第510話 涼を求めて
……暑い。お日様がのぼってしまうと、ぐんぐん気温が上がっていく。
寝苦しくて目が覚めてしまったけれど、起きたくもなくて寝返りばかりうっている。
どうもロクサレンよりハイカリクの方が暑く感じるのは、人が多いせいだろうか。
先日エルベル様のお城に遊びに行ったせいか、余計に暑く感じる。あそこはいつ行っても気温が一定で安定しているもの。
「んん……眠れない」
『起きればいいじゃない。もう早起きの時間でもないわよ?』
そうだけど。特に用事もないのに起きてしまうのは、負けたような気分なんだもの。
『主は一体なにと戦ってるんだ……?』
――じゃあ、ラピスが涼しくしてあげるの!
「あっ! だっ、大丈夫! この暑さがいいよね! こうして早起きできるし!!」
今にも氷結魔法を発動しそうな気配を感じて飛び起きた。ある意味涼しくなったかも知れない。
実のところ生活便利魔法『クーラー』も『せんぷーき』もあるのだけど、このくらいの暑さなら感じていたい。むしろ、いつでも快適空間にすることができるという確信がそうさせるのかもしれない。
「あれ? ユータが起きてる~」
静かな扉の音に振り返ると、濡れた髪のラキが入ってくるところだ。
「起きてるよ! なにしてたの?」
「随分寝汗かいちゃったから、流して来たんだよ~」
お風呂か! オレも行こうかなとベッドから飛び降りたところで、今度は勢いよく扉が開いた。
「あっちい! ユータ起き……あれ? 起きてる?!」
起きてますけど!! そんないつも寝ているみたいに言わないでほしい。
『いつも、寝てる』
『ゆーた朝は起きないもんね』
蘇芳とシロだって今起きたとこでしょう! チャトなんて見てよ、まだ寝てるんだから!
「外、暑いぞ! 鍛錬だけで消耗するぜ。なあ、どこか涼しい所行こうぜ!」
鍛錬すれば寒くたって消耗すると思うけど。そのオレンジがかった髪は色濃くしんなりとして、ラキと同じく雫が滴っていた。
「タクトもお風呂入ってきたの?」
「え? 入ってねえよ」
え? じゃあそれ……。うわあ、見てる方が暑い!
顔を見合わせたオレとラキは、さりげなく一歩下がった。
「風呂かー風呂もいいけど水浴びしてえな! 川で泳ぐとかどうだよ?」
「でも泳げるような川って、魔物もいるんじゃない?」
そうそう魔物に後れを取らない自信はついてきたけれど、水中はまた別だ。タクトは水中の方が有利かもしれないけど。
「お前ら魔法使えるんだからさ、川から水引っぱってきて即席支流作れねえの? それなら魔物来ねえだろ? あれ? そもそもユータならでっかい穴掘って水溜めることもできるんじゃねえ?」
ハッ! そうか、プールを作っちゃえばいいんだ! お風呂みたいに石造りにしようと思ったらめちゃくちゃ魔力を使うけど、穴を掘って水を入れるだけなら大丈夫! さらに川から支流を繋いでおけば、常にきれいで冷たい水が入れ替わるってことだよね。
「どうしちゃったのタクト、頭いい! さっそくいい場所を探そうよ!」
イメージのまとまったオレは、善は急げと着替え始めた。
「俺、それは褒められたのか……?」
「タクト、余計なことを~。僕はここにいる方が涼しいと思うんだけど~」
中々動かない2人を急かして寮を出ると、ギルドに寄って街の外へと急いだ。
『気持ちいいね! 気持ちいいね! ぼく、もっと走ってもいい? ぬるい風が冷たくなるくらい!』
「いいぜ! 行けシロ!! 飛ばせ-!!」
「耐用の限度ってものがあるから~! ほどほど! ほどほどで~!」
素晴らしいスピードで駆けるシロ車は、ラキがコツコツと地味な改良を繰り返している(らしい)。見た目に変化はないような気がするけど、ほんの少ーしパーツの素材や厚みを変えたり、交換したりしているらしい。Dランクになったし、ラキの素材集めのために遠出も楽しいかも知れない。授業が減った分、タクトの試験対策も楽になるだろうし。
『ところで、どこまで行くの? ぼく、速いから通り過ぎちゃうよ』
「ええと、街から離れて人がいない川まで!」
『分かった!』
嬉しげに笑ったシロは、ぐんとさらに加速した。後ろにひっくり返りかけた身体を頑丈な手が支える。
「シロ車っていいな! 場所を知らなくても連れてってくれるもんな!」
そう、シロは自慢のお鼻で走りながら場所を探してくれる。どこに向かっているかも分からないけど、帰り道に困ることもない。どんな所へ連れて行ってくれるんだろうと胸を高鳴らせてふさふさのしっぽを見つめた。
『とうちゃーく! どう? この辺りに人はいないよ! ここを下りればきれいな川があるよ!』
シロの足で走ると距離感が全く分からないのが難点だけど、街より相当離れたことには違いない。
その小さな渓谷は、遊ぶには十分な水量と川幅があった。そして何より、緑や青に透けて光を通す水の美しさ!
『スオーの色』
うっとりと水面を見つめていたら、目の前に蘇芳が割り込んできた。
「ホントだ、蘇芳の被毛みたいな色だね」
涼やかな毛色のふわふわは、鷹揚に頷いて後頭部に貼り付いた。暑い……首筋が柔らかな毛並みに包まれて、まるで真夏のマフラー。しかも温熱効果付き。
『……あつい』
迷惑そうな顔をした蘇芳がふわりと離れ、オレの汗ではりついた毛並みを整えた。オレ、すごく納得いかないんですけど!
「さすがシロだぜ! すげー良さそうな場所じゃねえ? 早く行こうぜ!」
「綺麗な場所だね~! だけどここは見通しが良すぎてユータがしでかしたら丸見えだよ~。もう少し山を登った方がいいかも~」
シロ車は道なき山を登れないからね。それなら、川をさかのぼって良い場所を見つけよう。
――そんな計画でもって河原を歩き始めたのだけど。
石がごろごろした河原は思いの外歩きにくく、照りつける日差しを遮る場所もない。ほどなくして、滴るほどの汗が噴き出してくる。ちなみにシロは『セルフおさんぽ』に行ってしまったので乗せてもらうことはできない。
しかも、進むにつれ巨大な岩が多くなってちょっとしたロッククライミングみたいだ。
「……タクト。僕、我慢するから乗せてって」
意を決した顔で何を言うのかと思えば、つまりおんぶしてほしいってことだろうか。
「何を我慢するんだよ! 嫌だっつうの、暑いじゃねえか!」
問題はそこなんだなと思いつつ、オレも息を吐いて額の汗を拭った。見上げた空は川よりもずっと濃い青が広がって、雲がくっきりと輝いている。
ああ、あそこを飛べたら気持ち良さそ……ん?
「ああ! チャトがいるんだった!」
元の姿のままだから、ただのねこって印象が強くてすっかり忘れていた。街中で飛ぶこともないしね。
「チャト召喚!」
ずっと召喚状態だけど、オレの中から出て来ないので引っ張り出した。
『……ここは暑い』
抱えられるまま、チャトはぐんにゃりと半ば液状化している。
「だから、涼しい所を探そうよ! ねえ、飛んで!」
空を見上げたチャトが、まあいいかと言うように鳴いた。ぶわっと翼を広げると同時に、小さな体が膨れあがった。2人にはもちろん紹介済みだけど、翼を広げた大きい方の姿は初対面の時以来かな。
「うおー! 飛べる猫! 飛ぶとこ初めて見るぜ!!」
「さすがに僕たちは……乗れないね~」
チャトはサイズ的にも能力的にも1人しか乗れないと思う。そして、オレ以外乗せてくれない。
「いい場所がないか探してみるね! ちょっと待ってて!」
オレの言葉が終わるか終わらないかのうちに、大岩を駆け上がったチャトは力強く後ろ足で蹴り出して空へ身を躍らせた。ほぼ直立になった身体に、振り落とされまいとしっかりしがみつく。
二度三度羽ばたいた翼が風を捉えて広がり、揺れが収まって安定した。
ほっと息を吐いて顔を上げると、風がオレの髪を持ち上げた。汗ばんだ額に、頭に、風の手ぐしが通ってみるみる汗が引いていく。
一旦高く舞い上がっていた高度を落とし、オレたちはゆっくりと川をさかのぼった。
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