第529話 聞いた方が悪いのか

「ただいま!」

「おう、おかえり」

勢いよく飛びついた身体が、真正面から受け止められる。転移して背中に飛びついてやろうと思ったのに。エルベル様にしろ、カロルス様にしろ、不意打ちがきかなくて困る。最近はタクトにだって捕まえられてしまうんだから、やっぱりスモークさんやアッゼさんの瞬間的な転移を覚えたいところだ。

「ねえカロルス様! お酒ってどんなのがおいしいの?」

満面の笑みで尋ねると、ブルーの瞳が困惑に揺れた。

「酒……? なんでお前が酒なんて……」

あ、不良少年どころか不良幼児だと思われてしまう。慌てて首を振って言葉を重ねる。


「あ、違うよ! オレが飲むんじゃなくて、他の人にあげたくて!」

「ああ、チル爺さんか?」

「うん、チル爺にも持っていこうと思うんだけど、その……ルーとかに」

ルーって割と恐れ多い存在みたいだから、普段はあまり話題に出さないようにしている。心配されるしね。ちょっと首をすくめてちらりと見上げると、じっとりした視線が降り注いだ。


「お前……神獣に捧げる酒を、俺の晩酌用と同レベルで聞くんじゃねえ!」

「神獣だけど……ルーだもん。晩酌用でいいと思って」

「なんでそれでいいと思った?!」

うん、こんな風に怒られるのは久しぶりな気がする。オレも成長したってことかな。

『成長してたら、こんなことで怒られないと思うわ』

……モモのふよふよと伸び縮みする感触が心地良い。

前からも横からも感じるぬるい視線に、ひとまず笑って誤魔化した。


「酒は好みがあるだろうが。俺が好きな酒と他が好きな酒は違うぞ」

「そうなの? みんなが好きなお酒ってないの?」

オレは元々お酒がそんなに好きじゃないからなあ。すぐ酔ってしまうのもあるけれど。

「ないだろ。相手に好きな酒を聞く方が早いぞ」

そっか。だけど他の人はともかく、ルーは答えてくれない気がする。

「――あっ。じゃあ、聞いてみるね! おいしいお酒があったらカロルス様にもあげるね!」

ふと感じた気配にハッと顔を上げると、カロルス様の腕から飛び降りて駆け出した。


部屋へ飛び込むと、案の定光球が3つ、所在なさげにくるくると回っていた。そして、窓辺にちょんと灯ったもう一つ。

『あ、きたー!』『あえたよ!』『こっちにいたー!』

妖精トリオが嬉しげにオレの周囲を回る。そうだ、すれ違いも多いし、妖精トリオもオレたちの部屋に来てもらえるようにしたらいいんじゃないだろうか。だって寮の部屋はオレたちだけになったんだから。

「ねえねえ、みんな寮の部屋にも来てみない? 秘密基地にしても、ここにしても、中々会える機会がないでしょう?」

『『『行く-!!』』』

即答で返事した妖精トリオに、窓辺でのほほんと座っていたチル爺が慌てた。

『ま、待て待て! そう簡単に言うでない! 学校の中など、人の目が多すぎるじゃろう。迂闊なこやつらのことじゃ、ふとした拍子に姿を見られないとも限らん』


「学校内はちょっと無理かもしれないけど、オレたちの部屋だけなら大丈夫じゃないかな? だって同室メンバーがタクトとラキだけだからね!」

『しってるー』『タクトとラキー!』『あいにいくー』

まあ、タクトもラキも妖精トリオが隠密状態では見えないんだけどね。

じっと見つめる4対の瞳を前に、チル爺が劣勢とみてじりじりと下がった。

『へやだけー!』『だっていつもユータいない』『へやならだれかいるー!』

ご、ごめんね。最近割と忙しくしているから、こっちにも秘密基地にもあんまり行けていないから。


『ま、まあ……顔見知りしかおらんなら……』

渋々頷いたチル爺に、妖精トリオがくるくると歓喜の舞いを舞っている。

「じゃあさっそく――」

チル爺の小さな手をとって転移しようとしたところで、小さな頭が激しく左右に振られた。勢いで長いおヒゲもブンブン揺れている。

『無理無理っ! それ無理っ! やめんか、ワシがこの世からいなくなっちゃう!』

「転移するだけだよ? だって、どうするの?」

みんな、そんなにオレの転移を嫌がらなくても……。転移で連れて行けないなら、普通についてきてもらうしかないけれど、そっちの方がリスクが高いだろう。世の中には妖精が見える人たちもいるのだから。


要石かなめいしじゃ。これを置いてくれば分かるからの、お主が帰った時に部屋の窓辺にでも置くがよい。いずれワシが探して転移すれば良いじゃろう』

「そんなことができるんだ! 分かった、じゃあムゥちゃんの側に置いておくね」

小さなボタンくらいの白い石を、大切に収納にしまっておく。

『して、最近のお主に変わりはなかったかのう。――ハッ! いや、神獣とかそういう大層なことは聞いておらんぞ、そういうのじゃないからの! 日常会話というやつじゃ!』

どうしてそんな念押しするの。ルーの話だってサイア爺の話だって日常会話なんだけど。じゃあ聖域に行ったり、あまつさえラ・エンの加護をもらったりしたことは論外、と。


『……なぜにそんな悩む必要があるのじゃ……? 日常会話とはそんなに高度なものだったかのう』

遠い目をするチル爺に、そう言えば妖精トリオとは聖域に行く前に会ったんだっけ、と視線をやった。

「……?」

妖精トリオが、必死に両手でバツ印を作って首を振っている。ああ、そっか、あの洞窟はチル爺に内緒だって言ってたっけ。妖精の祝福について聞きたかったけど……まあいいか。

「えーと。普通の依頼を受けたら、呪晶石のせいでドラゴンみたいなのと戦うことになっちゃったんだよ。あとは川で遊んでたらスライムがいっぱい流れてきて、それを辿ったら野盗を討伐してお嬢様を助けることになって。それで、大規模討伐にも参加することになって――」

『厳選された話題がそれかの? 何がどうなってそれらが繋がるのかサッパリ分からんのう』


「オレもサッパリ。短期間に2回も呪晶石絡みの魔物と戦う羽目になったし」

そこまで言って、はたと気がついた。まだチャトを紹介していなかったんじゃないかな。

『呪晶石絡みの魔物がそんなに? どういうことじゃ』

「それも聞きたかったんだけどね、見てチル爺! 新しい仲間だよ、チャトって言うの!」

びろーんと伸びたチャトを掲げてみせると、チル爺が目をぱちぱちとしばたたかせた。

『お主、それは……ワシには普通の猫に見えるのじゃが……まさか、ついにまともな召喚獣――』

抱え方がお気に召さなかったらしいチャトが、ばさっと翼を羽ばたかせて机の上に跳び上がった。

『――なワケはなかったのう。それ、何かのう? ワシ、そんな生き物知らない』

チル爺が力なく地面に手を着いて、ふるふる首を振っている。


「えーと、グリフォンの亜種ってことでいいんじゃない? ほら、大きくなったらグリフォンっぽいでしょう?」

促しに応じて、面倒そうにあくびをしたチャトが大きくなった。

『きゃー!』『すごーい!』『すごいねこさんー?!』

妖精トリオが大はしゃぎしている。チャトは満更でもなさそうにピピッと耳を振ってうずくまった。


『いいんじゃない? とかそういう……。これは、お主から話を聞こうとしたワシが悪いのか……?』

一方のチル爺は壁に向かって小さくなり、耳を塞いでいた。そんなに? そんなにダメなお話だった?! だってチャトは絶対に紹介したいでしょう?

「えーと、そうだ。チル爺ってお酒に詳しいでしょう?」

これなら、と口にした途端、チル爺はお髭がなびく勢いで振り返った。

「だから、美味しいお酒を教えて貰おうと思って……」

これは、早まったかも知れない。

爛々と輝きだした双眸に、好きなお酒だけ聞けば良かったと後悔したのだった。 



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皆様9巻はどうでしたか~? 楽しんでいただけると幸いです!


そして、皆様のお力で10巻も出せそうということに…!!

記念の巻なので、さらにたくさんの方に楽しんでいただけるよう頑張っているところです!ちょっと更新が不安定になったらすみません…

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