第509話 先の楽しみ
薄暗い中、ランプの光を七色に変えてシャボン玉が浮かぶ。
お日様の下で輝くシャボン玉もきれいだけど、これはこれで夢のよう。風がないので大きなシャボンにも挑戦できる。
「わ、見て! こんなに大きいのができたよ!」
手のひらより大きなシャボン玉は、モモみたいにふよふよと揺れながら高度を下げていく。
大きく作るとすぐに落ちていっちゃうのが残念だ。
「上手でしょ! エルベル様はへたくそだね!」
ふふんと傍らを顧みれば、中々シャボン玉を飛ばせない王様がいた。オレは日本でもやっていたから簡単だけど、生まれて初めてだとコツを掴むのに時間が必要らしい。それともタクトやエルベル様が不器用なだけだろうか。
「……そもそも、室内でやるものではないだろう!」
悔しげな紅い瞳が、じろりとオレを睨んだ。
「だってグンジョーさんがいいって言ったもん。帰りにちゃんと洗浄魔法かけておくからむしろきれいになると思うよ!」
それに、お外に行こうって言ったのに断ったのはエルベル様でしょ! ヴァンパイアは肺活量もすごいんだろうか。そうっと吹くってことができないのかもしれない。
「こうだよ、お手々貸して!」
ベッドに腰掛けて左手を取ると、手のひらに唇を寄せた。そうっとそうっと、大きなシャボン玉を作る時の吐息。
「このくらい! ね? エルベル様のは強すぎるでしょう?」
見上げてにっこりすると、王様は白皙の面をじんわり染めてむくれた。
「……分かってる! そっとだろ。俺はお前よりずっと力が強いからな!」
むきになったエルベル様は、今度こそと細長い茎を咥え、慎重に息を吹き込んでいく。
途端に小さなシャボン玉があふれ出し、部屋中を漂った。
「うわ~いっぱいあるときれいだね! もっともっと!」
小さなライトもいくつか浮かべ、ささやかな風を送って流れを作った。どうやらコツを掴んだエルベル様が、せっせとシャボン玉を量産してくれる。
「エルベル様も、こっち!」
シャボンの輪の中へ引っ張り込むと、大人ぶった王様に少年の顔が覗く。自然に上がった口角は、きっと無意識なんだろう。
紅玉の瞳にはきらきらと光が流れて宝石みたい。黒を基調とした衣装にささやかな虹色が映え、この美貌のヴァンパイアはおとぎ話に出てきそうだ。
「エルベル様、王子様みたいだよ!」
素直にそう言うと、きょとんと目を瞬いてから、不遜な笑みを浮かべた。
「フン、王様だからな」
王子様より偉いぞ、と言いたげな得意顔に吹き出した。そんな顔すると、おとぎ話じゃなくなっちゃう。
「じゃあ――王様、お気に召していただけましたか?」
胸に手を当て、気取った仕草で言ってみる。エルベル様は咳払いして居住まいを正すと、偉そうな顔をした。
「及第点、と言っておこう。褒美をとらせよう」
「……楽しんでいただけましたか?」
気取ったポーズのまま、ずいっと1歩接近した。
「だから……褒美をとらすと言った!」
「せんえつながら王様のお気持ちをうかがいたく存じます。……楽しかったですか?」
さらに1歩。ベッドまで追い詰められた王様がぽすんと腰掛けた。
「まあ、それは……楽しくないことは……。いやお前、王に向かってそんなぐいぐい迫ってくるやつがあるか! 言葉使いを直せばいいってものではない!」
オレは満足して頷いた。
「楽しかったなら、けっこうです。そのお言葉で十分です」
くるっと向きを変えて隣に腰掛けると、不服そうな顔を見上げた。きちんとお話するって割と大変だ。昔は問題なくできたのに、すっかり子どもの口調になってしまった。
「褒美は、受け取っておけ」
どこか拗ねたような口調に、小首を傾げる。
「どうして?」
「…………お前は、また俺を楽しませる必要があるからだ」
長い逡巡の末に絞り出した返答が、それ? 吹き出しそうになったのを必死に堪え、大きいようで小さい背中を撫でた。
まだ時折顔を出す、独りぼっちだった少年。自分の価値を見失っていた少年。
「ご褒美がなくたって、エルベル様がいるなら来るよ。だって楽しくない? オレは楽しいから来るよ。エルベル様も楽しかったことがあったら教えてよ!」
撫でる手を振り払わないまま、彼は難しい顔をして口を開いた。
「しかし俺の楽しいことなど、お前と――」
あ、と思う間もなく、みるみる耳まで赤く染まった。言葉を呑み込んでも、そんなに赤くなっちゃ意味がない。少々潤んだ瞳がちらりとオレを盗み見た。
全く、しょうがないんだから。オレは上機嫌でそ知らぬふりをした。
「楽しいことがないの? お仕事忙しいもんね。だけど、オレと遊ぶのは楽しいでしょう?」
余裕のない王様は、素直に頷いた。
「じゃあ、他の人にそれを分けてあげてよ! きっと楽しいから」
エルベル様が楽しかったこと、たくさんの人に話してみて。きっとみんな喜ぶから。
最近のエルベル様は随分表情が柔らかくなったと聞いている。だけど、寂しがりの少年がまだここにいるのだから、きっと孤高の王様もまだいるんだろう。王様はどんな人か、何が楽しいのか、みんなに教えてあげて。
「機会が……あればな」
ようやく赤みの引いてきたエルベル様は、そっぽを向いてそう言った。
「機会など、いくらでも作りましょう。今すぐでも!」
弾んだ声に、二人して飛び上がった。ヴァンパイアの人たちは気配が薄くてビックリするよ!
「な、ナーラ! 立ち聞きするんじゃない! それとノックをしろ!」
「いえ、扉は開いておりましたから。あまりに心震わせる光景に声を呑んで感涙していた次第です」
グンジョーさん……扉を開けっ放しで出ていくのは、いい加減わざとじゃないかと思う。
「開いていてもノックは必要だろう! ……ちょっと待て、光景ってお前、いつから……」
「概ね最初から? 妖精玉の乱舞する中、うっすら微笑むエルベル様が美しくて」
うっとり微笑むナーラさんに、エルベル様が顔を覆ってうずくまった。ナーラさん、お上品だけどエルベル様にかける情熱はマリーさんに負けず劣らずだ。
「ナーラさんは何かご用? あ、使者のこと?」
今まで魔物と同じ扱いだったヴァンパイア族。ロクサレン家からの申し入れで、国もヒトとして交流を持とうとお互いの使者をたててお話を進めているところだ。
まだロクサレン中心ではあるけれど、お醤油などの調味料をメインに交易が始まっている。ロクサレンからはお魚関連が人気みたい。
ナーラさんはヴァンパイア側の使者さんだから、何か進展があったのだろうか。
「ええ、ロクサレンでは受け入れが大変良好です。今後、希望のあった者を移住させようかと思っています。もちろん、先方と密に相談を致します」
エルベル様にももちろんお話は通っているはずなのですが、と苦笑した。そっか、オレたち遊んでばっかりでそんな話をしてなかったよ。
「じゃあ、オレがお手紙か何か届ける?」
「いえいえ、もう先方の使者様と封書にてやり取りしておりますので、大丈夫ですよ」
そっか、もう既にオレのあずかり知らない所までお話は進んでいるんだな。
少々寂しくもあり、上手くいっている喜びもあり……。子どもにできることは、ここまで。あとは大人を信じて任せよう。国の使者はガウロ様だもの、安心して任せられる。
「ねえ、エルベル様! 王都には美味しいスイーツのお店があったんだよ。いつか一緒に行こうよ! そうだ、カロルス様の演劇があるんだよ?! 絶対見ようね!」
風の精霊、シャラ様にも紹介して――と思ったけれど、シャラ様は拗ねてしまいそうだ。
楽しかった王都のあれこれを思い出して知らず微笑むと、エルベル様に頬をつままれた。
「お前といると、先の予定が詰まっていくな」
そんな、お仕事みたいに言わないで!
「それはね、楽しみが増えるって言うんだよ!」
オレはエルベル様のほっぺをつまみ返して、満面の笑みを浮かべた。
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