第602話 異変はあるかないか

「にゃあ」

終わった、と言いたげに一声鳴いて、緑の瞳がオレを見る。何も言わないその瞳は、ものすごく何かを待っている。

「あ……が、がんばったね!! すごいよチャト、強いんだね」

抱き上げて頬ずりすれば、いかにも満足げに目を細めてふてぶてしく鳴いた。

『ちゃんと加減したから、おいしくできるだろう』

心なしかほのかにいい匂いが漂う魔物の亡骸を振り返り、目を瞬いた。もしかしてお肉に火を通したくなくて、威力の低いだろう小さい姿で戦ったんだろうか。いやいや、食より安全を優先してよ!


『チャト、ぼくと遊んでる時はもっとばりばりってやるよ! ぼくにも、ちゃんと加減は?』

シロが、ちょっと不服そうにそう言った。

『お前がもっと加減しろ』

鼻であしらわれたものの、シロはそっか! と納得したらしい。

「シロにも攻撃してるの?! ダメだよ、危ないよ」

『危ないのはおれ。そのくらいしないと潰される』

あーー。まあ、チャト(小)の見た目が以前とほぼ変わらないから、シロも以前と同じようにじゃれてしまうところがある。昔の、チャトとシロの大きさがほとんど変わらなかった頃のように。


『だけどもうちょっと加減しても、ぼくちゃんと分かるよ! あれ、痛いよ!』

『痛いですむからいい』

そう言えば、あの頃もじゃれついては手痛い猫ぱんちをくらってキャンと鳴いていた。そのようなものだろうか。

「ちなみに、どのくらいの攻撃なの?」

念のため尋ねると、チャトがひょいとオレの腕から抜け出して距離をとった。


『シロ、捕まえっこだ』

「わふっ!」

途端に瞳を輝かせ、シロが猛然と突っ込んだ。慌てる暇もない突撃に思わず手を伸ばした瞬間。

バヂバヂバヂッ!! 

『あいたっ!』

激しく白熱したスパークで一瞬視界が真っ白になり、今にもチャトを押し潰さんとしていたフェンリルが、ぱっと飛び退いた。


『体格を考えろ、って、前も言ったな?』

『だって……』

うずうずと身体を跳ねさせるフェンリルは、本当に見た目は立派だけど中身が子犬だ。そして、傷1つ、焦げ1つ無いその姿はやっぱりフェンリルだ。

「……あれで傷1つねーの? 怖……」

確かに、なんかチャト周囲の地面が変色している気がするし、無事なのは生き物としてどうなのか。

『無事じゃないよ、ばりっとして痛いんだよ!』

『お前、痛くしないと効かないだろ』

案外仲のいいシロとチャトを微笑ましく思いつつ、改めてフェンリルの強さを認識する。

あれが『ばりっと』ですんじゃうんだなぁ。


それから、チャトのバリバリのせいかしばらく歩いてもウーバルセットが出て来ず、退屈した二匹はオレの中へ戻ってしまった。遊ぶスイッチが入ってしまったシロが、チャトに遊んで攻撃を繰り出していたけれど、オレの中って遊んだりできるんだろうか。一体どういう環境なのか確かめてみたいものだ。


「特に、異変って感じはしないね? やっぱり入り口付近にいたのってたまたまだったのかな?」

「お前が異変だからな。本来このあたりまで来ればもっと増えてもおかしくないんだけどなーあんな派手な戦闘があったからなー」

ちらちら、と何か言いたげな視線が突き刺さる。


「え、えーと。オレたち強いから、逃げちゃったのかもね! だけどウーバルセットゴアが2体も出てきてくれたから、お肉の確保としては上々だよね!」

「異変の確認は?」

うっ……。ま、まあ、その程度で異変の有無が分からなくなるくらいなら、大したものはないんじゃないかな!

「何も異変が見つからなかったら、ウーバルセット試食会でもやろっか?」

ぬるい視線を振り切るようににこっと微笑んでみせると、試食会、の台詞にその瞳が輝いた。

「マジで?! そういやお前、料理できるもんな! ちなみにアッゼさん解体も料理もできねーからな?!」

それで流浪の民を名乗るなんて、おこがましいにもほどがあると思う。


「オレも解体は得意じゃないけど、小さいウーバルセットくらいなら何とかなるかな」

「解体屋にやってもらえばいいじゃん。ちゃっと行ってパッと帰ってくるけど」

これだから貴族、いや星持ちってやつは……。全く、アッゼさんは惜しみなく転移を活用できていいな。

だけど、ある程度自分の手で解体する作業も大事だと思っているから。あと、そんなムードもへったくれもない冒険嫌だ。

『俺様、寝具一式持って冒険してるヤツに言われたくないと思うー!』

『盛大なるブーメランよねえ~』

オレは反論のしようもなく視線を逸らしたのだった。


――ユータ、お池があるの! 

相変わらずウーバルセットを見かけないまま、洞窟の奥まで来てしまったらしい。ラピスが飛んでいった先は、大きく拓けて鏡のような地底湖が広がっていた。

地底湖って、どうしてこうぞくりとするような静謐さがあるんだろうね。サイア爺の地底湖とは比較にならないけれど、それでも自然と口をつぐんでしまうような雰囲気を感じる。

きっと、普段はたくさんいるっていうウーバルセットが見当たらないせいもあるんだろう。


「これは、異変?」

「だろうぜ。ここまで来て1匹もいないなんて、さすがにねえよ」

だけど、正直ホッとしている。口に出すと本当になりそうで言わなかったけれど、凶暴な魔物に追われたウーバルセットが逃げ出していた、なんてことではなさそうだ。レーダーで探る限り、魔物はいないようだから。

アッゼさんがいるから安心ではあるものの、アリゲールの時みたいなことはもう勘弁してほしい。


「なんでいなくなったんだろうね。お引っ越し?」

「こんな快適な洞窟をわざわざ捨てるなんて、ありえね……うん? 快適じゃなくなったってことか?」

ふと真剣な表情をしたアッゼさんが、目を閉じて押し黙った。

「んー。俺、あんま得意じゃねえんだけど、お前分かる? なんか地の魔素薄くねえ?」

「地の魔素?」

へえ、魔族の人たちは魔素をちゃんと区別できるんだね。リンゼは邪の魔素も分かるって言ってたもんね。

改めて感覚を広げてみて、首を傾げる。


「その、地の魔素? だけ少な……ええと、薄いわけじゃないよ。どちらかと言うと、全部薄いけど」

洞窟内だから、そういうものだろうか。むしろ薄い中では、地の魔素が多めかな?

「フツーに答えんじゃねえよ、なんで分かんだよ。で、本当だな? 外より薄いのか?」

アッゼさんが聞いたくせに! と腹を立てつつ頷いた。

「うん、全部外より薄いよ」

「なら、明らかな異変ってやつだな」

事も無げに言われ、目を瞬いた。

「普段は違うの?」

「ウーバルセットは地の魔素が豊富で、地底湖がある湿った洞窟を最も好む。ここらだって精霊が居着くって言われるくらい地の魔素が豊富な場所だったはずだぜ」


へえ、地の精霊ってやっぱり洞窟とかが好きなんだね。ひとしきり周囲を見回して、腕組みするアッゼさんを見上げた。

「精霊さんはいないよ」

「それも分かるのかよ?!」

愕然とするアッゼさんを放置して、もしかしてどこかに精霊さんが残っていないかとうろうろしてみる。火と風の精霊さんしか見たことないもの、地の精霊さんはもしかすると石ころみたいな姿なのかもしれない。

はっきりした意思があるか分からないけれど、もし会話できる精霊さんなら異変について聞けるかもしれない。

それが一番の早道だろうと、オレは薄暗がりの中で目を凝らすのだった。

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