第534話 神様よりも

「つ、疲れたぁ」

時刻は夕方に差し掛かろうかという時、オレはようやく任務を終えてへたり込んでいた。

曲がりなりにもDランク冒険者、ワイン造りで根を上げるなんてあっちゃあならない。

だけど、だけど! 朝からずうっと頑張ったんだもの、相当なものだと思うんだ。ブドウを踏みながら踊り続けた足は、泥が詰まったように重だるい。


『さすがじゃの、ここまで通してできるとは思わなんだ』

心地良い草地に寝転がって、ふわりと寄ってきたチル爺を見上げた。

「通してできなかったら、どうしてたの?」

『無論、休憩を挟むつもりじゃったよ?』

な、なんと……。つい楽しくてやり過ぎたのはオレだけど、先に言っておいてほしかった。

もう抗議する気力もなく、大きく息を吐いて目を閉じる。まだ続く祭り囃子が耳に心地良い。

オレが担当したブドウはすっかり潰されて、せっせと樽に詰め替えられている。

ひとまずティアと回路を繋ぎ、ほっとひと心地ついて身体を起こした。広場では『そーれ、そーれ!』とかわいい声が聞こえている。妖精さんたちの大槌は、まだ稼働しているようだ。子どもたちが代わる代わるこんなに長い間頑張るんだもの、さぞかし神様も喜ぶだろう。


「おいしいワインになるかなぁ」

『そりゃあもう、格別に決まっておる』

勢い込むチル爺にくすっと笑った。途端におなかがぐう、と鳴って、切なくさすった。その手はすっかり葡萄色で、衣装ももはや最初の色が分からないくらいだ。さすがに足は洗ったものの、全身葡萄色に染まって、なんとなくぺたぺたしている。もう鼻が慣れてしまってよく分からないけれど、さぞかし良い香りがしていることだろう。ユータのブドウ和え、どうぞ召し上がれだ。

『腹が減っておろう、もうすぐご馳走ができるからの』

「ご馳走があるの?!」

『あるとも! 宴はこれからじゃ!』

チル爺がそわそわしている。その様子からすると、宴ってお酒を飲むんでしょう? ご馳走、って言ってたからお食事もあるんだよね。だけど妖精さんサイズのお料理だったら……すごく切ない。


『つかれたー』『がんばった!』『おなかへったー』

オレの心の声を代弁するような台詞が聞こえ、妖精トリオがへろへろと飛んで来てオレの膝に墜落した。

「みんな、よくがんばったね! あんな大槌をずっと引いたんだもの、すごいよ!」

こんな小さな体に、よくもそんなエネルギーがあるものだ。掛け値なしの賞賛の言葉に、妖精トリオはつぶらな瞳でオレを見上げ、はにかんで笑った。

「元気になあれ」

頑張ったみんなにサービスだよ。膝の上で転がる3人に点滴魔法を施せば、うっとりと心地よさそうに目を閉じた。


再び鈴の音が響いて、顔を上げる。いつの間にか祭り囃子も止んでいた。

「終わりの合図?」

チル爺を振り仰ぐと、膝の上から賑やかな声がした。

『はじまりのあいず!』『これから!』『いこう、いこう!』

飛び上がった妖精トリオにぐいぐい引かれて立ち上がる。

「どこに行くの?」

『言ったじゃろ? 宴はこれからじゃと! さあさあ、行くのじゃ!』

えっ? オレ、このまま? 葡萄色の衣装を着替える暇もなく、追い立てられるように再び広場の中央へと向かった。

あたりは祭り囃子とはまた違った穏やかな音楽が流れ始め、方々で楽しげな笑い声が響いていた。


「これ全部ワインになるの? たくさんできたね!」

『そうじゃの! ほれ、こっちがお主の造ったワインじゃよ』

広場に並んだ木樽の前で、チル爺が手招きしている。

オレが造ったワイン……いや、まだブドウジュースだけど。これってどのくらいでワインになるんだろう。もしかして何年も必要なのかな。

できればオレが造ったワインをルーやカロルス様に渡したいけど、きっとまだまだ先になるんだろう。

『今夜、月が出れば「時惑いの穴」に運ぶからの』

「え? 時惑い??」

『そうじゃ、ワインにするのじゃから、熟成が必要じゃろう?』


さも当然のように語るチル爺によると、大昔の妖精が偶然作りだした魔道具みたいなものらしい。時の流れが速くなる空間倉庫になっているそう。

「すごいね! そこに運び込めばすぐに熟成するの?」

『すぐに、とはいかんが、次の満月までには出来上がるはずじゃ! 楽しみにしておれ』

味を染みこませたいものとか、お味噌とか、手っ取り早く作れるってことだよね。便利で羨ましいと思ったけれど、時の流れに合わせた繊細な職人技がいるらしく、使い勝手がいいものではなさそうだ。ワインもタイミングを見計らって何度か出し入れしたり樽を移し替えたりするらしい。

「おいしいワインになりますように」

樽をぎゅうっと抱えてお祈りしておいた。そう言えば神様のためのワインなんだから、捧げる相手に祈ってもダメだったかもしれない。オレはすっかりルーたちのために一生懸命になっていたよ。


「でもルーだって神獣なんだから、神様みたいなものだよね」

だから、神様のために祈りを込めて造ったと言っても間違いじゃないはず。漆黒の神様は、ワインを持っていったらどんな顔をするだろう。おひげもお耳も前を向くだろうか。

きっとまた『うまい』なんて言わないに違いない。

語らない獣からにじみ出る感情は、きっと身体のあちこちが示してくれるだろう。オレはくすっと笑って木樽を撫でた。


『おいしいよー!』『ほらこれ!』『たべよー!』

広場に着いた途端どこかへ行ってしまった妖精トリオが、何やらえっちらおっちら運んでくるようだ。

「これどうしたの? 美味しそう!」

『もってきたー』『はやくいこう』『おいしいよ!』

妖精トリオが運んで来たのは、葉っぱに包まれた分厚いハムみたいなもの。ハガキくらいのサイズで、厚みは文庫本ほどもある。空きっ腹を抱える今のオレは見ただけでよだれが滴りそうだ。

『これ、ユータの』『もっといろいろあるよ!』『おにく、おいしい!』

妖精トリオのお口の周りを見るに、既に腹の虫をなだめてきたらしい。オレも大きなハム(?)を受け取ると、大急ぎでかぶりついた。

途端に香ったのは、燻された煙の香り。これ、燻製肉だ! まるで上等のハムみたい。


いつものオレだったら少々多いくらいのサイズだったけれど、今はそれどころじゃない。歯切れ良く食べやすいことも相まって、まるでタクトみたいな勢いで食べてしまった。

「すごい! 色々あるね!」

既に大槌が片付けられた広間には、中央の木樽の向こう、大きな木を囲むようにテーブルが設置され、ブッフェスタイルになっているみたいだった。

好きなものを好きなだけ取り分け、切り分けて持って行ける形式なら、オレだって妖精さんサイズで泣かなくてもすむ。

あっという間に食べ終えたハムの名残を惜しんでぺろりと指を舐め、テーブルの端っこから全部を味わうべく、歓声を上げて駆け寄ったのだった。


「妖精さんって燻製が得意なんだね」

『よう食うのう。そうじゃ、森の木々に良い香木もあるでな、なかなかのもんじゃろ? 酒にもよく合ってのう。ほれ、あのチーズはもう食べたかの? あれは御神酒によく合う香木で燻され――』

チル爺は置いておこう。語り始めたチル爺からそっと離れ、オレは再びテーブルの制覇目指して奮闘を始める。ただでさえお酒関連になると止まらないのに、チル爺はすでにカパカパワインを飲んでいる。お髭の中から突き出たお鼻が、既に真っ赤だ。

いいな、と思うけれど、醜態をさらしたことを思えば今ここでお酒は飲めない……。あれが合う、これが合う、と言いつつワインを呷っていくチル爺は、千鳥足ならぬ千鳥飛び? いやいや千鳥は立派に飛ぶけれど。

ついにテーブル上に落下したチル爺が、自分のお髭を踏んでお料理にダイブしている。

そのままもぐもぐやりだしたのを横目に、やっぱり醜態はさらせない、と禁酒の誓いをたてたのだった。


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