第533話 御神酒の造り方
触れる物全てが柔らかく、温かくて頬をすり寄せた。ああ、最高にぬくぬくと心地良い。
『……のう、そろそろ起きんかの。その恰好では風邪を……まあ、ひかぬじゃろうが』
あまり寝起きに聞かない声が遠慮がちに聞こえて、つんつんと頬に何かが触れる。
あれ? そう言えばオレ……。
ハッとして飛び起きると、目の前にいたらしいチル爺がころりとシロから転げ落ちた。
「あっ! チル爺、オレちょっとウトウトしてた?! ごめん、時間大丈夫?!」
シロとチャトのぬくぬくから身体を起こすと、肌にひやりと外の空気が触れた。どうやら巻き付けていた布からは知らぬ間に抜け出していたらしい。朝からここへ来たはずなのに、お日様がてっぺんを過ぎているような気がする。
『ウトウトではないのう、しっかり寝ておったわ。時間はよい、説明しながら村の案内でもしようと思っておっただけじゃからのう。それよりも戻ってこんから心配したわ! まさか溺れはすまいと思ったが……』
杖でコツンと頭を小突かれ、やれやれとため息をつかれる。心配で来てくれたんだね。
それもどうやらしばらく寝かせてくれていたらしい。オレは随分すっきりした頭で伸びをした。
『ほれ、いつまでも裸ん坊でいるものでない。早う衣装を身につけるのじゃ』
チル爺が布を引きずってきたけれど、これ、着られないよ? ただの布なんだけど。
仕方なくぐるぐる巻き付けようとすると、呆れた視線を寄越された。
『……なんじゃ、お主着方が分からんかったか。風呂上がりじゃあるまいに、それはないのう。留め具はどうしたのじゃ、一緒に置いてあったじゃろう』
実際風呂上がりみたいなものだけど、どうやら着方があったらしい。
留め具? そう言えばブローチみたいなものはあった気がする。
チル爺は草の合間に転がっていた丸いブローチを2つ拾ってやって来た。
『まずはこう折って……ここに身体を入れるのじゃ。そうそう、お主はそっちを持っておれ』
一度折り返した布に身体を入れると、ちょいちょいと肩の部分をブローチで留めて、布をまとめていた紐で腰を縛れば――。
「すごい、服になった!」
神様が着る服みたい。ひらひら、ハタハタして楽しい。
『そんなに走り回るでない、ほれ、横がはだけてしまうのじゃ』
かいがいしく服を直すチル爺にくすくす笑う。着物を着せてもらった時みたいだ。
『さて、向こうはもう準備できておるからのう。さっそく行こうかの』
「うん! それで、何をするの?」
『ワイン造りじゃよ! ワシらも造るのじゃが、お主の足踏みなら良いものができるじゃろうて』
足踏み……? もしかして、ブドウを踏んで果汁を絞るやつ?
「そう言うやり方があるって知ってるけど、神様のワインを足で踏むのってなんだか……失礼じゃない? 汚いような気がして」
『何を言う。昔から決まっておるのじゃ、清らかなおと…………男なのじゃから、何ら汚いことはないのじゃ』
オレは視線を逸らすチル爺にじっとりした視線を向けた。やっぱりここでも普通はブドウ踏みの『乙女』だったんじゃないの?
「……『男』でもいいの?」
『……知っておったか。いいのじゃ、人はどうか知らぬがのう、清らかであることに男女差などないのじゃから』
それはそうだろうけど、こう、イメージってものだろうか。だけど男でも女でも、オレくらいの幼児なら気にならないかもしれない。
「妖精さんたちもブドウ踏みするの?」
『ワシらがやるにはあまりに非効率じゃからの、
ふ、ふーん。妖精さんは50歳くらいまでは子どもなんだね……。
槌っていうのも普通の木槌なんかとは違うみたい。大槌は丸太をロープで引いて、滑車で上げ下ろしする……昔の地固めみたいな方法らしい。
「魔法で造った方が簡単じゃないの?」
『御神酒を簡単に造ってどうする。そこにかける手間や想いが大切なのじゃ。……じゃから、御神酒でない酒は魔法でも何でも使うがのう』
そんなことを話しつつ村へ戻ると、来た時とはすっかり様子が変わっていた。
「わあ、これが大槌!」
槌になる丸太はさほどでもなく、支える枠組みの方がずっと大きくて驚いた。宙ぶらりんになった丸太の下には大きな木樽が設置されていて、きっと中身はたくさんのブドウが入っているんだろう。そんな大槌がいくつか用意され、色とりどりの妖精さんがわんさか溢れてすっかりお祭りの様相だ。
『ゆーた!』『おそーい』『こっちこっちー!』
「わ、みんなかわいい恰好だね!」
妖精トリオは白い衣装を身につけ、頭には草冠を乗せている。よく見れば衣装はオレと同じようだけど、妖精トリオが着ていたらすごく可愛らしく見える。
『いっしょだよー』『ゆーたもかわいい』『かみさまのふくー!』
うふふ、えへへ、とはにかむ妖精トリオが誇らしげにくるくる回ってみせる。そっか、確かみんな50にはならないはずだから、大槌を引くんだね。
『ほれ、お主はこっちじゃ』
チル爺が示す木樽は妖精さんたちのよりも浅かったけれど、それでも行水できそうなくらいの大きさがある。中には黒っぽいブドウが山になっていた。
「うわぁ、本当にブドウだ! これを踏んじゃうの?」
『良い実りじゃろう、そのままでも良い味じゃよ。もちろん、しっかり踏んで良いワインにすればもっと……楽しみじゃのう』
チル爺は既にウキウキと楽しそうだ。それ、絶対ブドウ踏みじゃなくてワインが楽しみなんだよね。
木樽に入ったブドウを一粒つまんで口に入れてみる。
「あれ? 結構おいしい」
ワイン用だもの、きっと甘くないと思っていたのだけど、割と甘い。ただ、皮は分厚いし種もあったけれど。普通に食べたっておいしいのに、全部ワインにしちゃうのが勿体ない気すらした。
広場を囲む木々から、シャラララ! と鈴の音が響いた。目を凝らすと、周囲の木々には身体中に葉っぱを飾った妖精たちが、手に手に楽器を持って控えているのが見える。さんざめく妖精さんたちが、目を輝かせて口を閉じていく。妖精トリオがサッと大槌の前に集合するのが見えた。
『さあ、そろそろじゃ』
チル爺に促され、オレも木樽の前へ行く。踏み台の前には、きれいな水を張ったタライが置いてあった。
『次の鈴が、木樽の中へ入る合図じゃ。その後、お
とんとん、と杖で肩を叩かれ、ドキドキしてきた。
シャラララ! 再び鳴った鈴の音に、チル爺がこくりと頷いてみせる。オレも頷き返すと、高鳴る胸を押さえて進み出た。
タライに素足を浸けると、2人の妖精さんが恭しく葉っぱの冠を頭に被せてくれる。念のため洗浄魔法もかけた上で、そうっと木樽の中へ足を下ろしてみる。
「……うわぁ」
つい何とも言えない声が漏れてしまった。
ぷちちゅ、ぷちちっ――。
小さな足の裏で弾けていくブドウが、気持ちいいような、悪いような。そしてやっぱり非常に罪悪感がある。割と衝撃的な感触に、緊張もどこかへ行ってしまったみたいだ。
タンタタッ、トト、カンカラッ!
突如軽快な太鼓の音がひとつ響いたかと思うと、呼応するように様々な楽器の音が絡み合い始めた。
軽快な太鼓の音に、笛の音。カンカラ言うのはなんて楽器だろう。どんどん増えていくお囃子の楽器と、手囃子・足拍子。時折、『そいっ』とか『そぉーれっ!』なんて声が入って、周囲の妖精さんたちみんな、何かしら音をたてて踊り始めた。
タンタタッ、ットト、カンカラッカカン!
自然と口角が上がる。沸き立つようなリズムに、自然と身体が揺れた。
「ふふっ!」
どうやって踏めばいいんだろう、なんて考える必要なかった。長い裾をたくしあげ、オレはデタラメにブドウを踏んで踊る。弾けていくブドウが飛び散って、白かった衣装がみるみる染まっていく。
「あっはは!」
片足で跳んで、くるりとまわって両足で跳んで。
ぷちゅぴちゅ言っていた足下が、だんだん重くぴちゃぱちゃ言い出して、ブドウの上にあった足がずんずん下へ埋まり始める。
――楽しい。賑やかなお囃子に誘われるまま、好き勝手に身体を動かして踊る。
いつの間にか、妖精さんたちがオレの衣装の裾をたくし上げて留めてくれた。見ず知らずの妖精さんと手をつないでまわる。一回まわる度に違う妖精さんと手を繋ぎ、まるでダンスしているみたい。
オレはただ、ひたすら笑い転げながら踊っていた。
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本日23日コミカライズ版更新日ですよ〜!!
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