第560話 森の中で
「シロ、分かる……?」
いつも淀みなく進む足取りが、時折止まっては慎重に鼻をひくつかせた。
『分からなくはない……と、思う~』
オレは大人2人に挟まれるようにして森を進む。ラキとタクトは後ろで油断なく周囲を伺っていた。一太刀で森トカゲを倒したダートさんを見て、彼らに対する信頼を一段階上げる。どうやら割とベテランのDランクみたいだ。やはり危険度の高い森が近いせいだろうか。申し訳ないけど『草原の牙』より強いだろうと思う。
「その犬、本当にニオイが分かるのか? 普通、この森で嗅覚は当てにできねえんだぞ。犬系の従魔だって頼りにはなんねえからな」
訝しげな2人だけど、何の痕跡もない今は進む方向をシロに頼るしかない。
「シロは、普通の犬じゃないから」
胸を張ったオレに、シロが嬉しげに吠えた。
『そりゃあ、犬じゃないものねえ。いくら相性が悪くたってそこらの魔物には負けないでしょうよ』
ラキの肩でモモが弾む。今のところ蝶々の姿も見ないし、オレたちに分かるような甘いニオイもしない。それどころか、森の割に魔物が少ない気すらしている。
最初に飛び出してきた森トカゲと、あとは襲ってこないような小型の魔物を見かけるくらいだ。このままじゃ、お昼ごはんの確保もままならない。
「この森、普段もこんなに魔物が少ないの~?」
ラキに問われ、スーリアさんが難しい顔をした。
「いいえ。特に最近は浅部にも蝶が頻繁に現われるせいで、こうして進むことも難しかったのよ」
甘いニオイを避けて進む必要があったために、森での行動はかなり困難なものであったみたい。
「じゃあ、なんで出て来ないんだよ」
少々不満そうなタクトが口を尖らせた。
まさか、魔物までいなくなっちゃったわけじゃないよね。出て来ない方がいいはずなのに、こうも遭遇しないと――怖い。魔物なら怖くないのに。
「……どうする。一旦引き返すか?」
「だけど、村のみんなのニオイは続いているのよね?」
大人組が、足を止めた。側には、道しるべらしき赤色の杭が打ってあるのが見える。
「どうしたの?」
不安を隠せず見上げると、2人の瞳も揺れていた。
「普段は、これ以上奥には進まない。俺たちのランクでも危険だからな。ましてやお前ら連れては無理だ。この状況ならお前らだけでも森を出られるだろ、帰れ」
「あなた達を連れてはいけないわ。この先も魔物がいない保証はないもの。……ただ、今ならニオイが辛うじて残っているのよね……? ねえ、この犬だけ借りることってできない?」
腕組みしたダートさんは、絶対に連れて行ってはくれなさそうだ。だけど、二人は行くんでしょう? オレはシロと顔を見合わせ、後ろの二人とも視線を交わす。
「いいよ。シロは賢いから、頼み事はお話しすれば分かると思う。気を付けてね!」
「幻獣なのか? でかいもんな……。この犬なら、何かあっても逃げられるだろう。こいつだけ帰ってきたら、その時は、な?」
お前らも冒険者なら分かるな、とオレの頭に手を置いて、二人は頷き合って歩き出した。
分かるよ、大丈夫。そのためにシロをつけたのだから。
「で、俺たちは?」
帰るワケないよな、と言わんばかりの顔でにやっと笑う。うん、こんな半端で帰るわけないよね! あの二人が大丈夫なら、オレたちだって行って問題ないはずだ。集まった視線に、ラキも仕方ないねと悪い笑みを浮かべた。
大人たちの姿が見えなくなってしばらく、オレたちも行動を開始する。シロの気配ははっきりと大きいから、オレにはすぐ見つけられる。
一定の距離を保って進みながら、周囲の様子も探ってみるけれど、残念ながらオレたちに分かるのは魔物が妙に少ないっていうそれだけだ。
――ユータ、あっちも特に変わりはないの。初任務、ごくろうなの。
連絡係は管狐部隊のニリスが担ってくれているらしい。割とひっきりなしに連絡を寄越す様子に、一番新米であるニリスの張り切りが窺える。
奥に進んでもろくに出てこない魔物に拍子抜けしつつ歩くことしばらく、ラピスが小首をかしげた。
――ユータ、シロが困ってるみたいなの。
「困ってる?」
――大人が勝手に道を逸れるの。シロの行きたい方に行けないって言ってるの。
ラピスのセリフにさあっと青ざめた。もしかして、もう幻惑にかかってるんじゃ?
「甘いニオイは?!」
――するの。だけど、シロがいる辺りだと蝶も多いから、甘いニオイは避けられないって言ってたみたいなの。でも大きい蝶々はいないみたいなの。
本当に? もしかして近くにいるのに気付いていなかったりしたら大変だ。
「ちょっとオレ、目を閉じるから守ってね!」
一応ラキとタクトに護衛をお願いして目を閉じる。地図魔法とレーダーを併用し、シロたち一行の周囲を詳細に探った。これ、とても疲れるのだけど、そんなこと言ってもいられない。
「あれ……?」
大きな魔物はいない。だけど、気になる反応がある。
「ちょっと、作戦変更! 急いで合流しよう!」
ぱちっと目を開けて宣言したオレに、二人は訳も分からず頷いた。
「ふうん、事情は分かったけど~。僕もそっちに乗せてくれない~?」
『無理』
お伺いをたてる猶予もなく、チャトがばっさりと切り捨てた。乗れないことはないと思うのだけど、チャトはオレ以外を乗せてはくれない。
今はオレがチャトに乗って走り、タクトがラキを抱えて走っている。シロがいないもの、これが一番速い方法だと思う。ラキの渋面は見なかったことにした。
「あ、いた!」
「なっ?! お前ら、一体どうやって?!」
あれ? 全然幻惑にかかっている雰囲気じゃない。間もなく追いついたオレたちは、驚愕されるのも構わず、まじまじと二人を眺めた。
「幻惑、かかってなくねえ?」
「そうだね~」
二人の視線が痛い。だけど、もしかしたら今は幻惑が解けているのかもしれないし!
「帰れって言ったろうが! 何考えてやがる!」
怒り心頭でオレを捕まえようとするダートさんをするりと躱し、先手を打った。
「気になることがあるし、オレたちだけで進むから。二人について行かなくて大丈夫!」
「何言ってやがる!」
簡単に躱され面食らったものの、彼は再びオレに手を伸ばす。手が触れる寸前まで引き付け、にこりと笑った。瞬間、きっと彼はオレの姿を見失ったろう。
踏み出した足の間を抜け、膝裏を軽く蹴った。同時に襟首に飛びついてぶら下がるように思い切り引く。
「う、わっ?!」
見事に体勢を崩して頭を打ち付ける寸前、抱え込んで受け止めた。
「オレたちも、Dランクなんだ」
とん、と小さな手刀を首元に添え、目を見開くダートさんをのぞき込んで微笑んでみせる。結局のところ、ある程度実力が分からないと納得はしてもらえないから。マリーさんみたいな強硬手段になっちゃったけど、オレも急いでいる。
大人二人は、狐につままれたような顔でオレたちを眺めた。
「――で、こっちなのか。犬とはぐれた時があったが、なにも違和感はなかったはずだぞ」
納得してくれたのかどうかは分からないけど、着いてくるなとは言わなくなった二人と共に、オレたちは先ほど彼らが道を逸れた場所に向かっている。
『こっち!』
シロに続いて皆で走っていると、甘いニオイが一段ときつく感じられた。
『この先なんだけど……ほら』
ちらり、と振り返ったシロが足を止めた。
「あれ? どうしたの?」
きょとんとすると同時に、違和感に気付いてきょろきょろと周囲を見回した。あれ? みんなは? ラキもタクトも、大人2人もいない。オレしかいない。
ゾッと背筋が寒くなって、つい思い切りレーダーを広げた。
「あ……いた!」
良かった、どうやら大人2人、子ども2人でバラバラの方向に走っているものの、特に変わった様子はなさそうだ。これも幻惑の一種……? とにかく、集合しなくちゃ。
「シロ、ダートさんたちをお願い。チャト、ラキたちを呼んできてくれる?」
『分かった!』
『乗せはしない』
その間にオレも気になっていたことを片付けよう。慎重に歩を進めると、そうっと茂みの中を覗き込んだ。
「……ねえ」
ズタ袋みたいなそれは、声をかけると飛び上がるほどに驚いて顔を上げた。
「君、村の子? 一緒に行こう」
そこにうずくまっていたのは、まだ10やそこらの子どもだった。
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