 まだ知らない楽しみ

「――だから、楽しみにしていてね! カレーの原型はできたから、もう少し吟味して『オレのカレー』を作って持ってくるからね! そうだ、ウーバルセットのおにぎらずは、すぐにでも作れるから次に来る時に……ああ、でもまずは今日の海鮮たちのお料理を持ってこなきゃ!」

一生懸命話すオレの上で、ふわあ、と大きなあくびが聞こえた。

「ルー、聞いてる?」

すぐに帰ったら怒るのに、話していても聞いているんだかいないんだか。

「……お前の話は飯ばかりだ」

「だって、すごいことなんだよ! カレーにチョコレートに、ウーバルセットも美味しくて、オレ魔族の国へ行って本当に良かったなあって」

印象的だったこと、感動したこと、それを話すと食べ物になっちゃうんだよ。そんなこと言って、他の話をしたって興味なさそうな顔をするのに。


「そうだ、サイア爺に習った精霊舞いが役に立ったんだよ! そのウーバルセットの洞窟で――」

あ、ムッとした。些細な耳としっぽの動きだけれど、割と分かりやすい気がするよ。それはオレがルーに慣れたからだろうか、それともルーが分かりやすくなったんだろうか。

だけどこの調子だとアッゼさんの話をしても、ミラゼア様の話をしてもダメなんでしょう。じゃあやっぱり食べ物の話になるよ。

このムッとしたルーを、なんとなく嬉しく感じるのはどうしてだろうね。浮かぶ笑みを隠さず身体を反転させると、背もたれにしていた胴を抱きしめた。これ、抱きしめてるって言うのかな。しがみついているって言う方が正しそうだ。


「ねえ、オレがお話するばっかりじゃなくて、ルーの話だって色々聞きたいな」

木漏れ日の散る毛並みに頬を寄せ、するすると柔らかなそれに手を滑らせる。ルーの話なんて、オレが聞いていいものじゃないのかもしれないけど。だけど、色んな場所に行ったお話だってできるはずだ。

「俺はずっとここにいる。話すことなどない」

少しだけ困惑したような声が、つっけんどんに言った。想定の範囲内の台詞に、オレはにこっと笑って金の瞳を見つめる。

「じゃあさ! 一緒に行こうよ。せっかく人の姿になれるんだから、勿体ないでしょう?」

「……何も勿体なくはない」

おや、と思わず目をしばたたかせた。以前はにべもなく『行くわけねー』って言い切られていた気がするのに、これは心境の変化じゃないだろうか。


オレは、ここぞとばかりに勢い込んでルーの上に乗り上げた。

「勿体ないよ! あのねえ、カロルス様は王都だとフード被ってるんだよ! だから、ルーだってフード被ればきっと平気! 今度行こうよ、どこがいい?!」

「……なんで俺がフードを被る必要がある」

「だって、ルー格好いいから目立つでしょう」

なんとなく、目立つのが嫌なのかなと思ったんだけど。

オレ、知ってるよ。ルーが人の姿で街を歩いていたことがあるだろうこと。きっと、今ではない昔のことだけど。だから、人のこともよく知っているんでしょう。


ルーは、鼻を鳴らしてごろりと横になった。お話終わり、の合図なんだろうな。だけど、今日のオレは諦めない。

「じゃあ、今度行こうね! そうだ、お祭りがある時に一緒に行こうよ! いろんな街でいろんなお祭りがあるから、今度執事さんに聞いてみるね! 一緒にお祭りに行ったら、美味しいものだって食べられるよ!」

「なんでお前と行く必要がある」

オレはいよいよ頬を緩ませて金の瞳を覗き込んだ。

「だって――オレと行く方が楽しいからだよ!!」

鼻先で思い切り笑って、大きな頭を抱きしめる。

ルーが一人で行くよりも、オレと行った方が楽しいに決まってる! 絶対そうだよ。

金の瞳がぱちりと瞬いて、咄嗟に言葉を失った。


「それに、オレがルーと一緒に行きたいもの!!」

「……うるせー。それはお前が楽しいだけだ」

「うふふっ、そうだよ! オレは楽しいよ!」

それだって、絶対そうだよ。楽しいに決まってるでしょう? なんだかもうわくわくしてきて、ぐりぐりと顔を擦りつけた。

「楽しみだね! どんなお祭りがいいかな? 前に花祭りに行ったことがあってね、そこでは花冠を被らなきゃいけないんだよ! ルーの花冠、素敵だろうなあ」

「行くとは言ってねー!」

だけど、行くわけねーとも言わないもの。それはもう、オーケーってことでいいよね!


嬉しくなってルーの毛並みに顔を埋めると、お日様と、ルーの下敷きになった青草の匂いがした。温められた被毛はふかふかとして撫でる手が止まらない。耳に優しく届くのは、草木のざわめきと、湖がたぷたぷ鳴る音。

ここはとても素敵な場所だね。だけど、他にも世界に『素敵』はたくさんある。もしかしてルーは全部知っているのかもしれないけれど、オレと一緒に出かけた『素敵』はひとつも知らないでしょう。

ここが素敵なのは、帰ってくる場所だから。世界で一番素敵な場所は、ちゃんとここに取っておくんだよ。もしかすると、それがあるから、他の素敵を楽しめるのかもしれない。


一緒にお出かけして、そして聞かせてよ。以前、ルーが街を歩いていた頃のこと。

そして、どうして歩かなくなったのかを。

大丈夫、きっと楽しいから。

絶対に、オレは楽しいから。だから、分けてあげるね。オレの『楽しい』を。

「ねえオレ、もう楽しくなってきちゃった!」

「てめーはいつもそんなものだ」

ぶっきらぼうな返事を聞きながら、オレは抱きしめる腕に力を込める。

結局、ルーは一度も言わなかった。それが、とても嬉しかった。



思いの外ルーのところに居座っちゃって、戻るのが遅くなってしまった。

あわやあのまま寝てしまうといったところで、蘇芳が容赦なくほっぺを引っぱって起こしてくれた。どうやらお魚料理を楽しみにしていたらしい。

「ただいま!」

帰るなり慌てて厨房へ飛び込むと、既に夕食の準備が佳境を迎えているところだ。今日使う分のお魚はジフが確保していたけれど、タコはオレが全部持って行っちゃってる。


「ねえジフ! タコも! タコも出したい!」

「タコって何だ?! 野菜じゃねえなら好きなだけ出せ、カロルス様なら食うだろ!」

うん、それはカロルス様への信頼なんだろうと思う。思うけど、出されれば何でも食うだろうカロルス様の残念感が半端ない。貴族様とは……。

「タコってアレだよ、最後に出したヤツ」

「食うのか……まあいい、外で切ってこい」


もう解体に割ける人員はいないらしい。だけどこの大きさのタコをオレ一人で捌くのは無理だ。収納内なら鮮度は落ちないし、仕方ないので足一本だけ切って使おう。それにしたって普通一家で食べる量ではないけれど。

ひとまず残っていた解体会場で足を切り出して、塩もみを開始する。周囲は暗くなっているけれど、オレ一人なら見えるから平気だ。

「う、うえぁ……」

揉むたびうにょり、うにょりと何とも癒えない感触が伝わって、思わず奇声が漏れる。タコはあの大きさだからいいのかもしれない。この大きさだとちょっと……食べ物に見えづらい。

オレでさえこうなのだから、もしかするとみんなはもっと抵抗があるかも。なら、まずは試食と称して忌避感の少ないだろう唐揚げにしよう。いろんなスパイスを使えば、もっと食べやすいかもしれない。


なるべく無心でタコを揉みながら、この大きさをどう切って唐揚げにしようかと考える。そしてまだまだ残る部分を処理するために、今後大量の塩が必要だと気付いた。塩もみ用ならラピス部隊に海水から作っておいてもらおうかな。訓練でいっぱい海水を蒸発させてそうだし。

王都にいるタクトとラキにも、唐揚げをお土産にしよう。食べた唐揚げがこのタコだと知ったら、どんな顔をするだろうか。そうだ、バルケリオス様って魔物を食べる分には平気なんだろうか。さすがに彼には内緒で出したりはしないけど、こういうところから苦手克服できるかもしれないよね。


そうして暗闇の中、ぬめる触手を揉みながらうすら笑いを浮かべるオレを見て、料理人さんたちの間でまたひとつ、碌でもない噂が流れたそうな。




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10巻は24票、11巻は35票入れていただきました~!!

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