第622話 厨房は戦場
小さなお子様が一人で頑張っているというのに、結局誰も手伝ってくれないままにタコの下処理が終了。オレの両腕は変な筋肉痛を起こしそうだ。
そして切り落とした足なのに動いているような気がするのは、気のせいなんだろうか。うん、気のせいに違いない。また洗い桶から這いずりだしそうになった足をさりげなく押し込み、見なかったことにした。
あとは下ゆでしておこうかと思ったんだけど、唐揚げにするならそのままでもいいか。ひとまず大きすぎるタコをまな板サイズにぶつ切りして、ここからはちゃんと手伝ってもらうんだから!
そうだ、凍らせると柔らかくなるって聞いたことがある。検証のために凍らせて解除したものと半々にしておこうかな。
魔法なら、凍らせるのも、それを解凍するのも朝飯前だ。
「お料理の時って本当に魔法が使えて良かったと思うね。あとは味が染みこむ魔法とかあればいいのになあ!」
そんなことを言いつつ手早く解凍までを済ませ、急いで厨房へと向かう。
『それより、カレーができる魔法! とかさ、俺様は料理そのものが魔法になればいいと思うんだぜ!』
ふふ、チュー助の発想は大胆だ。だけど、それができれば本当に魔法だね! 杖をひとふりでお料理の完成、なんてね。
『それなら、ぼくもお料理ができるかもしれないね!』
シロが嬉しげに飛び跳ねたかと思うと、ふと耳を垂らした。
『だけどぼく、お料理作ってるところも好きだな。しゅーっ、とんとんとん、じゃっじゃ、色んな音がして、色んな匂いがするんだよ。それがなくなっちゃうと、寂しいな』
厨房へ入ろうとした足がちょっと止まった。
「そっか。確かにそうかも! オレも料理をしている間の時間って好きだな」
『俺様も好きー! 味見できるから! じゃあやっぱり魔法で作るのはナシだぜ!』
『あうじ、あえはもね、あーんしてもらうの好き!』
我も我もとみんながそれに賛同するのを感じて、くすくす笑った。
「そうだね、味見ってすっごく美味しいもんね! じゃあ、お手伝いしてくれたら今日も味見できるよ!」
みんなの歓声を聞きながら、オレは明るい厨房へと足を踏み入れた。
そうだね、お料理の楽しさ、忘れないようにしなきゃいけないね。前世のように作業になってしまえば、作る喜びは消えてしまうんだろう。それが悪いことではないけれど、今は、お料理の時間を楽しみたいと思っている。
ざらついた泥を落としてぴかぴかになった野菜、包丁が食材を通る感触、リズミカルなまな板の音、くつくつ鳴る鍋や、食材を入れた瞬間のフライパンの音。
そして――
「いい匂い! ムニエルなの?」
色んな匂いに混じって漂う、バターの香り。匂いから美味しくなる瞬間は、作っているから楽しいんだ。出来上がりを心待ちにしているから、わくわくしてくるんだ。
「おう、遅いじゃねえか! もう出来上がんぞ! あと、若いのが怯えてるからもうちっとマトモに料理できねえのか」
「まともに……? お料理はこれからだけど? あのね、唐揚げするからこれ切って! 小さめのひとくち大に!」
もうつべこべ言っている時間は無い。どどんとぶつ切りにしたタコを取り出すと、散っている料理人さんたちに集合をかけた。
もちろんオレも、きゅっとエプロンを締め、大きな包丁を握りしめる。
「うわ、うわ、これ、生きてねえ? 俺が食われそう!」
「触手のぼっちゃん、手つきに躊躇いってもんがねえよな……大の大人でも悲鳴上げるような代物をよぉ」
ジフは冒険者だし魔物なんて慣れた手つきで捌いているけれど、他の料理人さんたちはおっかなびっくりだ。そして、何でもかんでも枕詞のようにオレの前に食材をつけないでほしい。
ぎゃあぎゃあ言いつつ、これは食材だと切り替えさえすれば手早い料理人さんたち。あっという間にタコを揚げる準備が整っていく。敢えて揃えず、ひとくち大から細切れみたいなもの、叩いたもの、いろんなパターンを用意してみた。下味は軽く、あとは揚げてからスパイスで変化をつけるんだ。
「じゃあ、揚げるよ!」
「あ、ちょっと待て! お前それ結構――」
早くしないと夕食が遅くなっちゃう! と油の沸き立つ大きな鍋へぽいぽい放り込んだ。
と、何か派手な音がした瞬間、大きな身体が鍋とオレの間に割り込んで、太い腕でオレを抱え込んだ。
「あぢっ?! あつあちっ?!」
「ぶわああ?! ジフさんちょっと?! これどうすれば!!」
阿鼻叫喚。
料理人さんたちが逃げ惑い、オレを抱えたジフの背後では盛大に何かがバチバチバフバフ激しく音をたてていた。
「シ、シールド!!」
察したオレはすぐさま鍋をシールドで覆い、そうっとジフを見上げた。
「あのー、ジフ? 背中、熱くない?」
「熱いわこの馬鹿がぁ! あんなもん放り込んだら弾けまくるに決まってんだろがぁ!!」
ええと、ごめんなさい? ありがとうこざいます?
ちゃっかりオレだけ無傷の厨房で、反省しつつ慌てて全体に回復魔法を施しておく。特にジフには念入りに……。
厨房っていうのは、やっぱり正しく戦場なんだな。まさか回復魔法が必須だとは思いも寄らなかった。
『回復魔法が必要になるのは、エリーシャ様かあなたがいる時くらいじゃない?』
エリーシャ様と一緒にされるのはさすがに心外だ。エリーシャ様だと回復じゃ追っつかない事態になるかもしれないんだから。
「大丈夫? こんなに跳ねるとは思わなかった……」
散々ごめんなさいとありがとうを言ってさすさすと背中を撫でていると、ジフはかえって居心地悪そうだ。ちなみに現在ジフとオレの共同作業でタコを揚げている。もちろん、オレの役目はシールドのみ。
「料理人舐めんなよ、刃物と油が怖くて料理が作れるかっての。身体強化は必須だぞ」
「ええ、オレ身体強化できないよ!」
「なら鍛えるしかねえな! シールドがあるならそっち方面はなんとかなるだろ。なんせでけえ食材も大量の料理も、筋力がなけりゃ始まらねえよ」
ぐっと力こぶを作ってみせるジフは、山賊の顔も相まって凶悪だ。そうか、やっぱり筋力、何をするにも鋼の肉体は必須だ。
「そうだね! オレも今から鍛えてるから、そのうち筋肉もりもりになるよ!」
ぐっと力こぶを作ってみせた腕は、ジフの一体何分の一なんだろうか。ちょっと縮尺がおかしいような気すらする。目の錯覚なのかもしれない。
「……まあ、人には向き不向きってものがあるからな」
そっと腕を下ろしたジフは、妙に優しい目でオレの頭を撫でたのだった。
「……今日は揚げ物じゃねえのか?」
残りの作業をジフに任せて食卓へやって来ると、既に夕食が並び始めていた。カロルス様がスンスンと鼻を鳴らして目の前の料理に不満げな顔をする。どうやらどこかしらから揚げ物の香りを感じ取っていたらしい。
「夕食はこれ! だけど後で試食があるからね、お腹に余裕を空けておいてね!」
そんなことを言う必要もない面子だけれど、一応そう断っておく。揚げ物を食後に出すなんて、なんたる暴挙かと思うけれど、ここでは大歓迎間違いなしなのが目に見えているからね。
「そうか! ならいいぞ!」
いそいそと目の前のムニエルに取りかかったカロルス様は、きっとお魚フライだと思っているだろう。タコだと分かっても大丈夫だろうか。うん、大丈夫だろう。
「カロルス様たちが大丈夫なら他の人もきっと大丈夫だよね」
『おいしかったよ! ぼくねえ、普通のがいい!』
『スオー、色の混ざったの』
シロは多分全種類味見したけれど、やっぱりスパイスは香りがキツくて好みじゃないらしい。逆に蘇芳はカラフルスパイスの唐揚げがお好みなんだね。
そうこうするうち、ガラガラとワゴンの音が近づいてきた。カロルス様をはじめ、エリーシャ様やセデス兄さんもそわそわと扉を見つめている。
「お待たせしやした! タコとやらの唐揚げ、ざっと10種類あるんでぜひご賞味くだせえ!」
3台の大きなワゴンに乗ってやって来た唐揚げの山に、オレ以外の面々からは歓声が上がった。
ふわりと漂う揚げ物の香り、スパイスの刺激的な香り……。
素敵なはずのそれらを前に、そう言えばオレは夕食を食べたら唐揚げなんて入らないなと気がついたのだった。
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